第4話:帝国の灯火(システム)、お返しいたしますわね
――キィィィィィィン……。
鼓膜を劈くような、高周波の魔力共鳴音。
それは、このバルトシュタイン帝国の心臓部から、膨大なエネルギーが「逆流」し始めた合図でした。
「な、なんだ!? 何が起きている!」
エドワード殿下が耳を塞ぎ、狼狽えながら辺りを見渡します。
ですが、彼が見るべきは周囲ではなく、天井でした。
豪奢な大広間を昼間のように照らしていた、数百の魔導シャンデリア。
その輝きが、一瞬、パッと激しく明滅したかと思うと――。
フッ……。
嘘のように、すべての光が消えました。
視界を奪うほどの、完全な暗闇。
「う、わあぁぁっ!?」
「何事だ! 衛兵! 灯りを持て!」
会場は一瞬にしてパニックに包まれました。
暗闇の中で貴族たちがぶつかり合い、高級なワイングラスが砕ける音が響きます。
「……あら、皆様。そんなに慌てて、どうなさいましたの?」
その闇の中で。
ただ一人、私だけが「光って」いました。
紺碧のドレスに織り込まれたミスリル糸が、私の魔力に反応して青白く、神々しいまでの光を放っています。
「エルゼ……! 貴様、何をした! 今すぐ灯りを戻せ!」
暗闇の向こうから、エドワード殿下の情けない叫び声が聞こえます。
私は、手に持っていた扇子をゆっくりと閉じ、その闇を切り裂くように告げました。
「おっしゃいましたわね、殿下。『わたくしのような可愛げのない女は、この国に相応しくない』と。ですから、わたくしが個人的に管理・提供していた『アルカナ・コア(帝都魔力源)』の全魔力を、今この瞬間をもってアシュバッハ公爵家の金庫へ回収させていただいただけですわ」
「なっ……個人の魔力だと!? あれは国家の資産だろうが!」
「あら、契約書をお読みになっていなくて? 初代皇帝陛下と我がアシュバッハ家が交わした『魔力供給契約』の第一条。――『婚約が解消された場合、あるいは公爵家への不当な扱いが認められた場合、供給側は即座に全ての権利を停止できる』。……今、その条件が完璧に満たされましたの」
エドワード殿下の絶句する気配が伝わってきます。
そう、彼は知らなかったのです。
この帝国を支える魔法文明の「バッテリー」が、私の家系――ひいては、私の膨大な魔力そのものによって担保されていたことを。
「ひ、冷える……? なぜ、こんなに急に……」
マリアンヌ様の震える声。
当然ですわね。魔力供給が止まったということは、宮殿の「温度調整魔法」も、冷気・暖気の維持システムも、すべて死んだということ。
窓の外では、帝都を走る魔導列車が急停車し、街灯が一つ、また一つと消えていく。
帝国は今、一人の令嬢を追放しようとした代償に、文明そのものを喪失したのです。
「ああ、それから殿下。会場のテーブルに並べられた豪華な料理も、もう召し上がらない方がよろしいわよ?」
「……何だと?」
「あの料理には、鮮度を保つための特殊な魔法が掛けられていました。……魔力が途切れた今、数時間、あるいは数日前の『本来の姿』に戻っているはずですわ」
その言葉を裏付けるように、会場のあちこちから「うっ、なんだこの臭いは!」「肉が腐っているぞ!」という悲鳴が上がり始めました。
暗闇の中に満ちる、腐敗した生臭い臭い。
宝石を纏った貴族たちが、汚泥のような料理の中で右往左往する。
なんと惨めで、なんと滑稽な「断罪の場」かしら。
「エルゼ……待て、頼む! 冗談だろう!? 貴様がいなくなれば、明日からの政務はどうなる! 魔力なしで、どうやって国を動かせというのだ!」
「それを考えるのが、殿下のおっしゃる『真実の愛』で結ばれた、これからの王宮のお仕事ではありませんこと?」
私は、暗闇の中で膝をつき、必死に私のドレスの裾を掴もうとするエドワード殿下の手を、軽蔑を込めて一蹴しました。
「わたくしの『可愛げのなさ』が、この国を温め、照らし、守っていたのです。……それを不要と切り捨てたのは、あなたですわ、エドワード殿下」
私は、会場の大きな扉へと歩を進めます。
私の歩く先だけが、ドレスの光で道のように照らされる。
「さようなら、皆様。暗闇と、冷気と、腐敗。……それこそが、わたくしという『システム』を排除した後の、この国の本当の姿ですわ」
扉を開けると、そこには冷たい夜風が吹き込んでいました。
ですが、その夜風は、淀んだ会場の空気よりもずっと清々しく感じられました。
そして。
宮殿の車寄せに、一台の馬車が停まっているのが見えました。
帝国の無骨な紋章ではなく、猛々しくも美しい「氷の龍」の紋章を掲げた、北方の馬車。
そこから、一人の男が降りてくるのが見えました。
軍靴の音を響かせ、闇の中でも鋭く光る瞳を持った、あの御方。
(……シグルド様)
私は、初めて自分から、本物の微笑みを浮かべました。
この帝国での「完璧な人形」としての役割を、今、完全に終えた喜びを込めて。




