友情
いつになく、テラスは静かだった。(ケータイ騒動)の影響なのか、テラスで昼食をとる生徒は少なく、かえって落ち着いて食事をするにはちょうどよい環境になっていたのである。
「それにしてもすごかったよね、あの時の夏海」
「あの時って?」
「ほら、西島先生にケータイ騒動の原因を聞きに行ったじゃない」
「ああ、あの時ね」
と頷きながら、夏海は内心に妙な気恥ずかしさが込み上げるのを感じていた。
「あの時の夏海はホント、すごかったよ。何か、頼れるリーダーって感じ」
「先生に怒られるよね、私たち」
不意に不安そうな表情になって、梢は言った。
「そうなったら、(塚本さんに無理やり誘われました)って言うからね」
「何でそうなるのよ」
「だってホントのことでしょ」
「確かに最初は私が誘ったかもしれないけど、梢だって西島先生に見とれてたじゃない」
「まあ、そうだけどね」
梢は悪戯っぽく笑った。
「だってホントにかっこいいんだもん、西島先生。教師にしておくにはもったいないよ」
「そう、そう」
などと同調しながらも、夏海は内心の焦りが徐々にふくらんでいくような感覚に戸惑っていた。弁当を食べても、何の味も感じない。
早く、謝らないと。昨日のメールも結局送れなかったし、このままだとケンカを解決しないまま終わっちゃう。
それでも、いいか。梢は昨日のケンカのことを忘れてるみたいだし。
いや、やっぱりそれじゃダメだ。梢がケンカを忘れていたとしても、私は今、はっきりと覚えている。もしここで謝らなかったら、きっと一生後悔する。どんなに辛くても、大切なことはちゃんと伝えないと。メールじゃなくて、自分の言葉で。
「ちょっと、聞いてくれるかな」
「何よ、急にあらたまって」
めったに見ることのない夏海の真顔に、梢は戸惑いがちに微笑した。
「あの、梢……」
夏海はそう呟いたが、あとの言葉が続かない。
あれ、おかしいな。言葉がうまく喋れない。メールではすらすらと心にもないことまで打てるのに、どうしてこんな時にかぎって頭が真っ白になるのよ。
「どうしたの、夏海」
「梢、私……」
「ちょっと、夏海。大丈夫なの?」
梢が心配げに眉を寄せる。見えないプレッシャーに、夏海は全身が急激に火照るのを感じた。
「夏海、顔が真っ赤だよ」
それは自分でもわかってる。わかってるけど、どうにもならないのよ。何だか、口の中がカラカラになってきた。
何を言えばいいのかは、わかってる。けれど、肝心の言葉が出てこない。どうしてこんなに難しいんだろう。ただ、自分の気持ちを素直に言葉にすればいいだけなのに。そう、今の自分の気持ちを……。
「昨日はごめんなさい!」
やっとの思いで、夏海は言葉を絞りだした。精一杯の力で吐き出された言葉は、テラスの天井に反響し、夏海の耳にも深く響いた。
「昨日って……何のこと?」
とぼける風でもなく、梢は聞き返した。
「昨日のお昼に、私、梢にひどいこと言っちゃって……」
「ああ、あのことね」
梢は軽く微笑んで、
「あのことなら、全然気にしてないわよ」
「ホントに?」
不安げに問いかける夏海に、梢はおかしそうに笑って、
「そんなことをいちいち気にしてたら友達じゃいられないって。だって親友でしょ、私たち」
「親友……」
梢の言葉が、夏海の心の中で何度も反響する。
いつしか、夏海は涙ぐんでいた。そして、(親友)という言葉を軽々しく使っていた自分が、たまらなく恥ずかしくなった。
「ありがとう、梢」
「どうして泣いてるのよ、夏海」
「おかずの味付けが辛くて」
「何よ、それ」
と言って、梢は呆れたように笑った。それにつられて、夏海も笑った。今までに経験したことのない感情が込み上げてくる。
何だろう、この楽しくてはずんだ気分は。もしかしたら、梢とこうして心から笑い合ったのは初めてかもしれない。
「何か恥ずかしいね、こういうのって」
「何だか、ホントの友情って感じ」
「ちょっと古くさいかな」
「いいんじゃないの。こういうのもたまには、さ」
二人はふたたび笑い合った。それは、何の計算も忍び込む余地のない、純粋な笑い声だった。
梢はちらっと壁の時計を見て、
「授業が始まっちゃうから、ホントに急がないと」
と焦ったように言った。
「じゃあ、私は先に行くね」
「うん。すぐに追いかけるから」
「遅刻は厳禁ですからね、塚原さん」
おどけた微笑を残して、梢は立ち去った。急がないといけないとはわかっていながらも、夏海はもう少しこのはずんだ余韻に浸っていたかった。守とのデートでも味わったことのないような高揚感が胸に込み上げてくる。
昼休みがもっと長ければいい――夏海は初めて、本気でそう思っていた。