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東京原人  作者: 夏川龍治
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団欒

 家に着くころには、もう夕方になっていた。両手にさげた買い物袋をリビングのソファに置いて、美代子は疲労の入り混じった吐息を洩らした。

 車で走れば近いように感じるが、電車で帰るとなると、やはり辛い。夕食の準備に取りかかる前に、コーヒーでも飲んでひと息つこうか。夏海たちが帰ってくるまで、まだしばらく余裕があるだろう。

「お義母さんもお疲れでしょう。リビングでコーヒーでもお飲みになって……」

 美代子が言い終わらないうちに、トメはまるで何かにせきたてられるように階段を上がっていった。

「お義母さん、何をなさるのですか」

「カイワレの具合が気になるんじゃよ。何しろ、長い間留守番をさせてしまったからね。ほら、美代子さんも手伝っておくれ」

 疲労の色ひとつ見せずにベランダへと歩いていくトメに呆気にとられつつも、美代子は仕方なくそのあとを続いた。

 何よ、もう。今やっと東京から帰ってきたばかりで、コーヒーでも飲んで休憩しようと思ってたところなのに。カイワレの世話なんて、あとでもいいじゃない。

 でも、まあいいか。疲れを感じないのは、まだまだ元気だっていうことなんだから……。

 そうやって自分を強引に納得させようとする美代子だったが、それでもその口からはひとりでに沈んだ嘆息がこぼれてくるのであった。


 電車は、それなりに混雑していた。日曜日とあってサラリーマンの姿はほとんど見られないが、そのかわりにレジャー帰りの家族連れが車内を占有していた。

 いつもなら煩わしく感じるはずの子供の甲高い喋り声も、幸福な高揚感に満たされた夏海の耳には入らなかった。座席横の手すりに頭をもたせかけて、夏海はトンネルの中での出来事をゆっくりと思い返してみる。

(今まで付き合ってくれて、どうもありがとう)

 この一言によって、どれほどの幸福感が全身を駆けめぐったことか。そして、ぎこちなく重ねられた唇……あの時の柔らかな感触は、きっと一生胸に深く刻みこまれることだろう。

 私は今、本当に幸せなのかもしれない――規則的な電車の揺れに身をまかせながら、夏海はぼんやりと考えていた。仮に今でも携帯電話が使えていたなら、今日の一言も直接言われることはなかっただろう。同じことをメールで送られたとしたら、きっと今日ほどの感動は受けなかったに違いない。

 これで、いいのかもしれない。他人との円滑なコミュニケーションを求めて携帯電話に頼りきっているうちに、かえって孤立を深める結果となってしまったのではないか……ぼんやりとした意識の中で、夏海はそんなことを考えていた。


 高級牛肉のステーキ、カレイの煮付け、有機野菜のサラダ……見るからに豪華な料理がテーブルに並べられていた。

「今日の料理はいちだんと豪華だなあ」

 どの料理に箸をつけようかと迷っている様子で、俊雄が言った。

 せわしなく宙をさまよう俊雄の箸を、トメは自分の箸で軽くたたいて、

「こら、俊雄。迷い箸はいかんと、子供の頃に厳しくしつけたじゃろうが」

「だって、今日はいつもの倍以上のおかずがあるんだもん」

 本当に子供に戻ったかのような俊雄の口調に、夏海の口からも自然と笑みがこぼれる。

「今日のおかずはみんな、お義母さんが東京のデパートで買ってきてくださったのよ」

美代子は微笑んで、高級ステーキを一口頬張った。

「うん、おいしい!」

「東京のデパートはえらい広いでなあ。となりのコーナーに行くだけでもひと苦労じゃったよ」

 自慢するように、トメは豪快に笑った。

「東京って街は一日じゃとても回りきれん。あと二、三回は俊雄たちに連れていってもらわんと」

「それまで長生きしないとね、おばあちゃん」

「そうじゃ、そうじゃ!」

 温かい笑いに包まれながら、夕食は進んだ。

「せっかく家族がそろってるんじゃから、ベランダで線香花火でもやらんかね」

 夕食も終わり、食器の片付けも一通り済んだところで、トメが言った。

「線香花火?」

「おばあちゃんがデパートで買ってきてくれたのよ。夏海へのお土産にって」

「まあ、無理にとは言わんがね」

 と言いながらも、トメはすでに買い物袋から線香花火入りのビニールを取り出している。

「線香花火か。懐かしいなあ」

 遠くを見るような目つきで、俊雄は言った。

「みんなでやろうよ、きれいな線香花火を」

 無邪気な笑顔とともに、夏海は頷いた。

「そうかい。それはうれしいねえ」

 心の底からうれしそうに、トメは笑った。

 その笑顔につられるように美代子は微笑んで、言った。

「さあさあ、みんなでベランダに行きましょう!」


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