その1・私、聖霊になるのこと
初めまして、鷲見みずくと申します。『何様、俺様、聖霊様』を楽しんでいただければ幸いです。
注意としましては、だんだんと残酷な表現を入れていく可能性が高く、あまりそういったものを好まれない方には不快に感じられる可能性があります。不快であると思われます方はここで引き返してください。
気が付けば宝石の前に立っていた。いや、前じゃないな、上だ。宝石は大きさにして高さ十三メートル、幅五メートル、奥行き七メートルはあり、青と緑が共存した素晴らしいものだった。削りだしたらともかくとして、この大きさだったら軽く国家予算はあるんじゃないのかな。――その上に浮かんでいたんだから、私は一体どうしたって言うんだろう?
私に何が起きたと言うのか、何故こんな場所にいるのか――分らない。だから少し記憶を辿ってみよう……。
初任給の手取りは十七万だった。税金とか天引きとかで抜かれたけど、初めてのお給料となると感慨深いものがあり凄く尊いものに思えた。のだけれど。
「ねえねえお姉ちゃん、お給料出たんでしょ? 服買ってよ!」
「えーっ!?」
「今お姉ちゃんお金持ちでしょ? ゲームしてばっかしないでさ、買い物行こうよー、服買ってよー」
ちょうど給料日の翌日が土曜日だったからか、腰にすがり付いて妹が服だの鞄だのとねだってくるのを引き剥がし、ベッドの上に放り投げる。ええい、今翼人を撃破しておるのだ邪魔をするな!
「わーん、無体な! あーれーお代官様ー!!」
「誰がお代官様じゃ! あんたには色々と奢ってくれる彼氏がいるでしょうが、この金は貯金に回すの! あんたには一銭も使いません」
「よっ君は別なの! 私はお姉ちゃんと買い物に行きたいのよー!!」
私の妹は美人だ。同じ両親から生まれていることは分るくらい私たちは似ているが、妹は両親の良いパーツの組み合わせで生まれたけど私は凡庸な組み合わせになった。横に並べば姉妹と分るのにこの差は歴然としていて、友人からは良く慰められたものだ。あんたはボーイッシュ路線で行け、と。どこが慰めなのか分らなかった。
そしてそんな可愛い妹には蝶――と言えば聞こえは良いが、蝶やら蛾やらが群がって来る。で、妹はその中でも両親も認める好青年である洋介君とお付き合いをしているのだ。実家が裕福なご家庭で、本人も少しおっとりしているがしっかりした青年でとても好ましい。美人は見る目がないとか言うけど私の妹に限ってそれはなかったようだ。良かったね我が妹よ。そのままゴールインしてくれても私たちは構わないって思っているよ。
「私と、ねえ」
「うんうん! お姉ちゃん最近ネトゲばっかりでしょ!? 可愛い妹と遊ぼうとは思わない!?」
そういえばこの妹は、こんな平凡な私を好いてくれるなかなか奇特な性格の主だった。高校時代ネトゲにハマってヒッキーと化していた私に良く愛情表現ができるものだ。もちろん今でもネトゲは大好きだが昔ほどじゃあない。
「しゃーね、行くか」
「わーい! お姉ちゃん大好き!」
「それは洋介君に言ってあげな。洋介君泣いて喜ぶよ」
抱き着いてくる妹をいなしパソコンをスリープにし、私は室内着から外出着へ着替える。流石にスパッツにTシャツで外には出られない。
「お姉ちゃんお金持った?」
「私にたかるな」
一応三万くらい持っていれば映画見たり何か買ったりするには足りるだろう。千円札が二枚入った財布に諭吉さんを三人追加し、実用一辺倒の鞄に財布を突っ込んで部屋を出る。妹は服の用意をしていたのか意外に早く用意を終えていて、白いワンピースにふわふわの上着を着ていた。上着の名前なんか分らない。カーディガン? キャミソール? キャミソールって何だったっけ?
少しサイズが大きめのシャツにジーパン姿の私に対し、妹はなんと可愛らしいことか。友人をして谷女(胸がえぐれている)と言わしめた私、きょぬー族ではないものの上着の上からでも分る胸の持ち主である妹。街へ出ると街頭アンケートのねーちゃんに『そこのお兄さん』と呼びとめられる私、軟派男が次から次へと絶えない妹。ちょっと情けない気もするが逆ハーレムを作りたいなんて願望がないから別に羨ましくはない。
腕に絡みついてくる妹と電車で街へ出る。三十分もせず着いたそこは県内でも開発された都市で、『街に出る』とはここへ来ることを言う。ちょっと値が張るが美味しい店とか某屋根裏部屋とか、色々と回って遊んだ。妹のことは嫌いではない。それどころか好きだ。
友人と一緒に遊ぶのとは違う気安さにいつの間にか私も遊びに熱中し、気が付けばもう夕方の五時半を回っていた。我が家の夕食は七時前、そろそろ帰るべきだろうということで妹に連絡を任せる。信号を渡ればすぐ目の前は駅だ、帰り道はテンションが下がるから気をつけないとな、と疲れた頭で考える。妹が母さんと談笑しているのを横耳で聞きながら車道の信号が赤になるのをぼんやりと待っていた、その時。
暴走した車が、十字路を直角に曲がって現れた。電話に夢中の妹はチラリとそれを見ただけですぐに会話に意識が戻る。――駄目だ、話に夢中になっている場合じゃない……! 妹は少ししか見ていないため分らなかったようだが、車はそのまま私たちのいる歩道へ突っ込んでこようとしていたのだ!
どうする、どうする!! 妹は顔を蒼褪めさせ、助けを求めるように私を見つめた。妹の大きな瞳がこれでもかを見開かれている。私に恋人はいない。友達はいるにはいるが、私の死をいつまでも引きずるタイプじゃないだろう。だが、妹には洋介君がいる。私は笑った。妹を突き飛ばし、ついでにその場にいたおばちゃんとちっちゃい子の二人連れも突き飛ばした。そして――
「いやああああああお姉ちゃん!!」
妹の悲鳴を聞きながら、意識を飛ばしたのだ……。
さて、それでは今の状況を良く考えてみよう。私――半分透けている。そしてなんともはや浮いている。周り――鬱蒼と茂る森。これはもしや、異世界トリップと言うのではなかっただろうか。妹よ、君のお姉ちゃんはどうやら異世界にきてしまったようです。
「とか、ないないナイン」
ありえない。霊体でトリップとか、それも人気のない森の中とか寂しすぎる。本当にもう……美形の王子に拾われて逆ハーレム! とかじゃなくて良いからさ、人間と触れ合える方が良かったよ。ていうかハーレムは妹で見慣れているから是非とも遠慮したい。あれは男たちの目が怖かったのなんの、『男だろうが女だろうがコイツに近付くんじゃねェ!』と言わんばかりの目で睨んできたくせに、私があの子の姉だと分るとすり寄って来たあの汚さよ。でも異性に対する幻想が早々に打ち砕かれたおかげで悪い男に引っ掛かることもなく、男に引っかからない代わりに女が引っかかったことが頻繁にあるけれども、二十数年を気楽に過ごせてこられたわけだから良かったというべきなんだろう。うん。
「はぁ……」
ため息を一つ吐いて体勢を変え、足元の巨大な宝石――というよりは宝岩に腰かける。これは石じゃありません、岩です。
重さのあまり地面に深々と刺さっているようで、きっとこれは全長十五メートルを越えているに違いない。ここがどんなところなのかは分らないけれど、きっとそのうちここにも人間がやって来て私を切り売りして行くに違いない――って、あれ?
「何で『私』とか考えちゃってんの?」
この岩が私なはずがないじゃないか。私はただの霊体であって石なんかじゃない。撫でるように岩の表面をくるりと触ればなんだか温かいものが伝わってきた。岩が発熱しているわけでは……ないよね。心まで温かくしてくれそうなその波動は掌から伝わり腕を駆け上り、心臓まで届いてから全身に波紋状に広がった。知識、いや、この宝岩の記録が伝わって来る。大地が生まれると同時にこの地に注がれた『神の恵み』が数万年の年月をかけて成長したものが、この宝岩。そして長い年月を経て得たのが――私と言う自我。……あれ? おかしくない?
普通、自然発生的に自我が宿るものだと思っていたんだけど違うのだろうか。私が特殊なのかそれとも精霊とはそんなもんなのか。これじゃあ全国の異世界トリッパーさんたちは皆聖霊になるのか?――それはないか。きっと恋愛や冒険に心躍らせていらっしゃるに違いない。私と違って。
それにしても、これでは異世界には来られはしたけど恋愛方面に行けないな。誰が好きこのんで半透明で後ろが透けている女と恋をしたいもんか。責任者連れてこい責任者。そりゃあ男に対して夢なんてさっぱり抱いてないけどさ、恋の一つや二つしてみたいと思う乙女心が分らんのか。これは酷すぎる。
「はぁぁぁぁぁ……」
私は膝を抱えて長々と嘆息した。周囲に人の気配はない。孤独死という言葉が浮かんだが、精霊に死の概念はなさそうだった。
10/10加筆。