運命に見捨てられた王女は、理想郷を血で塗り替える
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運命に見捨てられた王女は、理想郷を血で塗り替える
「分かってくれ、ソフィア」
分かってくれ。何度目の言葉だろうか。
婚約者として参加するはずだった晩餐会。
私の故郷の使者との面会。そして今日の王城での正式な挨拶。
もちろんレオンハルト様が忙しいことは理解している。彼はこの国の騎士団長だ。民を守る責任がある。
だから私は何も言わなかった。
「ええ」
王女として、未来の王妃として。
相応しい振る舞いをしなければならないと思っていた。
「君のためなんだ。未来の王国のためになることは君のためにもなる。そうだろう?」
「そうですね。レオンハルト様」
最近、胸の奥に小さな疑問が残る、私は本当に婚約者なのだろうか。
「行くぞ。エリス」
「はい、団長様」
副団長のエリスがにこりと微笑む。レオンハルトに妙に近いその女。
騎士という役職にしては妙に色気のある長髪、その姿は鎧よりも夜会服の方が似合うように思えた。
騎士団の懇親会で今日も忙しいらしい。統制をとるためには仕方が無いのだそう。
戦争とかならまだ分かる。確かに急を要する。
急ぎの用事でもないのに……。
「行ってきますね、王妃様」
エリスは見せつけるような笑みを浮かべたまま歩いて行った。
ソフィアは微笑んだまま二人を見送る。
王城の廊下を並んで歩くその姿は、まるで本当の夫婦のようだった。
◇
帰りの馬車は雲がかかって薄暗かった。
「あなたには失望したわ。ソフィア」
このどこまでも続く曇り空は私の未来を表しているかのようであった。
「この婚儀に国の命運がかかっているのですよ。それを良いようにあしらわれて……」
私の国、宗教国家ルミナスは、この大国アルカディアの資金援助を受けてようやく立っているにすぎない。ルミナスの末女として生まれた私、ソフィアは政略結婚の駒として王子レオンハルトとの婚儀に利用された。
「すみません、お母様」
母は不機嫌そうに窓を見つめている。
かくいう母も政略結婚でルミナスに嫁いできた身である。
数十年前、国家間の戦争が止まらない時代、ルミナスは神の強大な加護からアルカディアと並び、四強国と言われるほどの権力があったらしい。
戦争を終わらせるために、アルカディアとルミナスが手を組んだ。アルカディアの軍事力にルミナスの神の加護を合わせることで、世界平和は為された。これが近代の大陸史である。
だがそれはもう昔の話だ。
その関係は形骸化し、いつしか神国の正当性と強大な神の加護のみを捧げるだけの関係となってしまった。
平和な世の中では、その事実を知るものはもう少ない。
私は馬車の外を眺める。おとぎ話のような空間が広がっている。
アルカディア王国。
古い言葉で理想郷という意味のこの国。豊かな自然があふれ、通りには色とりどりの植物の園が年中植わる庭。魔力をふんだんに使った街灯と豪奢な住宅街がこの国の栄華を物語っている。 ……しかしそれは、理想とはほど遠いものであった。
母は道ばたに目をやった。
「道を逸れれば、ああなるのよ」
きれいに切りそろえた花壇の中で、貴族が庭師を踏みつけている。街路の脇には、無数の飢えた人々が見える。 ……それはルミナスが崩壊したときに待っている姿なのだろうか。
母はソフィアの頭を撫でる。
「あなたが優しい子なのは分かっているわ……」
母は悲しそうな目をした。まるで私にこんなつらいことを押しつけたくない、とでも言うかのように。けれど母もまた王族として逃れられないものを背負っている。
「でも、婚約の儀は世界のため、果ては私たちのためでもあるのよ」
その正論に対して私は、「はい」とだけ呟くしかなかった。
かかとがひどく腫れている。履き慣れない儀礼用のヒールで靴擦れしたのだろう、本当は今すぐにでも放り出したいほど痛くて仕方が無かったが、公衆の面前で我慢せざるを得なかった。
美しいドレス、きらびやかな衣装。周囲から見れば大国との婚儀を控えた幸せな王家に見えるのかもしれない。けれどその裏側では歩くことすら苦痛だった。
いつになったら終わるのだろう。そう思いながら王都の仮住まいへと馬車は進んでいく。
灰色の空は、どこまでも続いていた。
◇
翌朝、アルカディアの神殿にて。
今日は王都の神殿で行われる儀式があった。
それは両国をつなぐ神への感謝を示すものであった。
「まだ来ないの……?」
開始の刻限はとうに過ぎている。
母はいらだちを隠せず、ルミナスの神官も困ったような表情をしていた。
そこに、一台の馬車が神殿へ滑り込む。
「おまたせしました!!」
扉が勢いよく開き、馬車から飛び降りるレオンハルト。急いで駆けつけたのだろう。礼服は少しよれ、髪は少し乱れている。
そのすぐ後ろから、当然のようにエリスが続いた。
彼女もまた、乱れた髪を手ぐしで整えていた。
「すまん、ソフィア。巡察が長引いてな」
私は引きつった頬を横に延ばす。
何度見せたか分からない愛想笑いを浮かべる。
「構いませんよ」
エリスと二人で一体どこを巡察していたというのだろうか。
つかつかつかとヒールを鳴らし、母が王子に詰め寄る。
「待っていましたよ、レオンハルト王子」
「こ、これは、母上殿」
「よろしいですか!? これは単なる儀式ではありません。ルミナスとアルカディア。二つの国が長きにわたり結んできた盟約の証なのですよ!?」
「ははは、申し訳ない」
ぽりぽり、と頭をかきながら謝罪をするレオンハルト。周りの貴族はあくびをするものまでいる。
これはルミナスの加護で大国アルカディアの軍事力を維持するための儀式でもあるのだが、平和な世の中では実感しにくい。大国アルカディアとその国力に寄生するルミナス。むしろその印象が強い。
彼らにとっては古びた盟約を確認するだけの退屈な時間にすぎないのだろう。
……そして、私はレオンハルトの横顔をチラリと見た。
気のせいと言えば気のせいなのかもしれない。母に怒られているときも、その視線は私ではなく、隣に立つエリスへと向いていたような気がする。
「では、行こうか。ソフィア」
私たちは二人、奥の祭壇へと向かう。
「……巫女様も大変ですわね。団長様を繋ぎ止めておかなければいけないなんて」
と、エリスは去り際に捨て台詞を吐いた。
一体、どういう意味だろうか。
その一言が、私を狂わせそうになった。
だが、私は自らの内なる声に聞こえないふりをする。私が間違っている、こんなことに腹を立てたり違和感を持つのはおかしいことなのだろう。
そのとき、貴族の誰かが発した、
「エリス様、昨晩もご一緒だったみたいですわね……」
「ソフィア様、気の毒に……」
という声を私は聞き逃さなかった。
◇
儀式の後は夕食会がある。ようやく私とレオンハルト様だけで向かい合う時間が訪れる。
先ほど耳にした陰口が、まだ頭から離れない。
「そういえば、今日の巡察もエリスがいて助かった」
……また、その人の話。
胸の奥が小さく痛む。それでも私は笑みを崩さない。
「彼女は本当に優秀なんだ。判断も速いし、騎士たちからの信頼も厚い、さすが令嬢といったところだろうか。彼女には天性の統率力がある」
……いけない。レオンハルト様を疑うなど、婚約者として失礼ではないか。
「令嬢なのですね」
「ああ。シャルロット商会って聞いたことあるだろ」
シャルロット商会。たしか大陸の武装、物資を一手に担う最王手の商会だ。
彼は口を拭いながら言った。
「彼女はそこの支配人の娘なんだ」
「そうですか……」
私は黙々と食事を口にしている。
「それだけじゃない……彼女は僕と同じ、大陸神の加護を得ている。神に選ばれたものはやはり何かが違う。判断力も才能も周囲を導く力もな」
神に選ばれた者、その言葉を私は心の中で繰り返した。
神といえば、私は神国ルミナスの巫女。むしろ私の方が……。
「君も彼女を見習うといいよ」
レオンハルトはにこり、と頬を緩ませ、そう言った。
少し私は灸を据えてやることにした。
「見習え……ですって?」
「おお、そうだよ。」
「つまり私は、昨夜を共にされた方を見習わなければならない。と」
その言葉にレオンハルトの笑みが凍り付いた。
「……誰から聞いたんだ」
「さあ。ですが……」
私は紅茶を一杯啜る。
「国中で噂になるようなことは慎むべきですわ」
レオンハルトは、一気にほおを赤らめた。侮辱されたと感じたのだろうか。
彼は、ばん、と机を叩いた。
「守られるだけの君に何が分かるんだ! 君には何も分からないだろう? 僕の責任も、エリスの心労も!」
君には何も分からない。
私の心労など、かけらほども理解してはいないくせに。
「……団長としての責任のあまり、エリス様と遅刻をし、大事な会を何度も欠席してしまった、そうおっしゃりたいのですか?」
「そういうことを言っているのではない!!」
ではどういうことを言っているのだろう。私には最後まで理解できなかった。
問い詰めたいことは山ほどあったが、私はこれ以上の詮索はやめることにした。
「申し訳ない。少し取り乱した。とにかく、明日の婚約の儀は丁重に行わせてもらう。君も今日のことは水に流すといい」
と言い残し去って行った。
彼は私の言葉の半分も聞かないまま、自分の気持ちをばらまいて去って行ったように見える。彼にとって問題だったのは、私を傷つけたことではなく、感情的になってしまったことだったのだけかもしれない。
騎士団長としての誇りある自分、それを取り戻すための台詞。
それが私にはそう聞こえた。
◇
婚儀の日。
ルミナスとアルカディア、二つの国の未来を決める日。神官たちはすでに揃い、参列者も席に着いている。
それでも隣に立つはずの人間だけがいなかった。
「まったくあの王子は……」
母の顔には怒りよりも諦めが混じっていた。
私はただ静かに待つ。
もう何度、この光景を見ただろう。そしてきっと私の我慢は続いていくのだろう。
たとえエリスとどんな関係を匂わせたとしても、私は我慢する。
世界平和はアルカディアの権威によって保たれている。ルミナスは神の加護を捧げ、その均衡を支える。私はそのための巫女。
私が耐えれば、血が流れることはない。私が泣けば、多くの人が笑っていられる。
どちらが大切かなんて、考えるまでもない。
私はこみ上げてきた涙をぐっとこらえた。
しばらく待って、一刻ほどして、ようやく扉が開いた。
「すまない、遅れた」
レオンハルト様と、その後ろには、エリスの姿。
昨日の約束はどこへやら、いつものようなへらへらとした笑顔をこぼしている。
「王子、また遅刻なさったようですけど……」
レオンハルトはすっと、母を遮るように手を差し出した。
「待っていただきたい。その前に、大事な報告がある」
大事な報告……? レオンハルトが何を言っているのか、私には一切理解できない。
彼はその一言を口に出した。
「婚約を破棄させてもらう」
「おっと、式場が余ってしまったな。じゃあ、この式場は――」
そして、レオンハルトは横の女騎士の背中に手をやった。
「エリス、君のために使うとしよう」
「な……」
その言葉に母が動揺した。
「その選択がどれほど愚かなものか分かっているのですか!?」
「どうか落ち着いてください。王妃殿下」
「落ち着けですって……!?」
「じゃあ、多数決をとろう。何か反対意見のあるものはいるかな?」
パチ……という音が響く。それを合図したかのように、拍手は瞬く間に式場に広がっていく。パチ……パチ……と言う音が広がる。その宣言を疑う者は貴族の中に一人もいない。
誰一人として異を唱える者はいない。……最初から決まっていたのだ。
「計画通り、というわけですか」
私は皮肉を込めてレオンハルトに言い放った。
「すまないね。ソフィア。だが、君にもこの方が良かったのではないか?」
エリスは薄ら笑いを浮かべている。
「団長の妻になるには、少し荷が重かったみたいね。ソフィア様」
「すまないが、僕にはエリスの方がまぶしく見えたんだ。分かってくれ」
そう言って、バージンロードを歩いて行く二人。
「……そう。それがあなたたちの選択というわけね」
私はもうこの人たちには何を言っても無駄だと思ったが、母はそれでも食い下がった。当たり前だ。この婚儀にルミナスの命運がかかっているのだから。
「中止よ!!中止!!そんなこと許されると思っているのかしら!!」
「うるさいな……」
「レオンハルト王子!!これは国際問題……」
どすっ、っと言う嫌な音がした。
母の胸元に剣が突き刺さっている。
「これは……どういう……」
お母様……。そんな、どうして……。
私は目の前で起こっている出来事が理解できなかった。
「ルミナスの神官たちを捕らえろ」
レオンハルト王子が手を振りかざすと、騎士たちが一斉に現れる。
「……こんなことが……、許される……とでも……?」
息も絶え絶えの母。レオンハルトは端麗な顔を歪ませ、氷のような視線を母へと向けた。
「では、ルミナスを属国にしよう。神の地を手中に収めれば、もはや外交は必要あるまい」
にやりとその狂気とも言える笑みを浮かべた。
「安心してください。無意味な殺戮はしませんよ。ただ、侵略するだけですから」
騎士にとって、戦争や侵略は当然のこと。彼にとってこれはただの改革にすぎなかった。
「牢にでも連れて行け。……式場が汚れる」
死にゆく母を無造作に引きずっていく騎士。
「お母様!! お母様……!!」
私は母に近づこうとした。しかし、
「ソフィアを行かせるな」
私は騎士に押さえつけられる。体が動かない。母との死に目に私は会えないのだろうか。
「離してください!!」
ははは、と愉快そうに笑うレオンハルト。
「だめだよ、ソフィア。敗者には敗者の役目がある。母の最後も、僕とエリスの門出もその目で最期まで見届けろ。……これが僕に逆らった罰だ」
「離して!!」
無情にも母との距離はどんどん遠ざかっていく。
「ソフィ、ア……」
母は何かを伝えようと震える唇を動かしていた。だが、その声は最後まで私に届くことはなかった。
「なんで、そんな……」
ぽたぽた、と目から涙がこぼれていく。今朝まであんなに元気にしていたのに。
もう母の笑顔を見ることは出来ない。お話をすることも出来ない。
信じられない。今目の前で起きたことが理解できない。
母は……母は……。
「どうして」
レオンハルトが私の方を見る。
「どうしてと言われてもな。勝ったものがすべてを手に入れる。それが当然だろう」
「一目見たときからエリスを選んでいた。でも彼女は王都一の高嶺の花。すでに、山ほどの王子や御曹司、僕よりも年上で、才能に恵まれた者たちが彼女を望んでいた」
「だから僕は自らを鍛え上げた。僕はどうしても彼女の一番になりたかったんだ。だから努力して、努力して、努力して、努力して!!」
ぐぐぐ……と男は拳に力を込める。
「なのに君みたいなちんちくりんを妃に娶れだって?」
「僕の気持ちこそ分かって欲しいよ」
「だが」
レオンハルトは床を見る。バージンロードが血に染まっている。
「母のことはすまなかったな、ソフィア」
とは言いつつも、心底どうでもいいものを見るような目をしている。
本当に謝る気などあるのだろうか。
「しかし、死んだものが蘇ることは出来ないんだ。僕だっていろんな者を亡くしたさ。戦友もたくさん亡くした。兄もね」
「だから君にも理解して欲しい。そして、前を」
悲しげな表情をしていた男はふと、名案が思いついたように、表情を変えた。
「そうだ、君が側室になれば、幸せになれるじゃないか」
「……側室?」
その言葉に、ぷち、と何かが切れる音がした。
この男は何を言っているのだろうか。
散々裏切った末に母を殺した者の側室になれば、全員幸せじゃないか?
それで本当に丸く収まるとでも思っているのだろうか。
「僕が奪ってしまった家族は僕と作る。過去は取り戻せないが、未来は変えられる。君の悲しみは時間が解決してくれるよ」
「まあ!、団長様、側室なんて! 私の目の前でそんな約束をするんですか?」
「ははは、嫉妬するな。王たるもの二人や三人、妻がいるものだろう」
「私が一番ですよ?」
「当たり前さ」
二人の笑顔が歪んでいる。
どうして、笑えるの。
エリスが嬉しそうに肩を寄せている。その足下には血で滴るバージンロード。
……どうして、あなたたちは人の死を踏みつけに出来るの?
私はふらふら、とレオンハルトに近づいていく。
「なんだい? 抱擁ならエリスの後にしてくれると助かるんだけどなぁ」
「……返せ、……返せよ」
気づけば私は懐へ手を伸ばしていた。
誕生日の日に母から贈られた小さな果物ナイフ。
笑顔で受け取ったその刃を、私はレオンハルトへ向けていた。
「返す?何を?」
「お母さんを……」
レオンハルトは困ったように微笑みを浮かべた。
「ああ、そういうことか。さっきも言っただろ。返せったって死んだものはどうにもならないって……」
レオンハルトは、満面の笑みで両手を広げた。
「家族なら僕がいるじゃないか」
「返せええええええええええええええええ!!!!」
しかし、
「おっと」
刃は無情にもレオンハルトの指先で止まってしまった。
「危ないじゃないか。刃をむけたりなんかしたら」
掴まれた刃は私がいくら力を込めても動かない。決死の殺意を、レオンハルトのたった二つの指に阻まれている。
ひょい、と刃を奪うと、それをレオンハルトは安全なところへ投げ捨てた。
「……お母様を亡くされたばかりですものね。取り乱すのも無理はありませんわ」
エリスは悲痛そうな表情を浮かべている。
「でも、亡くなったお母様も安心でしょうね。夫が団長様なら……」
「ああ。僕がきっと全員幸せにしてみせるさ」
「娘が王妃様……あら、側室でしたわね」
「お願い……」
武器も持たない私は、レオンハルトの腰に体を押しつけて無様にすすり泣くだけしかできない。
「無理だよ」
彼は困ったように笑うだけだった。
ずっと、抑えていた。
お母さんのために。「優しい子ね」っていってくれたお母さんのために。
そして私のルミナスのために。
そうだ。
この世界が悪いんだ。この腐った世界。そしてこの二人がお母さんを殺したんだ。
誰か、私に力をくれないか。
力。そう、力が欲しい。
このにやけ面のこいつらを叩き潰すほどの。二人の幸せを全て奪ってやれるような、
すべてを壊す力を……!!
「さ、続き、続き」
ガシャアアアアアアアアアアアアン!!
静寂が切り裂かれる。それは青天の霹靂のように、轟音を立てて現れた。
バラバラと崩れていくステンドガラス。私を覆っている色鮮やかな虚構の日常を破壊していく。その向こうに広がっていたのは、どこまでも果ての無い青空であった。
砕けた窓から黒い外套を纏ったものたちが姿を現していく。
「やれやれ、また邪魔者か」
しかしレオンハルトは最高の騎士。全く動じる気配がない。
「僕が非番の日を狙ってきたのかな?」
ははは、と外套の一人は笑う。
「そうだな。かつてお前が、俺を殺しに来た日のようにな」
「なっ……!!」
黒い外套の一人、指導者とみられる人物がフードを取った。
「この腐った世界を変えに来た。観念しろ。レオンハルト」
その顔を見た瞬間、レオンハルトの表情が変わる。
レオンハルトとうり二つの顔。しかし、その顔には大きな傷が入っていた。
「兄上……生きていたのですか」
「ああ、しぶとく生きてやったよ」
ソフィアは目を開いた。レオンハルトの兄、ジークハルトは政争の末暗殺されたと聞いていたが、生きていたのだ。
「ジークハルト王子!?」「生きていたのか……」
貴族たちに波紋が広がる。
団長たるレオンハルト、そして副団長のエリス。王国最強とうたわれた二人。
だが、状況は決して有利ではなかった。戦いの準備など当然考えていない。あるのは護身の剣のみ。
主力のほとんどは遠征中。護衛の騎士たちも少数。
ジークハルトはそれを理解した上でこの日を選んだのだ。
だが、レオンハルトは剣をとった。迷い無く。堂々と、そして勇敢に。
「いいでしょう。もう一度、兄上に僕が引導を渡してあげましょう。お集まりの皆様……これは正式な王位継承の儀式にございます。次の王は兄上か僕か。是非その勝敗を見届けていただきたい!」
ばっ、と手を広げる。
「どうかご安心を! 王国の剣として、僕が、兄上、いや賊から皆さんを守ることを誓いましょう!」
王国一の騎士の矜持を感じる壮大な背中に貴族たちの拍手と安堵の声が聞こえてくる。
その様子をジークハルトが鼻で笑った。
「……相変わらず、口先だけは達者なようだな」
「何を言いますか。僕は口先だけでこの地位に立ったわけではありませんよ」
「そういう所だ、弟よ」
兄は手持ちの剣を再び構え直す。
「……まあ良い。剣を抜け。お前が本物かどうかはそれで分かる」
「望むところです」
二人の剣先が向かい合った。
剣を構え、間合いをとる二人。
「もう一度死にに来るとは面白い男ですね」
その言葉に対して、ジークハルトはふふ、と笑いをこぼした。
「俺が一騎打ちでお前に負けたことがあるかな?」
「相変わらずおしゃべりな口だ!!」
ガギン!!
一合、剣が交わされる。
「……気が早いじゃないか。昔から愚かなところは変わらないな」
「死に損ないが!!」
ガギン!!
さらに剣が交わされる。
「僕は民のために生きると誓ったのです。邪魔をしないでいただけますか?」
「……父上が倒れたあの日、俺を殺そうとしたお前が、今更、民のためなどと宣うのか」
ギン!!ギン!!ギン!!
何合打っても決着はつかない。レオンハルトの眉がわずかに歪んだ。
「もういい。エリス、加護だ!!」
「はぁい!レオンハルト様!!」
エリスも晴れ舞台での共闘を嬉しく思っているみたいだ。少し陶酔した様子で、手をレオンハルトへ翳した。
「兄上はもう賊なんだ。もう、神の加護を得られはしない」
余裕ぶった表情で命令を下す。エリスも久々の共闘に興奮を隠しきれない様子だ。
エリスが手をかざした。
「兄上!! 王国の正義はどちらにあるのか、その身で知っていただこう!!」
しかし、灯されるはずの光はなかなかレオンハルトには包まなかった。
「どうした、エリス!!加護はまだか!?」
だが、その手から光が発せられることはなかった。
「光が、光が出ないわ……?」
光が出ない。それは当然の結末であった。神国を裏切ったものたちに力を使う権限など与えられるはずがないのだから。
兄は呆れたように立っている。
「……レオンハルト、やはりお前は王になる資格など無いようだな」
「何を言うか!! 俺は神に選ばれているのだ!! エリス!! 早くしろ!!」
しかしいつまでたっても加護は掛からない。
「婚約の儀の意味すら理解せずここへ来たのか。お前は父上がなぜ王で居られたのかが分からないのか?」
「まさか……」
この婚約の儀がなぜ存在するのか。それはルミナス神との契約。王女が次代の王へ加護を託すための儀式であった。
騎士や聖女が授かる加護も元を正せば王から分けられた支流にすぎない。
「私、ソフィアはここに宣言します。王家の加護、ルミナスの未来をジークハルトに託します」
「やめろぉおおおおおおおーー!!!」
駆け出すレオンハルト。だが、もう遅い。
「ジークハルト。ルミナスはあなたが王であることを認めるわ」
そして、私は血塗られた指輪をジークハルトの薬指に嵌める。そして、男の体に静かに光が灯った。ルミナスそのものが、新たな王を認めた証だった。
「力が湧いてくる。懐かしい感覚だ。これがルミナスの加護か……」
レオンハルトは、ぎりり……と奥歯をかみしめた。その表情からは、青筋が浮かび上がっている。
「ソフィア……お前、分かっているのか!?賊に力を貸したんだぞ!お前は!」
「儀式を穢し母を殺したあなたの方こそ、ルミナスにとっては賊ではありませんか?」
「違う!! 俺は国のために戦っているのだ!!」
「分からず屋だな、あいつは」
ソフィアはその言葉に笑みを浮かべた。
「あの男は重要な儀式や会議を散々抜け出し、自分の都合を並べて、分かってくれ分かってくれと鳴き声のように言っていたのですよ?」
「なら、あいつにも分からせる必要があるな」
「……立て。レオンハルト。お前の理解できる方法で教えてやる」
「この……」
ぷるぷると震えている。整った美形は怒りでひどくゆがんでいる。ギトギトとした汗と混じって、汚い印象を受ける。
「この……、汚らわしい売女めがぁ!!」
その怒りは矢のようにソフィアの喉元へと向かっていく。
「おっと」
ガギィン!!
しかしその怒りは、兄によってたやすく受け止められてしまう。
「あら……怖い、まるで卑しい獣ね。助けてジークハルト」
「卑しいのお前の方だろうがぁ!!!」
ガギン!! ガギン!! ガギン!!
「思い通りにならんとすぐわめき散らす」
「赤子のようなやつだ」
打ち込むたび、剣ははじき返される。
一歩も踏み込めない。
加護を得た兄との差はもう覆しようがなかった。
「なぜだ……!!なぜ兄上ばかりが……!!」
「僕は、神に選ばれてるはずじゃないのか!? 加護!! 加護だよ!! なぜ出ないんだ!!」
「少なくとも、私たちの神には選ばれなかったようですね」
「くっ……」
「借り物の力を自らの力と思い込んで、なんと滑稽な王子なのでしょう」
「わがまま王女が!! 返せ!! 今すぐその冗談をやめて、俺を王と認めろ!!」
だがその一瞬の隙が命取りであった。
「よそ見をするな、馬鹿者」
「ひっ……」
ズバアアアアア!!
「痛ああああああ!!」
鋭い一撃に、腕が大きくぱっくりと割れてしまっている。
剣を放り出し、床に転げ回るレオンハルト。
その眼前に剣が向けられる。
「詰みだ。さっさと立って牢にでも行くといい」
オオオオオオオ!!!!
勝利を喜ぶ声が聞こえる。革命家の軍隊が盛り上がる。正当な戦いということを知り、貴族たちも同調しているようだ。
私は無様に転げ回るレオンハルトを冷ややかな目で見つめていた。
「……ソフィア!! なぜだ!! なぜ僕の邪魔をする!! か弱いお前に妻になる資格も、地位も住所も与えてやったじゃないか!! 妻だろう?」
レオンハルトは必死に言葉を探した。だが、それは謝罪ではなかった。
「まだ分からないのですか?」
「じゃあ何だというのだ!! 王妃の座をくれてやればお前は僕に靡いたというのか?」
「ちょっと!!私が王妃のはずでしょう!?」
「うるさい!!役立たずなお前は黙っていろ!!」
私はその妄言にくすりと笑った。
「そうですよ。王妃はエリスで私が側室でしょう? あなたがそう言ったのではないですか」
「ぐぅ……」
「まあ、今は囚人の妻となってしまいましたがね……」
エリスを卑下するように嫌みたらしく言ってやった。
当然レオンハルトの体に光が灯されることはない。
「勝者こそがすべてを手にするのであれば、私の母を殺した罪は償ってもらいますわ。レオンハルト」
エリスはよろよろと、レオンハルトに近づいていく。
「でも、私は構いませんわ。囚人の妻であってもあなたはあなた……」
「どけ!! お前は下がっていろ!! 加護も使えん女の団員など飾り以下だ!!」
「レオンハルト様……」
レオンハルトは懇願するようにその血まみれの手を合わせた。
顔は涙と血と汗でぐしゃぐしゃ。ソフィアにこびるような偽物の笑顔を貼り付けていた。
その醜い姿には、先ほどまでの王や騎士団長としての威厳は跡形もなく消え失せていた。
「なあ、頼むよ!! ソフィア!! エリスなんか側室でいい!! だからお前を妃にすれば……」
ドス。
「……え?」
レオンハルトの言葉はそこで途切れた。
深々とつき立っていたのは一本の短剣。
その柄を握っていたのはエリスだった。
「な……、エリス……お前、誰に向かって……」
「ソフィアなんてどうでもいいって言ったじゃない……」
エリスのその手に握られていたのは、私の母の果物ナイフだった。
「あなたなんか、私のレオンハルト様じゃない!!」
いつもの皮肉ばかり言う艶のある声から一転、エリスは甲高い声で泣きわめく。
「愛してよ! 私だけを見てよ!! なぜそれが出来ないの!!」
先ほどまで美しく微笑んでいた女騎士の姿はもうどこにもなかった。
髪を振り乱し、血に染まったナイフを突き刺す様は悪魔のようであった。
「今度はお前が障害になるのか……!!」
レオンハルトの腕が振り上げられる。
「きゃあ!!」
手には燭台。
血を吹き出しながら、激しくエリスに殴りかかるレオンハルト。
「僕は王にならなきゃいけないんだ……!!」
その顔は血が出ているのか、涙が流れているのか、よく分からない。それは無情にも少年時代から愛したものに付けられた傷であった。
吹き出る血が止まらない。それは、彼の歩んできた信頼、希望そのものがすべて流れ落ちていくようにも思える。
「お前まで!! なぜ!! 思い通りにならないんだ!!」
しばらくして、エリスは動かなくなった。
ぴたり、と殴る動きがやんだ。
エリスを殴り殺し、立ち尽くすレオンハルトは、こちらをギロリと見つめた。
「僕のだ……僕の王国だ……」
ふらり、ふらり、とソフィアへと向かうレオンハルト。
スーツには何カ所もの刺し傷がある。血は吹き出して止まらない。だが、それでも彼は歩く。倒れることすら認めないように。
それは執念。欲の深さを感じられる。
「姫様、お下がりください」
ジークハルトはソフィアを守るべく前に立った。
そして、レオンハルトはこちらをにらみつけたまま、動かなくなった。
どれだけ待っても、彼は一歩も動かない。流れる血は勢いを徐々に失っていく。
「死んでいる……」
レオンハルトは立ったまま、死んでいた。
こうして、血塗られた式場の中で一連の事件は幕を閉じた。
◇
一年後。
アルカディア王城。
最上階の天望回廊にて、私はテラスに置かれた椅子に腰掛け、紅茶を口に運ぶ。眼下には壮大な街並みが広がっている。
「革命を成し遂げてからというもの、世界は大きく変わりましたわね」
雲一つ無い青空が広がっている。
アルカディアの風景を眺めながら私は向かいの男につぶやく。
「ジークハルト」
ははは、とその男は笑った。
「ああ、あの日を境に、誰もが王は絶対ではないと知った。もう昔の世界には戻れないだろうな。」
王子は死んだ。
本来ならあの瞬間に婚儀は中止となり、アルカディアとルミナスとの関係には深い溝が生まれるはずだった。だが、このジークハルト王子はそうはしなかった。
しかし、この男は婚約の儀を利用して、ルミナスとの同盟をつなぎ直したのであった。
貴族たちは驚くほど早く現実を受け入れた。所詮彼らは自分たちの財産と地位が守られれば忠誠を誓う相手など誰だって良いのだ。
民衆もまた、彼がレオンハルト王子ではないことを知っている。だが、誰もそのことを口にするものはいなかった。旧体制の独善的な政治よりも、革命家の新しい国家。それに期待したのだった。
こうして、静かにどの国にもすぐに知られることはなく彼の革命は完遂したのである。
ちなみに遠征途中の騎士たちは大多数が突如加護を失い、ほとんどが捕虜になったらしい。
「しかし、勝算があったのですか?」
「ああ。あの前日に父王が崩御してな。ルミナスの加護は王家から消えていた。王城へ踏み込める機会は、婚儀で守りが薄くなるあの瞬間しかなかった」
ジークハルトは紅茶を口に運ぶと。微笑みをこぼした。
「だが、君の選択がなければ、もっと多くの血が流れていただろう。その後の革命の後始末も君がいなければ治めることは困難だっただろう。礼を言うぞ、ソフィア」
「いえ、この国の、ひいては世界のためよ。ジークハルト」
私はあの後、正式に妃となってから、ルミナスの神官たちには箝口令を敷いた。口にすれば、ルミナスとアルカディアの戦争はもちろん、その影響は世界に広がると思ったからだ。
母は帰路、突如現れた魔物に襲われて私をかばって身罷ったことになり、盛大にその葬儀は行われた。
私は空を見上げる。
厳格な母は今の私をどう思うだろうか……。きっと、よくやったと笑ってくれるに違いない。私も母もあの秩序の犠牲者なのだから。
誰かが我慢をすることのない世の中を見たい。母も、きっとそう思っているはずだ。
……むしろ、そう思わなければ前に進めない。
「今度こそ、この国を本当の意味で理想郷にしよう。ソフィア」
ジークハルトがボロボロの路地を見ながらそうつぶやいた。
王国は未だ、混乱が絶えない。
かつて力の象徴であった軍事力は今や崩壊し、アルカディアの国際的な影響力は低下してしまった。国内には未だ汚職や荘園制度の名残が色濃く残り、旧貴族たちが変わらぬ権力を振りかざす地域も少なくない。
だけど、
雲一つ無い青空が見える。それはソフィアの今の晴れ晴れした心を現しているかのようだった。
少女が一つの権力を終わらせ、新しい時代を始めた。
これはまだ革命の序章に過ぎない。
「ええ。分かってますとも」
終わり
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