青春
東京駅から路地を一本離れると、さきほどまでの喧騒が嘘のように、あたりは静けさに包まれた。
「今日は悪かったな、夏海」
幾分かすれた声で、守は言った。
「家族で出かける予定じゃなかったのかい」
「ううん、そんなことないよ」
夏海は首を横に振った。
「おばあちゃんが東京見物をしたいって言うから、みんなで東京駅まで送っていっただけだよ」
「それならいいんだけどさ」
俯いたまま、守は呟く。
「けっこういい家族じゃん、夏海の家って」
「そう?」
「お母さんは優しそうだし、お父さんもものわかり良さそうだし」
「そんなことないよ」
強い口調で、夏海は言った。美代子のことはともかく、俊雄に関してはきっぱりと否定しておかなければ。
「外ではどう見られてるのか知らないけど、ウチではただのガンコ親父だよ。考えが古くさいし、ファッションにもちっとも気を遣わないし、それに、今日の待ち合わせのことだって……」
ここまで言いかけて、夏海はその先の言葉を呑み込んだ。余計なことを言って、守に心配をさせるわけにはいかない。
「おばあちゃんも、まだまだ元気そうじゃん」
「それは、まあね」
高架下の短いトンネルにさしかかった。遠くのほうからは電車の警笛が聞こえてくる。
「そういえば、もうすぐ一周年だよな、俺たち」
さりげなく、守は言った。トンネルのせいで、声がいつまでもあたりにぼんやりと反響する。
夏海は何も言わずに、守の次の言葉を待っていた。緊張しているのか、守は鼻の下をしきりに指でこすっている。
「あのさ……」
と呟いたきり、守は黙ってしまった。唇だけはもごもごと動いているのだが、肝心の言葉が出てこないようだ。
「だから、その……」
もどかしさを感じながらも、夏海は守の言葉を辛抱強く待ちつづけた。トンネルの終わりが近づいてくる。
何かを決意したように守は立ちどまり、夏海の正面を向いた。
「今まで付き合ってくれて、どうもありがとう」
それまでのぎこちなさとは対照的に、あっさりと守は言った。
「そして、これからもよろしく」
「守……」
全身がゆっくりと熱気に包まれていくように、夏海は感じていた。
照れくささをごまかすように、守は頭を掻いて、
「一周年らしいプレゼントを用意しようかと思ったんだけど、何を渡せばいいかわからなくて。センスねえよな、俺」
「そんなことないよ、守」
震える声で言うと、夏海は頭を振った。
「守にそう言ってもらえることが、最高のプレゼントだよ」
守をまっすぐに見つめる夏海の視界は、涙でかすんでいた。守の端正な顔が歪んで見える。
何の前ぶれもなく、守の顔が近づいてきた。そして、次の瞬間には、柔らかく温かな何かが夏海の唇に触れた。
守の唇は、かすかに震えていた。守の熱い想いを受けとめるように、夏海はゆっくりと守の背中に両手をまわす。
固く抱き合う二人を、トンネルの出口から射し込む夕陽が淡いオレンジに染めあげていた。