退けぬ戦場、戦う理由
マリーからされたキスの余韻が覚めぬ内に『ロゼ』には緑色の波が見え隠れしており、その数は300を超えるだろうと予想されていた。
対する『ロゼ』には『ベルティエ』のような堅固な城壁がある訳ではなく、切り出した巨木の壁が取り囲んでいるだけの物である。
加えて『ロゼ』の戦力は150と言ったところ……いや、その3分の1は戦えぬ町民であるから戦えるのは100程度。
その更に半数以上は武器を持っただけの素人に近いものなのだ。
滞在していた冒険者達の大半は既に見切りを付けて『ロゼ』から脱出し、手を貸すことを了承したのは僅かに3人。
となれば、実質300対50の戦いになるだろう。
実に6倍、個体としての強さを考慮すれば確かに勝てるのかもしれない。
しかし集団戦において既に数で負けている事は同時に相手する数が増え、不意を撃たれるという事。
加えてゴブリンの軍団の中にはゴブリンロードの姿も確認されていた。
ロードと付くタイプの魔物は得てして魔法を扱ってくる。
まず間違いなく、魔法によって防護されていないただの巨木の防壁は焼かれ、斬られ、砕かれる。
数の差を覆して勝つことができたとして、得た勝利とは引き換えに数多くの犠牲を払うことになるだろう。
だが『ロゼ』を守るために戦う者達の士気は高い。
何故ならそこには希望を抱く象徴が居たからだ。
「恐れるな、とは言いません。 私もこの大群は恐ろしい。 しかし、このままでは護るべき者が奪われます。 守るべき場所も。 さあ、守るために戦いましょう。 私もこの戦いに勝利するまで戦いましょう!」
集められた者達に対して、マリーは気丈に男達を先導する。
それを周りは王族として当然だと思っているが、そんな訳がない。
敵を目の前にして恐怖を感じない者など、そうそういる訳がないのだから。
マリーの挨拶の少し前、唯一残ってこの戦いに加わると申し出たパーティが居た。
「私は『僧侶』のリュドミラ・アダモフと申します」
白亜の国『ブレスク』出身の『森人族』よりも伸びている耳が長い『神人族』の女性が礼儀正しく、楚々とした挨拶をする。
まるで彫刻のように整った白い肌と自ら輝いて見えるようなウェーブ掛かった金髪、柔らかな光を写す黄金の瞳が特徴的だ。
持っている錫杖はリュミドラの身の丈よりも少し短いほどでありながら、苦もなく持てる程度の重さらしく、輝きから見て海の杖と同じ、ミスリルと鉄の混成鉄製だということが解かる。
錫杖の先端に付けられている宝石は『僧侶』が得意とする光系統の魔法との親和性が高い水晶だ。
一番の親和性を誇る金剛石でないのは恐らく、資金的な面での事情だろう。
優しげな微笑みをしていなければ、凍えるような容姿に早変わりするだろうと海は思った。
そしてなにより、そのゆったりとした僧衣の上からでも解かるほどの男ならば無条件で降伏させてしまえるような、この場の誰よりも豊満な身体。
地球でならば癒し系などと言われていたかもしれない。
「アンヘラ・ラニエリ……『調教師』」
虎一匹を完全に従え、特殊効果を付与した布で編まれた布の服を着せられている少女が、虎に跨ったままに自己紹介をする。
腰には『調教師』が定番として扱う鞭が腰の位置に止められていた。
未だ未成熟と評せずにはいられないが、将来は美人になるだろうと思わせる容姿。
なによりも茶色のショートカットの頭には虎の耳が忙しなく動き、ゆらゆら揺れるのは虎の尻尾。
それは即ち、『獣人族』の虎族に違いない。
その翡翠に輝く瞳は、どこか怯えたように見え、表情も心なしか不安げな顔で、タダでさえ小さな体が余計に小さく見えてしまう。
海はどうにも苦手なタイプだと思い、更に観察する。
人見知りなのかもしれないが、誰彼構わず距離を取って関わりを持とうとしない消極的な姿勢に思わず海は苛立ちが込み上げるが、そんな状況でもないので溜め息だけを吐いただけに留まった。
「『武士』、春日美鈴だ」
此方は丁寧に結われ、ポニーテイルとなって垂れているその髪は、烏の濡れ羽色と評されるべき艶やかな黒の長髪。
黒曜石を思わせる瞳には、何者にも染まらぬという頑なな輝きがあった。
その身体は動き易さを重視した軽鎧に、日本生まれの海にとって見慣れた剣である刀を帯刀していた。
どうにも生真面目な質のようで、どこか男に対してあまり良い印象を持っていない様子。
不用意に近づけば瞬間、鼻先喉元に剣先がある、という可能性が容易に想像できる。
いわゆる冗談が通じない類の人種だと海はアタリをつけた。
「ご協力に感謝します」
そんな3人にマリーは礼を述べ、護衛のセリアとバディスト、海とエジェリーを紹介する。
「我々は人として当然の仁義を示したに過ぎない」
「ええ、このような時こそ人は助け合うべきですから」
美鈴とリュミドラのその物言いは、どこかエジェリーの困っていたから助けるのは当たり前という考えと同一のものだと海は思った。
だがやはり、その考え方はどうしても海には響いてこないし、そうしたいとは思えない。
見知らぬ誰かのために――――
倫理的には褒められるべきことであり、そう思えることは良いことなのだろうと理解していても、海にはその価値観がどうしても追い付けない。
しようとしれば、どうしても余計な単語が並べ立てられるのだ。
偽善、自己満足、八方美人、ああ、下らない、と。
だから海は無駄なことだと理解しつつも目の前の避けられぬ難題を乗り越えるために回りくどい言い訳をする。
例えるならば、10×10で100となる計算をわざわざ1+1を積み上げて100とすることに似ているだろう。
結果が同じになるのなら、どちらの過程を経ようとも同じ答えに変わるだけなのだから。
見知らぬ人間を助けたいと思えないのならば別に理由を作って戦えばいいのだ。
命の恩人であるエジェリーに恩をきちんと返すことができるまで絶対に死なせる訳にはいかない。
雇い主であり、キスをした理由をマリーからまだ問いただしていないから死なせない。
だから俺は死なせたくない理由なんて、いくらでも屁理屈捏ねて戦う理由をでっち上げてやる。
そうしてマリーは『ロゼ』の士気を高め、6倍差となるであろう圧倒的不利なはずの戦の指揮を采るべく皆の前に立ったのだ。
『ロゼ』側の村長もその旨を了承し、マリーは語る。
恐怖など微塵も感じていない風に強がって声を張っているのだ。
自分よりも、か弱いはずの少女が戦う決意をしていて、どうして自分だけが逃げられる!
若干古い言い方だと海自身思うが、海もまた“男”であり、マリーの今の在り方に魅せられ、生きるため生かすために重い腰を持ち上げる。
緑の波と相対し、激突した瞬間から、そこは正に地獄という場所に相応しかった。
雄叫び、悲鳴、絶叫、怒号、激昂と様々な声を上げながら剣や槍を打ち鳴らす原始的な行動だけを進めていく。
それを肌で感じ、思いながら常に動き続けた。
動き続けなくてはならない、と言ったほうが良いか。
そこには戦術、戦略などという上等なものはなく、正面からのぶつかり合いとなっていた。
いや、戦略として正面からぶつかる他なかったと言わざるを得ない。
何故ならば圧倒的な数によって数十体の魔物程度ならばビクともしないだろう『ロゼ』の巨木の防壁が耐え切れる保証がなかった事。
『ロゼ』のある場所の地形が小高い丘が割れているところの間に作られており、『ロゼ』の両端にある崖に挟まっているような形となっていて、目前の盆地のような広い草原で防がなくては簡単に梯子などで防壁を突破されてしまう点だった。
だから海達、冒険者と自警団は前衛として押し止め、後衛の弓矢隊を守らねばならない。
未だ何とか全滅せず、3分の1の損害で済んでいるのは自警団が踏ん張っていたことであり、弓を装備したゴブリンや、ゴブリンロードの魔法の猛威を退けていたのは『僧侶』、リュドミラの功績だった。
「決して傷つけさせはしません……プロテクション!」
【法術技能:プロテクション】
リュドミラの言葉と共に、純白の魔法陣が自軍の地面へと展開。
その魔法陣が展開された部分に内と外を隔てる結界が敷かれていた。
彼女の練度は中々の物であり、余程の攻撃を受けるまでは破れはしない堅固さを誇っているからこそ、ゴブリン達の飛び道具による被害は激減していたと言っても過言ではない。
そして前衛。
そこには人馬一体……というよりも人虎一体という言葉が当てはまるであろう体で戦場を攪乱する『調教師』と、敵を確実に切り裂く『武士』がいた。
「……アニタ、頑張って!」
【調教技能:鼓舞】
巨大な雌虎に跨る少女は戦場の左側を駆けながら“お互いの信頼の程度によって身体能力を上昇させる”声援を送っていた。
決して大きくはない声ではあるが、それでも懸命に己の従える者へと声を送り、強靭な体躯を強化させることによって疾く、強くなって眼前の敵を次々と轢き殺していく。
時折、周囲のゴブリンが錆びた剣や槍などで攻撃を当てるのだが強化された本人には針に刺される程度の痛みだろう。
その猛威は衰えず、アンヘラを乗せたアニタはゴブリンの隊列を食い破る。
一方、戦場の右側では血風が舞っていた。
何故ならば――――
「破ァァァァッ!!」
裂帛の気合と共に振るわれる、この国の者にはあまり馴染みのない細く頼りない剣を振るう少女が吠える。
よくよく見ればその剣――――刀は鋳造で作られている剣とは違い、何度も折り返し叩いて鍛えられた鍛造。
洗練されたその造形は武器でありながらも見惚れるような美しさがあった。
それに加えて刀身の光を力強く反射し、触れる物を尽く切り裂いていくように思える。
【刀術技能:陰木の構え】
武士の技能は言ってしまえば“構え”だ。
状況に応じた構えからの必殺。
今の構えのそれは野球のバッティングをするかのような構えであり、“攻防への攻撃に移る動作が遅れるが、一対多、多対多での乱戦時に扱う体力の消耗を抑える”構え。
本来、女性の『武士』は滅多に見かけない。
決して無いとは言えないが、それは元来、女性が習うのは薙刀などの長物であるというのが大和での主流であったし、由緒正しき家に嫁ぐ事と決められていた事を否と断じ、男児と同じ刀を取って己よりも強い者に屈した時こそ流浪の武者修行を止め故郷に帰ると誓ったのは余談。
美鈴は紙一重にゴブリン達の攻撃を避け、すれ違い様に致命的な首への確実な一閃を閃かせる。
そして今、海がいる中央の戦場もまた戦いの真っ只中であり、止まれば死ぬことになることは必死であった。
海達よりも前へ出て敵を押し止めているのは『ラ・メール』国内どころか、他国へと名を轟かせる『守護騎士団』の一員、バティストとセリア。
今のような劣勢でさえ、一番の激戦区となっている中央戦線を支えているのは正しくこの2人。
活路を見つけるまで耐えうる不屈の騎士達。
何よりもその『守護騎士』が得意とする技能の1つを発動させる。
10匹以上のゴブリン達がバティストの楯に触れたその瞬間――――
【守護技能:カウンター】
10匹以上の攻撃をそのままにゴブリン達へ返し、吹き飛ばす。
だが、その技によってバティストの盾もまた弾き飛ばされて決定的な隙ができる。
弾き飛ばされたゴブリン達とはまた違った一団がバティストへと迫るが、そこに割ってはいるのはセリア。
「させん!!」
【守護技能:アイギス】
発動させた『守護騎士』の名を表す“圧倒的な硬度に楯を強化し、パーティへ波及させる”という前衛職でありながら唯一のパーティ全体を防護する事を可能とさせる技能。
その防護がバティストとセリアを守り切ったところで効果が消え去り、絶妙なタイミングでセリアが準備を終えたバティストと入れ替わって楯を構え、次なる攻撃に備えた。
守りには付け入る隙を与えないし、与える訳にはいかない。
少し後方、そこには御身を守ると誓った2人の主人であり、この戦線の大将であるマリーが居るが故に意地でもそこは通さないと躍起になる。
そして、マリーは詩っていた。
拡声器がなくとも戦場の音に負けず響くは詩吟の詩。
マリーもまた、戦っているのだ。
【詩吟技能:遁走曲】
この詩によってもたらされるのは敵の士気を落とし、動きを鈍らせる恐怖を抱かせる旋律。
詩の圏内に入るゴブリン達は戦いの集中力が削がれて攻撃に勢いが乗らないのも、数に負けて持ち堪えている一因だろう。
「カイッ!! アレ!!」
中央のバティスト、セリアの少し後方。
カイとエジェリーもまた戦っていた。
時に並び立ち、背中合わせに複数のゴブリン達を相手に立ち回る。
そんな中、エジェリーの目前に居たゴブリンが振るう錆びた槍を左腕の軽楯で弾きつつ、剣で切り裂いた後に剣先で示す。
その先を見て海は次の行動を選択し、決定する。
海の戦い方は魔法使いらしからぬ戦い方だった。
何せ、右手の剣で迫り来るゴブリンを切り裂きつつ、脳裏に炎の魔法陣を思い浮かべ、左手の杖を振るって今まさに村人の命を刈り取るべく錆びた剣を振り下ろそうとしていたゴブリンの背中にファイアボールを解き放ったのだから。
魔法使いはここまで前線には出ることはなく、後方からの魔法斉射によって威力を発揮する後衛火力の中心。
それが前衛で剣を振り回しながら魔法を放つなど、『魔法使い』の役割を知っている冒険者の面々からすれば有り得ないと驚愕に目を見開くことだろう。
【魔法技能:ファイアボール】
「行けぇッ!!」
その言葉と共に戦いの中でレベルが上がってバスケットボールの大きさまでしか出せなかった火球が、いつの間にか1メートルほどのの巨大な物となって緋色の魔法陣から吐き出される。
熱量は、その威力よりも絶妙な軌道を以て、ゴブリンだけを焼き尽くす事に成功したのを見届けた時、海は思わず呻き声を漏らす。
「う、くっ」
海は眩暈を覚え、思わずよろけてしまう。
また魔力が切れた……クソ、目が霞む!
限界まで体力を使い切った疲労感とはまた違う。
例えるならば……そう、何日も睡眠を取らずに意識が闇に落ちていくような感覚が近い。
どちらも消耗をすれば共通して意識を失うことになり、先頭続行は絶望的だろう。
霞む視界の中、剣を杖のように地面に突き刺して膝を付きそうになることを耐え、腰に付けられた真新しいアイテムバックからこの戦いが始まる前に、道具屋の店主から使って欲しいと貰い受けた魔力を回復させる薬であるマジックポーションの入った小瓶を一気に呷る。
お世辞にも良い味とは言えない液体が喉元を過ぎていき、遠くなり始めた意識が一気に浮上して気力が漲った。
よ、し……また戦える!
既に海が屠ったゴブリンは二桁を疾うに超え、エジェリーと合わせれば25は屠った事だろう。
だが『守護騎士』の2人やリュミドラらはそれ以上の戦果を挙げていて、討ち取られたゴブリンの数は既に100を超えていた。
しかし、油断はできない。
未だに倒しているのは、ただのゴブリンであり、コブリンキングや近衛のように護衛しているゴブリンロード達も残っているのだ。
そう思った時、最悪の知らせが戦場に伝わる。
――――増援来たる。
その数、更に300。
こちらは消耗を抑えながら戦いながらも既に100は切りつつあった。
相手は300から200を切って、500近くまで兵力を補強することになる。
マズイ……この流れはマズイぞ!
このままじゃ、全滅だ!
内心で海は悪態を吐く。
普段ならば皮肉は言っても悪態は吐かないであろう海が、そう思うほどに自体は悪い方へと転がり落ちている。
見切りを付けて逃げるならば今だ。
増援が合流するまでまだ少しだけ猶予がある。
その隙を突いて一気に反転、一目散に逃げ出す。
それが最上だと海は判断するが、周りは我武者羅に戦い続けている。
マリーは引き際を間違えてるんじゃないか?
そんな疑問から、背後で詩い続けるマリーへと振り返ってテレパシーを飛ばす。
【補助技能:テレパシー】
(マリー、もう引き際だ! 今引かないと全滅するぞ!!)
テレパシーは確かに海の思念は届いているはずなのにマリーは依然、詩を紡ぐ。
美しい旋律を止はしない。
なんで詩うのを止めない!?
こんなはただの自殺だろうがッ!!
海は激昂するが同時に考える。
この絶望的な戦力差を打開する一手を、その一手を実際に実行できるのかを。
この状況……どうする、どう切り抜ける?!
敵の数はこのまま手をこまねいていてれば膨れ上がって間違いなく全滅してあの世行きだ。
こういう時にすべき選択は何だ?
自分が出来ること、出来ないことを頭に並べ立てていく。
それを考えて1つだけ思いつく。
『朝露の雫』が群生している潤沢な水辺、ゴブリン掃討で上がったレベル、自分の持ち物、『ロゼ』の地形を鑑みれば恐らくこれが、この盤面をひっくり返せる現時点でできる唯一にして最上。
撤退ができないのならば勝率が一番高いのはその一手。
使う手段は自身の魔法で高火力を叩き出せるのかどうか。
機会は一度の大博打。
恐らく外せばゴブリンキングが動き出し、増援が合流して自分達はゴブリン達の餌になる。
男はまだいい、だが女達は死ぬまで犯されて産みたくもない異形を生み続ける事になる。
エジェリーも例外ではない。
そんな事……させてたまるか!
(これから一度も使ってない取って置きを使うからなッ!! 魔法発動と同時に逃げるのを全員になんとかして伝達するくらいの事はしてくれよッ!!)
海はマリーに怒鳴るように言い、レベルが足りずに魔力消費が保有魔力を上回っていたからこそ使わずにいた魔法を発動させる。
ゴブリンを殺している内にレベルが上がりながらも使用できず、しかし、水辺があった事m、保険として用意していた物が有ったからこそ使える手段。
【魔法技能:キャナルフラッド】
狙ったのは『朝露の雫』が群生している潤沢な水辺。
水辺といっても幅が川幅は広く、深さも中々にある。
水気のない場所で水を集めるところからやるよりは、水が多くあった方が幾分か手間も省けて魔力消費も節約できることだろう。
そこを故意に氾濫させて、ゴブリンキング達を押し流す!!
単体魔法技能は効果が発揮される場所から魔法陣が現れ、放射魔法技能は放射が始まる始点。
範囲魔法技能は効果範囲全体を覆う場所の地面に現れる。
効果が高ければ高いほど、広ければ広いほどに消費される魔力は当然多い。
くぅッ、魔力が根刮ぎ吸い尽くされて……ッ!
故意に水辺を洪水を起こす規模となれば、現在の海の魔力全てを消費してもできないだろうし、魔法の杖の効果によって威力が上がって消費魔力が少なくなっていたとしても、それは変わらないだろう。
だがここで海は右手の剣を地面へ突き刺し、空いた右手にアイテムバックから使い捨ての魔法触媒である水色の石を取り出して杖と一緒に前へ突き出す。
すると水色の魔法触媒が輝き、徐々に小さくなっていくが構わずに魔法発動に集中する。
使用品度が高いかもしれないと思った火と水の触媒を買っておいて正解だったと海は思う。
「もう……ちょっと……ッ!」
完全に発動するまで意識を失う訳にはいかないと自身に喝を入れて踏ん張るが、足が震えて膝をついてしまう。
そこで後ろから背中に2本の腕が伸び、海を支える。
今振り返る訳にはいかないから誰が支えているかなんて分かりはしないのに、自然と誰が支えているのかを理解している自分がいることに海は内心驚く。
が、表情に出すようなことはしないし、してはいけない。
その些細な行動さえも魔法発動の力へと変えていく。
支えてくれていることに、支えてもらえている事に安堵し、膝の震えもいつの間にか止まっていた。
あともう少しだけ、もうちょっとだけ頑張れる気がして、やはり振り返ることなく目的の場所を睨みつけ集中を続ける。
そして、ようやく一面を水色に燐光に染め上げたところで魔法が発動したのを確信した。
よし、後は逃げ、る……だけ……だ……。
そう思ったところで緊張の糸が切れたのか、急激に意識が遠くなっていく中、海は無意識に口を開いていた。
「早、く……逃げ……」
「カイッ!? ちょっとしっかりしなさい!! もうッ、まったく……心配ばっかりかけるんだから。 でも、お疲れ様、カイ」
意識が完全に途切れる直前、エジェリーの優しい声を聴いて最後にバティストに担がれたことを感じたところで意識の糸が切れて気を失った。