ロゼへの道中
『ベルティエ』より『ロゼ』へと向かう皇女一行は馬車を走らせていた。
2つの街を最短距離で直線的に進めば半日ほど馬で走ることで十分に辿り着ける。
しかし、中間地点に川が流れ、以前あった橋は老朽化によって一目見れば渡るには難しい事が十分にわかるため、マリー皇女がロック鳥に襲われた湖まで戻らなくてはならない。
そこまでで半日かからない程度の距離で、恐らく『ロゼ』に着くのは休養も含めれば約1日後だが既に日は落ちかけている。
数時間後に日が落ちるのなら普通の冒険者や旅行者は滞在先に一泊し、日が出てから移動するのは当たり前だ。
何せ、多くの夜行性魔物の行動が活発となるし、それ以外にも日が落ちれば街道以外は道がないため方向を見失い、何かに激突、崖へ真っ逆さまとなる可能性さえある。
野営でも火の番や寝ずの番をしたとしても、それを襲う野党の群れがいるのも事実。
この世界は魔法や技術があるが、それは海達だけではなく、そう言った人間の敵にも言える事であり、それ故に野外の夜は危険は決して低くはない。
気持ちが急いているのはわかるが、それを理解できないほどマリー皇女は世間知らずではないのに何故そうしなかったのか?
それは単に目立ち過ぎたためだ。
そんな場所に長居すれば間違いなく王様……つまりマリーの父の耳に入ってしまう。
学園の春休みを利用しているとはいえ、学園から直接帰郷する手筈になっていた日程を完全に無視した形をとっている以上、王様はマリーの実母との再会を固くなに妨害している事を考えれば目立つということはマリーを連れ戻すための追っ手が来る可能性が多々にある。
王国に帰らずに無理を押して連れ戻されてしまえば、マリー皇女の依頼は不達成になり、セリアとバティストは間違いなくマリーと引き離されて別の護衛兼監視がマリーを始終監視する事が予想できた。
それはマリー皇女の本意ではない。
なので必需品などを揃えて長居はせず、直ぐに目的の街『ロゼ』へ急いでいるという訳だ。
そして既に『ベルティエ』を出立して数時間、太陽は西へ沈んで夜の帳が落ちていた。
馬車の御者席には今まで一度も馬を操った事のない海が2頭の馬車馬の手綱を握りながら真っ暗な闇をいつもと変わらない沈着な視線で見渡している。
その瞳には当然のように夜を見渡しているのだ。
【補助技能:梟の目】
それを可能とさせるのは『狩人』の『鷹の目』と同じく、初期に覚えている技能の一つで夜視を付与する技能。
流石にレベルが低いために完全な視認は闇夜であれば数メートルが限界だろうが、今夜は月が出ているので十分に数十メートルが見えている。
使い続けて損はない。
そして、梟の目とは別に未経験ながら海が御者を可能とさせているのもまた技能。
【補助技能:御者】
免許を取ったばかりの心境っていうのはこんな感じなのか?
此方は道具屋で今後、必要になるであろう技能書から読み取った物。
レベルの低い者でも覚えられる程度の難解度だったので直ぐに習得できた。
馬車で移動するのだから、緊急時に走らせられないなどという事を避けるために購入した事が早速、役に立った形だろう。
だが取ったばかりの技能のために少し拙さが見て取れる。
「体が覚えているような、どうすればいいのかわかる感覚……う~ん、少し変な感じだ。 でも、やっぱり実際に使ってみないと危ないかもな」
相変わらず前方を見たままに一人呟く海。
確かに魔法書、技能書、奥義書は様々な技能を覚えられる。
しかし、それは経験が伴わない。
例としていうならば、林檎の味がどういった物かを知ってはいるが、実際には食べたことがない、ということだろう。
でも有用性は高いから後で他のも読んでおこう。
ふと視線だけを横へ送ると、馬車と同じ速度で走る守護騎士の姿。
その馬術は長年培った事が伺えるほどに練達さが際立っていた。
やっぱり最後には自分自身で慣れていかないと習得したとは言えないのかもな……。
海が見ていることに気付いているのだろうが、やはり一片の淀みもないその姿は堂々たるもので御伽噺に出てくる騎士の姿その物と言える。
思わず敬意や畏怖を抱いてしまうくらいに。
しかし、会話ができないのがどうにもなぁ……。
沈黙という名の針の筵が海はどうにも苦手だ。
幸いにも技能書を読むという選択肢で凌ぐ事は可能だが、何かしらのコミュニケーションが取れないと今後の活動にも支障が出ると思っているし、女性3人は座席の後ろから馬車の中で姦しく何かを話しているようで楽しげな声が笑い声が微かに聴こえる。
その微かな声の主達が何を話していたのかというと――――
「ずっと気になっていたのですが……」
マリーの左側にセリアが、対面の席にエジェリーが座っていた。
先程までの他愛ない談笑から一転、会話が不意に途切れて言いようのない間ができたところでマリーは思い出したかのように話を切り出す。
「エジェリーは……カイさんと、つ」
「つ?」
何故か意気込んで決死の覚悟で問いかけたマリーの言葉をおおむ返しのように言って首を傾げる。
「付き合っているのでしょうか!?」
目を輝かせて詰め寄るマリー皇女。
「ひゃいッ?!! な、ななな、何言ってるのよッ、カイよ?! あのカイなのよ?! マリー!?」
対して、なんだかんだで海のことを憎からずは思っているエジェリーは分かりやすい。
防具屋で聴いた海の恩には恩を以て返すというスタンスに対して思うところが無い訳ではなかったが、それとこれとは話が別で海の事は気になっている。
嘘は吐くし、屁理屈ばっかりだし、年下かと思ったら年上だし……でも生真面目で心配症、意外と優しいかも?
なんか、こう姉弟……ううん、兄妹みたいじゃない。
男性経験皆無の2人。
「なにか、なかったんですか?!」
「な、何かってなによッ! 何かって!!」
「そんなのハグやキス、そのまたもっともっと先の事です!!」
「なぁ――――ッ!?」
片や国の高嶺の花として羨まれはすれども、護衛を連れているが故に男共が距離を置く恋に興味が尽きない皇女。
片や幼少から武芸を習ったために勝気で、過去の失敗からソロでの冒険を決意した恋愛ベタな孤高の女冒険者。
そんな2人は男女の交流が無い訳ではなかったが、共に異性と付き合うというまでには至れていないのだ。
当然、経験など皆無に等しかった。
「しかし、あそこまで物怖じせずにカイ殿と接するばかりか、彼はエジェリー殿に対してだけ聞き分けが良い。 それは何故だ?」
2人動揺して言動が少しおかしくなっている中、1人だけ冷静さを保っていたセリアがエジェリーに対して当然の疑問を言う。
「べ、別に……私だって、カイと出会ったのは数日前だもの……」
う……全部が全部恩返しで、なんの気持ちも持たれてなかったら……。
脳裏に不安が過ぎる。
不安?
なんで?
もともと1人だったじゃない。
出会って数日よ?
どうして、そこまで……今まで1人だったから?
今まで私、寂しがってた?
今まで気が付けなかった孤独。
それを自覚したくないために頭を振って打ち消す。
「出会った日数なんて関係ありません! でも、エジェリーが好きじゃないなら、私が狙ってもいいってことですよね?」
「……え?」
和やかに笑いながら言ったマリーに対し、エジェリーは思わず固まってしまった。
「皇女、流石に……それは……」
一目惚れを否定する気はないが、そう言った物で惹かれ合う者はごく一部を除いて、すぐに冷めてしまうのをセリアは知っていた。
命を救われた娘が命を救った男に恋をするのは、よくある話しではある。
自身のことではないが、親友の一人がそのような恋を追い求めていたことがあったため、一目惚れという物に対して、あまり良い印象を持っていない。
「貴女だって、バティストと――――」
「わぁぁッ!! 知りません! そんな事実ありませんッ!!」
諌めようとしたセリアに対して、以前ふと目を覚まして閨から抜け出した時に目撃したセリアとバティストの逢瀬を暴露しようとしたところでセリアは大声でかき消した。
そんな中、エジェリーはマリーのカイを狙う発言に内心で混乱していた。
女3人寄れば姦しいとは的を射てる。
もうしばらく行けば、あらかじめ決めていた予定の湖に着く。
そこで馬車を止め、海とバティストは火を起こして1時間ほど火の番をしなくてはならない。
と言っている内に見えてきたな。
海は『梟の目』でなんとか月光の光が反射している湖面が見えてきたが、恐らくバティストはまだ見えていないだろう。
それから数分後、海達の馬車は盆地のような湖面より一段上の開けた場所に野営の準備を始めるべく海は馬車を止め、後ろの馬車の窓を2度ノックし、目的地に着いた事を知らせて御者席から降り、馬を近くの木へと繋いだ。
同じくバティストも騎乗していた馬を同じように木にしっかりと結び付けてこちらへと歩み寄ってくると、海が結んだロープを解いてしまう。
「バティストさん?」
「…………」
バティストは喋れないため、首を振ってからロープを海が良く見えるようにして改めて木にゆっくりと縛り直してから、もう一頭の馬車馬のロープを海へと差し出す。
「さっきの結び方はダメでしたか?」
海の問いにバティストは肯定の意を示す。
「そして、今見せたようにやってみろ、と?」
更に続けた問いに対しても頷き、海は先程バティストがやったように少しだけ、もたつきつつも結ぶことができ、バティストはきちんと結べているかを確認して一度だけ頷いた。
よくよく見れば、バティストが海に教えた結び方はとてもしっかりと結ばれているが、有事の際、すぐに解くことができる結び方だということを知り、内心で感心する。
そうしている内に女性3人は馬車から出て座りっぱなしだった体を伸びや屈伸などをしているが、海とバティストは少し離れば場所へと歩き、乾燥している枝を拾い集めて焚き火の準備を始めた。
海達は少し進むと林になっている場所があり、両手に抱える程度の枝が直ぐに見つかり、瞬く間に焚き火の枝が積まれ、海はベルトに差していた杖を抜きながら積まれた枝をライダー程度の火加減で発動させる。
【魔法技能:ファイアボール】
「ご苦労ご苦労!」
焚き火を起こした海の背後からエジェリーが両手を腰に添えて胸を張りながら、まるで現代の安っぽい偏見で描写されている貴族が言いそうな事を言うが、焚き火の明かりに映し出されるエジェリーの服装はとても軽装であり、海は思わず直視してしまう。
やっぱりこの服装は……。
やたらと布面積が少ない服、女性が戦い易いように作られた胸を象ったようなチェストアーマーという現代ではおおそよ有り得ない……むしろコスプレ兼水着に近い過激とも取れる格好。
しかも容姿端麗を絵に書いたような歳の近い異性が来ているのだ。
思春期真っ盛りの男子ならば、視線が釘付けになってしまうのは仕方がないだろう。
「う……な、なんでいつまでもジッと見てるのよ……」
「いや、やっぱりエジェリーの格好は俺には少し刺激が……何か羽織ったりしてくれないと気になって仕方がない」
海の視線に、エジェリーは赤くなりつつも体を抱きしめるように腕で遮ろうとするが、逆に体の線が強調されて海には扇情的に見えてしまい、視線はますますエジェリーに固定されてしまった。
「つまり、カイさんはエジェリーの姿を見て、異性としてとても気になってしまうということですね? あ、私やセリア、バティストと話すときは敬語は抜きで話してください。 これも依頼に含みますから」
唐突にエジェリーの後ろからセリアとが現れ、気易い友達のようにエジェリーの両肩に後ろから両手を置きながら言う。
バティストは馬の世話のために、セリアはバティストに状況やらを伝えるために3人から離れた場所にいる。
「依頼なら遠慮なく。 否定はしないよ……ただし、それはマリー皇女も含まれることを忠告しておくよ? こう言っちゃ、節操が無いように聴こえるけど、エジェリーやマリー皇女が仮に抱いて欲しいといえば、俺も本気にするくらいには健全な男だ」
「「なっ?!」」
エジェリーとマリーは海の発言に驚愕し、少し距離を置く。
「それくらい2人とも魅力的だ。 多分、そこらにいる男達に聴いても同じような感想が幾つか出るんじゃないか? もしそんな状況になったら優しくしするよ、お二人さん?」
海はどこか蠱惑的な笑みを浮かべながら、2人に臆面もなく言う。
「「……ッッ」」
それによって、男性経験など微塵も無い2人は茹で蛸のように顔を真っ赤に染めた。
そんな2人を見て、海は思わず吹き出す。
「ぷっ……ッ、クク」
海はそんな2人に背を向けて体を震わせ、押し殺しつつも笑い出した。
「あっ! もしかしなくてもカイッ! アンタ、私達をからかったわねぇッ?!」
「!! 皇女である私を騙すとはいい度胸ですッ!!」
からかわれたという事に気付いた2人は目尻を釣り上げ、般若の面のような表情へと変わって海を捕まえるために走り出す。
前衛を張るだけあって、エジェリーは男性顔負けの速さで海へと詰め寄って腕を伸ばすが、海は常人とは少しだけ違ったためにスルリとエジェリーの腕から身を躱した。
【補助技能:動体視力強化】
『格闘家』の基本的な補助技能である『動体視力強化』を発動させたのだ。
地球でこの技能を発動して海が所属していた硬式テニスをすれば、打ち返されたボールの縫い目すら見ることができるくらいに良くなる。
エジェリーの掴みかかるという行為も海には十二分に見えていた。
「このッ、このッ、ちょこまかとッ、逃げるなぁッ!!」
まさに猪突猛進。
チーターの用に海の後ろを追走しながら腕を伸ばしていく。
「隙ありですッ!」
そこで後ろから抱きしめてくるかのように走り込んできたマリーへと向き直り、スルリと脇を抜けて逆に後ろから羽交い絞めに。
「動きが止まれば!!」
「エジェリーは元からだけど、皇女も意外とお転婆なんだな……ふぅ。 おっと!」
溜息を吐きつつエジェリーの攻撃を回避する。
「私達をからかった不敬を身を以て叩き込んで差し上げますから放しなさい!」
ジタバタと暴れるマリーを再度向かってきたエジェリーへの壁にして凌ぐ海はマリーの耳元でエジェリーに聞こえないくらいの小さな声で囁く。
「正当防衛だ。 それに不慮の事故でいろんなところを触ってしまうかもしれないよ?」
我ながら手段はアレだが、まあこれでおとなしくなってくれれば。
普通の女性なら全力で身の危険を感じて振りほどいて近づかないだろうという思惑込みで囁いてみせた。
海が好意を抱いていない相手に嫌われようと構わないという無関心が成せる手段だったのだが、生憎と普通の女性ではないマリーは海が投げ込んだ爆弾を投げ返すために強気に言い放った。
「どうぞ? できるものなら存分に。 もっともそんな度胸があるとは思えませんけど」
マリーは皇女であり、護衛の2人がいるのならば流石に多少、畏敬の念や社会的な倫理からくる恐れくらいあると思ってのことだった。
だが、マリーが海の予想を裏切ったように、また海もマリーの予想を裏切ることとなる。
「ではご本人の許可がでたので遠慮なく」
「え?」
海は羽交い絞めの腕を解いて、マリーが困惑した一瞬にスルリと右手は胸元から左胸を持ち上げるように、左手は剥き出しの内股へ優しく指を這わせた。
「そ、んなっ、本当に……っ?!」
まるで女性を知っているかのように優しく、しかし的確にマリーを責め立てようと本格的に海が行動を起こそうとした矢先に――――
「って、何やってんのよ馬鹿二人――――!!」
エジェリーの拳が海の顔面に擦り、海は潮時を感じてパッとマリーを解放する。
それと同時に支えを失ったマリーが腰が抜けたかのように地面にぺたりと座り込んで嘘泣きを始める。
「ああ……誰にも触らせたことなんてなかったのに……でも、意外と……」
「なぁにが、意外と……よ! マリーはもっとこう、ちゃんと抵抗しなさいよ本当に! 洒落じゃすまないでしょうがッ!!」
「誰にでもではありませんよ? 確かに今回は本当にしてくるとは思いませんでしたけど」
「だからッ!! 仮にも一国の皇女でしょうがッ!! 綺麗な身体を保つのが当然なんじゃないの!?」
「あら、意外と古風ですねエジェリー? その辺り、私は第三位の皇女なので責任さえとって頂ければ意外と寛容なんですよ?」
「知らないわよッ!!」
座り込んだままのマリーに対して、エジェリーは腰に手を当てて説教を開始する。
「まあ、そういうことで、さっきのは冗談じゃなくて割と真面目に――――」
「アンタは反省しろ! やっていいことと悪いことがあるでしょうがッ!!」
天然であるカイと意図しているのかさえ解らないマリーに対してエジェリーはツッコミを入れ続けた。
「身を委ねてみたい気持ちが少々……カイさんは手馴れている風でした……」
「ほほぅ……?」
「そんな感想いらないからぁ!!」
就寝しようと女性陣が馬車の中に入ってすぐ、またしても始まった女3人の猥談が賑わったのは言うまでもない。
疲れているとエロ要素が増える……。
前回、次回はロゼにと書きましたがたどり着けませんでした……申し訳ない。
ご意見ご感想お待ちします^^