その10・私、必死に考えるのこと
元大神官が倒れたという噂は神殿内を駆け巡った。帰ってきてすぐに病気で臥せるなんて、と皆さんは大混乱だ。もう年だからないんじゃないかと私はこっそり思ったけど、周囲の方々は八十まで生きたんだからまだ生きるに違いないと思い込んでいるらしい。まあ、見るからにピンシャンしてあと二十年は死にそうに見えなかったからそう思うのも仕方ない。老化によるガタというものは突然現れるものだ。
今代大神官は私に必死に祈りをささげ、何を祈っているのかと思えば元大神官の回復だった。あんまりに必死な様子にちょっと意外だ。黒幕はお前だとばかり。いや、あの男のことだから仮病を使っているのだと思って見舞いという名の確認に行ったんだけど、本当に真っ青な顔をして額に濡れタオルを置かれていた。本当に何か悪いものでも食べたみたいに下痢と熱の症状を出している。一体どうしたんだか。
「ああ、神様。助けてください……前々代様をどうか、どうか」
原因がこの男にはないようだし、一体何がどうしてこんなことになったのやらさっぱり分らない。元大神官は熱に浮かされながら「ああ、あたった……まさか……私が」なんて呟いている。何が当たったんだか。何の予想なのかさっぱり分らない。もしかして今代大神官が前代大神官を殺した方法の予想とか? でもそれだと話が繋がらない。もしこれが合っていたら「まさか私が」に続くのはきっと「まさか私までが暗殺対象になるなんて」だろう。今代大神官は原始的な方法で火を付けそうなくらい手をすり合わせて祈っている――この男がしたとは思えない。
他に考えられるのは神殿外部、つまり王宮のいざこざだ。ついこの間五歳の国王が立って、外祖父筋が傀儡政権にしようとしながら失敗している。王族はたとえ親族の話でも右から左に聞き流して自分の好き勝手するのを知らなかったのか、それとも一縷の望みをかけたのか。後者かな。後者だろうな。
でも外部がどうして元大神官を狙う必要があるのかが謎だ。たとえ元大神官が王家の中でも特に人の話を聞かなかった……じゃない、武勇に優れた名君――ということになっている。歴史ってこんなものだったのか――の親友――本人は笑顔で否定しそうだ――だとしても、今代の王に意見して聞き入れられるかというとそうでもない。元大神官はスルースキルを持っているだけであって人形繰り師の資格を持っているわけじゃないんだから。一応建国に携わったことになっている私の話も聞かない王族だぞ、一個人の話を聞くわけがないじゃないか。元大神官が今代の王の外祖父筋から王族を上手く操る方法を乞われて教えなかった、なんてことは起こり得ない。何より元大神官が神殿に帰って来たのはつい昨日の話で、会うことは不可能だった。接触など全くないのだ、恨みようもなければ足に縋り付きようもない。
「ああ、助けてください神様!!」
今代大神官がハラハラとあんまり美しいとは言い難い顔を涙でぬらす。可哀想だが、私にも分らんものはどうしようもない。ただ元大神官の快復を待っているしかない。
そう言えば私は癒しの塊なのだった。元大神官をここに連れてくればすぐに快復するんじゃないか?――ただそれを誰に言うかだ。誰に言おう誰に言おう……リヒトで良いか。
「リヒト、リヒトー!」
私の活動範囲は狭い。せいぜい神殿内くらいしか移動できないが、リヒトを探す位なら全く問題ない。今はきっと他の子供たちと一緒に寮にいるだろう。元大神官が病に倒れたんだ、室内で大人しくしてろと言われているはずだ。
「リヒト、キミに決めた」
「え、神様!? どうしたんですか!?」
寮のプレイルームらしき大きな部屋でドッジボールをしていたリヒトに声をかける。なんというか、元大神官が生き延びようが死のうがお前たちには関係ないだろうが自粛しろと言いたい。近くで苦しんでいる人がいるんだから。
「お前に伝言を頼みたい。今から元大神官の部屋に行き、そこにいるだろう元大神官の従者ハウルにこう伝えてもらいたい。『今すぐ元大神官を聖霊岩の前に連れてくるように』と」
「元大神官様?」
「うむ。神官に訊けば教えてくれるだろうから、早く行ってくれ」
「わ、分りました!」
リヒトはなんだか嬉しそうにしながら部屋を駆け出て行った。
私がゆうゆうと岩の元に戻っている間に神殿内は騒がしくなり、担架だキャリーだなんだという怒号まで聞こえてきた。そういえばここまで連れてくる方法なんてさっぱり考えていなかったな。今代大神官は眉間にしわを寄せて走ってやってきた神官を捕まえて詰問しだす。そりゃそうだ、蚊帳の外だったから。
「一体どうした!」
「か、神様が元大神官様を聖霊岩の前に連れてくるようにと仰られたそうです! リヒトがそう仰ったと申していましたのでっ」
「そ、そうか! 元大神官様は助かるのだな!?」
「たぶんそう、かと」
「そうかそうか。なら良かった――良かった……」
そんなに不安だったのか、大神官。そりゃあ元大神官が死んだ時真っ先に疑われる地位にいるからな。前代はコイツの指示で殺されたんだし。
大神官は長嘆息すると、肩を丸めて頭をがくりと下げた。心労で禿げそうな勢いだったから当然かもしれない。そして、何かに気付いたのか「ん」と声を上げた。
「おい、お供えの果物はいつ変えたんだ?」
「はい? 私は存じませんが」
元大神官が持って行った。嬉しそうに。
「そうか……。ああ、実は今回のお供えものの中には完熟したモノを食えば中毒症状を起こす果物が混じっているらしくてな。捨てる時は燃やす様に言うつもりだったんだが」
……元大神官が持って行った。嬉しそうに。
『当たった』というのは、これ、か。神殿から担架で運ばれてくる元大神官を見ながら、私はとても、生ぬるい気持ちになった。これは、ああ、不幸な事故だ。うん。