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番外1・人、舌鼓を打つのこと

 王子の出番が一回限りは寂しいぜ、ということで。

 大神官は今日も毎日のお供えを終え、背筋を伸ばし軽いため息を吐いた。毎日聖霊石に水と果物を供えるのは大神官の役割である。季節の祭りや王室行事などのイベントがない今の時期はそれくらいしかすることがなく、あとするべきことと言えば割増請求で懐を温めようとする神官(クソ)ややる気のない神官(ボケ)の評価を下げて彼らの給料を減らすことくらいである。

「ふ、ふ、ふ……」

 大神官は昨日供えた果物を手にいそいそと自室へ向かう。前日のお供えものを食べるのは彼の楽しみの一つなのだ。前代の大神官は食べずに捨てていたらしいが、なんともったいないことをしたものだろうか? 聖霊石の前に置いておいた果物は『何故か』美味しくなるのである。食べずに捨てるなど出来ようはずがない。

 軽くなる足取りを自覚しながら果物を入れた籠を抱き部屋へ入った。机の上に置いて棚から愛用の果物ナイフと皿を取り出し、サクリと食べやすい大きさに切って口へ運ぶ。じゅわり、と口の中に広がる果物の甘さと爽やかさに顔が自然と綻んでいき、彼は今日も聖霊に感謝の祈りを捧げるのだ。

「いやー、本当に聖霊様さまさまだよな。俺菜食主義者になっちまいそう」

 以前試しに野菜を聖霊石の横に置いてみたことがあったが、この世のものとは思えないほど美味しかった。さすがに腐りやすい肉類を置くことはしないが、もし置いたらどうなるだろうかと思うと口の中に唾液が溜まった。

「大神官サイコー! ふふふ、ふはははは!」

 本来の彼は自堕落で不真面目であり、大神官などという責任の大きい仕事などお断りだと思っていた。だがすべては果物のため――食は人間を変えるのである。また彼は生来体の弱い性質であったが、大神官になってから病気知らずで体力もついた。まさに聖霊のご加護だと彼は信じている。

 果物もあと三切れを残すばかりとなり、彼は明日に思いを馳せながら残りを味わっていた。大神官としての義務も責任も、美味しい食べ物の前には軽いものである。彼は毎日が幸せだった。



















 だが幸せとは不幸があるからこそその素晴らしさが分るものである。――聞こえてきたのは幼馴染である男の大声、悲痛とはかくあらんと言わんばかりの悲鳴、「大神官様呼んで来い!」という叫び声。彼は立ちあがった。皿の上にはまだ二切れ残っていた。

「どうしたのですか?」

「大神官様……ああ、陛下が!」

 なぜなら彼は大神官。いくら彼が本当は口が悪いとしても、それを下級神官たちの前で披露するわけにはいかない。最近は丁寧語も板についてきた気がする。

 部屋を出て騒音の元へと向かえば、両腕に神官たちを鈴生りにした背の高い男が暴れまわっていた。男は魔獣により右の視力を失ったはずだが、どうして右の死角から飛びかかる神官を殴り伏せられるのかはなはだ疑問である。

「陛下!」

 大神官は男に――この国の王に走り寄る。これ以上暴れられては神官たちが大怪我をするだろう、止めねばなるまい。王はその強面をピクリと動かした。それが笑っている証しだと分ってしまう彼は自分が悲しかった。

「大神官様!」

「助かります、ああ、陛下をお止してください!」

 涙眼の神官たちがわあわあと彼に縋り、縋られても邪魔でしかないので振り払う。彼と国王の身長差は頭半分ほどであろうか――彼は国王を見上げながら長嘆息した。

「今日は一体何の御用ですか、陛下。また聖霊石の前で数日過ごされるおつもりで?」

「その通りだ。聖霊様の前に立ち、聖霊様のご降臨を待つ」

「降臨されるかも分らないのに?」

「必ず来られる。一度私のために降臨されたのだから」

 降臨しないと納得するまで聖霊石に話しかけるのだろうが、はっきり言って迷惑でしかない。政務は滞るし神官たちも緊張して失敗を繰り返すし、いい加減諦めてくれれば良いものを。

「……皆さん、陛下を放して差し上げなさい。陛下はこうなったら意地でも人の話を聞きませんから」

 国王は人の話を聞かないというか、人の話を曲解して自分の良いように解釈する天才である。彼はこれと幼馴染をしてそろそろ三十年になろうとしているが、一緒にいて得たものは学力や優れた人間性ではなく譲歩と諦めであった。

「ですが大神官様!」

「陛下が人の話を聞かないのはいつものことではないですか。もう諦めるべきです」

 そう。諦めこそがこの国で出世する第一歩なのだ。悟った表情でそう説く大神官の姿はその場の皆――国王以外の――心を打った。そういえば大神官様は陛下の幼馴染だったよな、じゃあ俺たちの何倍も苦労されているんだろう。大神官様お可哀想に……!

 神官たちは渋々国王を放し、国王は当然だと言わんばかりに鷹揚に頷くと聖霊石の元へと向かった。その背中を見送り、大神官は集まっていた神官たちに命じる。

「陛下などこの場にいないと思って行動しなさい。緊張のしすぎで怪我などしたら大変ですからね」

 あの男を風だと思えばさほどイラつかない。風はただ吹くだけであり、こちらが説得して風向きを変えようことなどできるはずがないのだから。

 そう言い切った大神官に皆涙する思いであった。ここまで悟るのに彼は一体どれほどの苦労を重ねてきたのであろうか? 自分の代わりに嘆く彼らを置いて、彼はさっさと自室へ戻る。他人の慰めも同情もいらない。彼が望むのはそう――美味しい果物だけであった。

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