その12・私、心配するのこと
うっかり大神官――と言うとドジっ子のように思えるが、その実態は底が浅いうえそれがバレバレな大神官――の前に顔を出してやれば、奴は摩擦熱で着火できるのではないかと思うほど手を擦り合わせ滂沱と涙を流した。純粋な子供が見たら泣き出すこと確実な顔に脂肪の腹、年齢かストレスか薄い髪。涙だけじゃなくて鼻水も出ていて汚いのなんの……。元大神官でさえ触れられない私に大神官が触れられるわけがないとは頭では分かっているものの、近寄られることも近寄ることも拒否したくなる様子だった。
土下座最中を飛ばすことも厭わない様子の大神官に内心顔が引きつる。そんなに嬉しかったのか、それとも切羽詰っていたのか。そんな彼が抱いているであろう私への夢を壊すのはあまりに可哀想で、私は真面目に威張り腐って声をかけた。
「人の子よ」
しかし早速泣きたくなってきた。なんかこういう言い方は厨二臭い――というか、念話的な何かで口を開くことなく≪勇者よ。悪を滅し、この世界に再び光を灯すのです≫みたいなことを言うRPGの女神っぽくて嫌だ。こんな羞恥プレイ誰が考えたんだ。――私か。
「はい、はいい!」
「お前の元大神官を思った祈り、しっかりと私に届いた。これからも精進し励めよ」
コイツが両手の指紋を消す勢いで私に祈っていたのを、年単位で放置したということを気にしてはいけない。
「ありがたき幸せにございます!」
「うん、ではな」
元大神官に訊けば私は光の塊に見えるそうで、姿かたちだけじゃなく名前さえ忘れた私の外側を形成するアイデンティティというものは現在存在しない。――そのうち本当にRPGの女神様になりそうで怖い。だから元大神官にはせいぜい私のアイデンティティ保持のため話し相手になってもらおうではないか。どうせ暇なのだ。大神官の前からフェードアウトしながら、私はそんなことを考えていた。それよりも切羽詰まった問題があることを忘れて。
神様神様と私の前に群がる貴族やなんやに気が遠くなる。人の噂も七十五日と言うじゃないか、そのうち飽きるだろうと自分で自分を慰めながらも、人口密度の高さにため息を吐く。
「神様、なかなか昇進できないんです」
こんなところに来るくらいなら仕事しろ。そういう勤務態度だから昇進がますます遠くなるんだ。
「神様、あの子が振り向いてくれないどころか蔑んだ目で見てきます」
あからさまに嫌われているとなぜ思わないのか。もしくはその相手がサドなのか。本人を知っているわけがない私にどうしろというんだ。
「神様、最近ある人を見ると心臓がドキドキいうんです。新種の病気でしょうか」
その病は私にはどうにもできん。さっさと病院に行って医者の苦笑いをもらって恋。
「神様、目の前を蚊が飛んでいるのに捕まえられないんです。それに時々視界の端でまぶしい光が差し込んでくるんです」
そりゃ飛蚊症じゃないか。網膜が完全に剥離する前にここへ来て良かったな。
「神様、私、虫歯になりやすいんです」
歯を磨け。甘いものを控えろ。それしか言いようがない。
――私に訊いてどうするんだと言いたくなるものから私がどうにかできる悩みまで、聖霊岩の上に寝転んでぐうたら過ごしている私に対し口々に言っている。半分以上は聞き流しているが、残りの半分には突っ込みを入れて遊んでいる。
しかしそんな中、深夜にゴソゴソとやってきた男がいた。人の前では言いにくい願いなのかもしれないなと横目に眺め、すぐに興味を失った。男は美青年だったのだ。
美青年という存在に対する印象はただ「最悪」としか言いようがない。妹の周囲に糞蠅か何かのように集り、強引なやり方で自分に振り向かせようとし、私を邪魔だと罵るくせに妹の前では借りてきた猫。顔も性格もしっかりしている男だって少なからず見てきたが、たいがいの顔面に自信のある男どもは我こそが妹に相応しいと言わんばかりだった。
まあ、妹は確かに美少女だった。街を歩けば必ず芸能関係者に呼び止められ、クラス内では妹の前後左右に誰が座るか男子で争奪戦が起きるのは毎度のこと。少々お転婆な面があるがそこがチャームポイントとなってかわいらしさを倍増させていた。
だいたい似たようなパーツを持っているはずの私は十人並みなのに妹は清楚で可憐な美少女ともなれば私が妹を羨んでも仕方ないことなのだが、私は毎日のように平凡な顔で良かったと思ったものだ。なぜなら、私が美醜について深く考えるようになる以前から妹には複数のストーカーが付いていたのだ。
置き勉したら盗まれる、体育の時間にスカートがなくなっている、道を歩けば露出狂が飛び出てくる、自宅のすぐ前で誘拐されそうになる――毎日顔色を真っ白にして逃げ帰ってくる妹の姿を見て、きれいな顔も大変なんだとしみじみ思わされた。
幼いころからトラウマになりそうな体験を毎日していた妹は人を見る目を育てたようで、うるさく飛び回る糞蠅共になびくことなんて一度もなかった。その鬱憤を晴らすためか蠅共はよく私に突っかかってきたが。
というわけで私の中では美形=ぼけナスという方程式が成り立っており、美形なんて死に絶えれば良いのにと真剣に思っている。上品な顔と美しい顔というのは≒であって=ではない。ちらりと見るに当該青年は美しい顔なのであって上品な顔ではなかった。
「あいつさえ生まれなければ私の甥が王であったものを……ふふ、呪われるが良い、クルトめ!」
クルトンってスープに入れるカリカリしたパンに似た何かじゃなかったか。そんなことを考えつつ青年のすることを観察していれば、青年は私の後ろに回って片膝を突いた。そしてノミと木槌を使いガリガリと私――聖霊岩を削りだした。何をしたいんだ。そして青年は小指の先くらいのかけらを三つ四つ削り取ると、それをハンカチに包んで再び夜闇に紛れた。いったい何だったんだか。
使用目的不明なまま持ち出された岩の欠片だが、どれだけ離れても私の一部は私の一部でしかない。壁に耳あり障子にメアリーとは私のことだ。私の一部はそのまま連れ去られており、どこぞに捨てるでもなく青年の懐中で温められている。信長公の草履みたいな気分だ。
二十分ほど歩いたか、青年は扉をノックして「イマヌエルです」と言うや、返事を待たず扉を開いた。インマヌエルって「神は我らと共に」って意味じゃなかったっけ? 聖歌でEmmanuel, Emmanuel God here with usって歌った覚えがあるんだけれど。なんともかんとも、たいそうな名前をもらったのね。というか、ここの世界の宗教は一体どうなっているのかさっぱり分からん。
「おじうえ!」
「ルドルフ」
青年を待っていたのは子供の声で、四歳か五歳かそこらだろうか。斜め下から届く声は高い。
「おじうえ、いしはどこですか、ぼくにもみせてください」
「ああ。だが先ずは座ろうか」
青年は私を取り出しながら少年を連れて歩き、どっかりと座った。ルドルフ君とやらが隣の椅子によじ登る音がしたのち私(の一部)が御開帳。――ルドルフ君はまだ幼いだろうに性格のキツそうな目つきに薄い唇、くるくる天パの美少年で、将来は糞蠅と同類になりそうな顔をしていると思ったとたん興味が失せた。
室内は小学校の教室二つ分くらいあり、精緻な天井画まで描かれた豪奢な部屋だった。ビロードのカーテンがかけられたステンドグラスにはどこか見覚えがあるような気がしてならない顔の女性が微笑んでいる。女性の背景には鬱蒼と茂る森に青く巨大な岩――あれ、これにもなんだか見覚えがあるぞ?
「とてもきれいですね」
「そうだな。聖霊岩は王家の守護岩――これを媒介に呪えば、クルトめもすぐに死ぬ」
「クルトがしねばぼくがおうさまになれるんですよね」
「その通りだ」
話について行けん。私を媒介に王家を呪うとはどういうことなのかさっぱり分らない。王家の守護なんて岩になってから一度もした覚えがないんだが……。あの話を聞かない奴等は思いこみと勘違いで行動するからな、私が守護していると思い込んでいるのかもしれない。とてつもなく迷惑。
「ああ、ルドルフ。きっと私がお前を国王にしてみせるからな」
「はい、おじうえ」
――ここまでの情報をまとめてみようか。ルドルフ君は王族だろう。この年齢、かつこの時間に王宮内にいるとなれば王族くらいしかいない。そして見たところ年齢は四つかそこら。年齢の割に大人びている言動で、クルトという名前の餓鬼――スープに浮かべるアレじゃなかったのか――が死ねば、次の王になる地位である、と。
もしかしてこの餓鬼、正妻の息子なのか? それ以外に思い付かないんだけれども。
「おじうえ、どのようにしてあのクルトをのろうのですか?」
「教えていなかったか。よし、せっかくだからお前もこの機会に知った方が良いだろう」
ルドルフ君が私をつまみ上げた。視界が少し高くなる。
「建国から続く各家にはそれぞれの守護石があることは知っているな?」
「はい」
へー。
「我がアルブレヒツベルガー家にはダイアモンド、テーアイ家にはルビー、ディングフェルダー家にはアメジストのように、それぞれ決まっている。アルブレヒツベルガーの者がルビーを持つことは許されていないし、テーアイの者がアメジストを持つことも許されていない。何故だか分るか?」
「いいえ、おじうえ」
アルブレヒト救助船、茶漉し、正しいフィールド。一体どういう基準で名字を付けたのか分らない。こちらの言葉が自動翻訳される私の耳にはそれぞれのご家庭の名字が愉快な変換で届く。
「違う家の守護石を持つということは、相手の家を呪うということだからだ。他家の者がダイアモンドを所有していた場合、それはその家が我がアルブレヒツベルガーを呪っていたということに他ならない」
「どういうことですか?」
「石の守護の力を歪めているからだ。つまり、真っ直ぐ届くはずの守護の力が他家の守護の力に影響されることにより歪み、力が変質するのだ」
つまり青年が言いたいのはこういうことだ。冷たい川の水が、回し水路を経由したらぬるくなった。冷たい川の水だからこそ冷却効果があるのに、ぬるくなってはその効果がない――そういうことだろう。にしても何で私は農業で例えているのだろうか謎だ。
「これは私が家に持ち帰り、隠しておく。分ったか?」
「はい、おじうえ」
ルドルフ君は良い子の返事だが、さっきクルトを呪い殺せば云々と言っていた。不穏だ。大人になった時対人関係で悩むんじゃないかってお姉さんは心配だよ。
お久しぶりですみません。USB行方不明事件はいまだ解決せず、そのまま迷宮入りするのではと思っています。I子(USBの名前)の文字が掠れてきてI子ではなくT子になりかけていますが、そういえばくら寿司(USBの名前)もオリゼーに改名したことを思い出し、時間とはそういうものなのだとしみじみ感じています。ついでに、全部で三つあるUSBですが、残りの一つの名前は「鶏」です。
鷲見に命名のセンスが皆無ということは分って頂けましたでしょうか? これからも生ぬるい目で見守って頂ければ幸いです。