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『完璧すぎて可愛げがない』と婚約破棄されましたが、帝国の魔力供給・経済・外交を全て停止して隣国へ移住しますわ。――今更「戻ってきてくれ」? どこのどなたかしら?  作者: 桐谷ルナ
第1章 深淵の祝宴と帝国の黄昏(タリスマン)――「可愛げ」の代わりに、国の心臓(システム)を返していただきますわ

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第8話:氷の領地を暖める、令嬢の微笑み

窓の外には、銀世界が広がっていました。

 北方の峻厳な大地、ヴァレンシュタイン公爵領。一年中雪が舞い、かつては「帝国の流刑地」と揶揄されたこともあるこの地ですが……。


 いま、私の目の前にある光景は、帝国よりもずっと暖かく、豊かさに満ちていました。


「……ふむ。この術式構成なら、魔力の伝導率をさらに十五パーセント向上させ、領民への供給コストを半分に抑えられますわね」


 私は暖炉の火が爆ぜる音をBGMに、計算尺を滑らせていました。

 かつて帝都で使っていたものよりも、ずっと上質な魔法紙。インクの乗りも滑らかで、私の思考はかつてないほどに研ぎ澄まされています。


「エルゼ。……まだ、そんな『美しい数式』と睨めっこをしているのかい?」


 背後から、低く心地よい声が響きました。

 振り返る前に、私の肩にふわりと柔らかな毛布が掛けられます。シグルド様が、淹れたてのココアを二つ、机の上に置きました。


「シグルド様。……あら、もうこんな時間ですの? 北方の夜は早いのですわね」


「いや。君が集中しすぎると、時間という概念を忘れてしまうだけだよ。……少しは休憩してくれ。君に倒れられては、私の心臓が止まってしまう」


 シグルド様は、私の隣に椅子を引き寄せ、私の書きかけの書類を覗き込みました。

 帝国では、これを見た誰もが「可愛げがない」「女のやる事ではない」と眉を顰めたものです。


 ですが、シグルド様は違いました。

 彼はその計算式を、まるで国宝の絵画でも眺めるような、恍惚とした目で見つめるのです。


「……素晴らしいな。君の引く線には、一切の無駄がない。この『北方の防衛結界』の再構築案もそうだ。魔導師百人がかりで一年かかる仕事を、君はたった三日で片付けてしまった」


「あら。わたくしにとって、これはパズルを解くような遊びですわ。……シグルド様。わたくしのような『可愛げのない』女が、夜な夜な軍事予算を削り、結界の効率化を計算している姿……不気味だとは思いませんの?」


 私は、少しだけ試すような視線を彼に向けました。

 かつての婚約者に投げつけられた呪いの言葉が、まだ心の隅に微かな澱となって残っていたのかもしれません。


 シグルド様は、驚いたように目を見開いた後、ふっと優しく、そして深く笑いました。


「不気味? とんでもない。私にとって、これほど魅力的な光景はないよ。……自らの知性で世界を形作り、困難を美しく解決していく君の姿。それは、どんな宝石を纏う令嬢よりも気高く、愛おしい」


 彼は私の手をとり、指先の一本一本に、愛おしそうに唇を寄せました。


「エルゼ。君が『可愛げ』などという安っぽい仮面でその知性を隠す必要はない。君のその冷徹なまでの正確さも、容赦のない合理性も、すべてが私を惹きつける一部なんだ」


「……シグルド様。あなた様は、本当にお上手ですわね」


 頬が微かに熱くなるのを感じました。

 計算外の事態。ですが、この高揚感は決して不快なものではありません。


「ところで、エルゼ。……先ほど、帝国から公式の『親書』が届いたよ。いや、親書というよりは、情けない悲鳴に近いものだが」


 シグルド様が、暖炉の火の中に一通の封筒を投げ入れました。

 バルトシュタイン帝国の紋章が、無惨に火に包まれ、黒く焦げていきます。


「内容は?」


「『エルゼ嬢の追放は手続き上のミスであった。至急、婚約破棄を無効とし、彼女を帝国へ帰還させるように。さもなくば――』。……まあ、脅し文句を並べる余裕すらない、支離滅裂な文章だった」


「あら、手続き上のミス……。あれほど多くの貴族の前で、毒殺未遂の犯人とまでおっしゃいましたのに。殿下の記憶力は、マリアンヌ様の知能指数と同じくらいでおいでのようですわね」


 私は、扇子を口元に当ててくすりと笑いました。


「シグルド様、お返事は?」


「返事など、灰に語らせれば十分だ。……ああ、一応、リィンを通じて向こうの『マリアンヌ王妃(予定)』の活躍ぶりは伝えてある。彼女がエルゼの真似事をして、宮殿の執務机を涙で濡らしているという愉快な話をね」


 想像するだけで、溜息が出るほど滑稽です。

 マリアンヌ様。あなたが手に入れたかったのは、責任も義務も伴わない「飾り物の王妃」の座だったはず。

 ですが、私の後釜に座るということは、この腐敗しかけた大国の全ての重荷を背負うということですのよ。


「シグルド様。わたくし、今の生活がとても気に入っておりますの。……暖かいお部屋、美味しいお茶。そして、わたくしの言葉を『正解』として受け入れてくださる、あなた様のおいでのこの地が」


 私はシグルド様の肩に、そっと頭を預けました。

 

「エルゼ。君を二度とあのような暗闇へは返さない。君の知性は、この北方の希望であり、私の誇りだ」


 外では雪が、静かに帝国との境界線を埋め尽くしていきます。

 

 暗闇に沈み、凍える帝都。

 知性に祝福され、暖かな光に満ちた北方。


 その対比が、これからさらなる残酷な結末へと繋がっていくことを、私は確信していました。

 準備は、もう次の段階へ移っておりますの。


「さて……次は帝国の『食料自給率』をさらに引き下げる交渉に入りましょうか。シグルド様、手伝ってくださる?」


「喜んで。君の『共犯者』でいられることが、私にとって最大の栄誉だ」


 二人の笑い声が、暖かい執務室に響きました。

 それは、帝国にとっての「死刑宣告」に他ならない、美しい響きでした。

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