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『完璧すぎて可愛げがない』と婚約破棄されましたが、帝国の魔力供給・経済・外交を全て停止して隣国へ移住しますわ。――今更「戻ってきてくれ」? どこのどなたかしら?  作者: 桐谷ルナ
第1章 深淵の祝宴と帝国の黄昏(タリスマン)――「可愛げ」の代わりに、国の心臓(システム)を返していただきますわ

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第5話:北方の守護龍、その跪きは唯一人のために

闇と、罵声と、腐敗臭。

 先ほどまでのきらびやかな祝祭が嘘のように、大広間は「地獄」の縮図と化していました。


「ひぃ、冷たい……! エドワード様、助けて、助けてくださいまし……!」

「離せ、マリアンヌ! 貴様のせいで、貴様のせいで私は……!」


 足元では、かつての「真実の愛」の当事者たちが、互いを突き飛ばし合いながら醜く泥を塗り合っています。

 私はその光景に視線を向けることすらなく、ただ真っ直ぐに、開かれた扉の先を見つめていました。


 カツ、カツ、カツ――。


 混沌とした闇を切り裂き、規則正しい軍靴の音が響きます。

 その音が近づくにつれ、広間を支配していたパニックが、波が引くように静まり返っていきました。

 圧倒的な「格」の差。そこに立つだけで周囲をひれ伏させる、本物の支配者の気配。


 やがて、逆光の中にその男が姿を現しました。


「……随分と、薄暗い招待状を送るのだな。バルトシュタインの王子よ」


 低く、地響きのように重厚な声。

 銀色の長髪を無造作に束ね、凍てつく冬の海のような瞳を持った男。

 北方の峻厳な大地を統べる「氷の守護龍」、シグルド・アルト・ヴァレンシュタイン公爵です。


 彼の背後には、漆黒の甲冑を纏った北方騎士団が整然と並び、手にした魔導ランタンが青白い光で会場を照らし出しました。


「シ、シグルド……!? なぜ貴公がここに!」


 エドワード殿下が、這いつくばったまま震える声で問いかけます。

 シグルド様は、ゴミでも見るかのような冷淡な一瞥を彼に投げました。


「なぜ、だと? 私は一ヶ月も前から、エルゼ殿より『今夜、帝国は不要なゴミを捨てるゆえ、拾いに来られたし』との招待を受けていた。……まさか、これほどまでに文字通りの『ゴミの山』になっているとはな」


「ゴミ……だと……!?」


 シグルド様は鼻で笑い、私の方へと歩み寄りました。

 そして、私の数歩手前で足を止めると、帝国最高の権力者たちの前では決して見せなかった「敬意」を込めて、その場に片膝を突いたのです。


「待たせたな、エルゼ。……いや、我が領地の、そして私の『知恵の女神』よ」


「いいえ。ちょうど、わたくしの荷解きが終わったところですわ、シグルド様」


 私が差し出した手に、彼は恭しく唇を落としました。

 その触れ方は、壊れ物を扱うような繊細さと、決して離さないという独占欲に満ちていました。


「シグルド! 貴様、正気か! その女は毒殺未遂を犯し、国外追放を命じられた悪女だぞ! そんな女を連れ帰れば、帝国との戦争になるぞ!」


 エドワード殿下の虚勢に、シグルド様はゆっくりと立ち上がりました。

 その瞬間、会場の空気が物理的に凍りついたかのように重圧が増します。


「戦争? ……笑わせるな。魔力供給を失い、経済の血管を自ら切り裂き、外交の窓口であった彼女を追い出したこの国に、我が北方の龍と戦う力が残っていると本気で思っているのか?」


 シグルド様は、一歩、エドワード殿下へ歩み寄りました。


「貴様は、彼女を『可愛げがない』と言ったそうだな。……愚か者が。この緻密な計算、冷徹なまでの先読み、そして自らを貶める者を完封するこの高潔なまでのプライド。……これ以上の『可愛げ』が、この世にあるものか」


「な……な、何……?」


「貴様には分からなかったのだろう。彼女が流す汗の代わりに、この国にどれほどの血が巡っていたのかを。……いいだろう、追放命令、確かに受理した。エルゼ・フォン・アシュバッハは、今この瞬間をもってヴァレンシュタイン公爵家が『国賓』として、そして私の『唯一の対等なパートナー』として、北方へ迎え入れる」


 シグルド様は私をエスコートするように腕を差し出し、最後にもう一度、闇に沈んだ会場を振り返りました。


「明日、太陽が昇る頃、貴様らは知ることになる。彼女がいない世界がいかに寒く、そして残酷であるかをな」


 私は、シグルド様の腕にそっと手を添えました。

 彼の体温は、この冷え切った宮殿の中で、唯一の確かな信頼のように感じられました。


「行きましょう、エルゼ。君の望む、真に知性が報われる場所へ」


「ええ、喜んで。……あ、そうでしたわ、エドワード殿下」


 私は馬車へ乗り込む直前、一度だけ振り返り、闇の中で震える元・婚約者へ優雅なカーテシーを捧げました。

 扇子を口元に当て、私の人生で最高に「可愛げのある」微笑みを添えて。


「わたくしの管理していた全資産の引き揚げ、および未払いの政務代行費用の請求書は、明日一番に届くよう手配しております。……どうぞ、マリアンヌ様との『愛』で、お支払いになってくださいませね?」


 扉が閉まり、馬車が動き出します。

 背後からは、エドワード殿下の、言葉にもならない絶叫が響いてきました。


 暗闇に沈みゆく帝国の影は、もう二度と私の視界に入ることはありませんでした。

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