第14話:慈悲はございません。わたくし、合理主義者ですもの
「……エルゼ! 頼む、一度だけでいい、二人きりで話させてくれ!」
炭鉱の強制労働から一時的に引きずり出されたエドワードが、監視兵の制止を振り切り、私の執務デスクの前に身を投げ出しました。
その隣には、酒場での負債を肩代わりする条件で連行されてきたマリアンヌ様も、泥に汚れた膝をついています。
かつての婚約者と、その「真実の愛」の相手。
いま、この世界で最も価値のない二つの変数が、私の視界を汚していました。
「あら。二人きりで、一体どのような『建設的なお話』ができるというのかしら? ……リィン、彼らの残りの作業ノルマは?」
「はい、エルゼ様。……この十五分間の面会時間を埋め合わせるには、さらに三日間の無休労働が必要ですわ」
「そう。……ではエドワード様。あなたの貴重な『命の削りカス』を三日分も使ってまで、わたくしに伝えたいこととは何かしら?」
私が冷たく見下ろすと、エドワードは縋り付くような目で、かつて私が彼に贈った「婚約の証のラペルピン」……の、今や錆びついた残骸を差し出しました。
「覚えているだろう、エルゼ! 十歳のあの夏、湖畔で君がこれを私にくれた時のことを! 君は言ったじゃないか、『一生、あなたをお支えします』と! あの時の君の心は、嘘だったのか!?」
思い出話。
……ふふ。本当に、救いようのない方。
「マリアンヌも、マリアンヌも反省しているんだ! 彼女はただ、身分違いの恋に戸惑っていただけなんだ! 頼む、エルゼ、君の心にはまだ、かつての優しさが残っているはずだ……!」
エドワードの言葉に合わせ、マリアンヌ様も涙をボロボロと流し始めます。
「そうですわ、エルゼ様……。わたくしたち、若すぎたのですわ。……わたくし、本当はエルゼ様のように賢くなりたかった。……どうか、一度だけチャンスを……っ! わたくしを修道院へ送るなりして、罪を償わせてくださいませ!」
私は、手にしていた万年筆を静かに置きました。
そして、計算機を弾くような無機質な声で、彼らに告げました。
「エドワード様、マリアンヌ様。……わたくしのことを、感情で動く『安い女』だと思っていらして?」
「……え?」
「わたくしが十歳の時に申し上げた『支える』という言葉は、愛などという不確定な要素によるものではありません。……アシュバッハ家次期当主として、王位継承権第一位のあなたという『国家の資産』を維持・管理するという、極めて合理的な『投資宣言』でしたのよ」
私は、エドワードの差し出した錆びたピンを、扇子の先で弾き飛ばしました。
「ですが、あなたは自らその『資産価値』を毀損させ、挙句の果てにはわたくしという『管理システム』を排除した。……現在のあなたという個体から得られる利益は、炭鉱での肉体労働による微々たる労働力のみ。……そこに、かつての思い出という『減価償却の終わったゴミ』を混ぜ込まないでいただけますかしら?」
「ご、ゴミだと……!? 私たちの時間は、君にとってゴミだと言うのか!」
「ええ、そうですわ。……過去のデータは、未来の予測に役立たない限り、ただのストレージの無駄。……マリアンヌ様も、修道院なんて贅沢な場所を望まないで。……あそこを維持するのに、年間どれほどの寄付金が必要だと思っていらして? あなたという『不良債権』に、それだけのコストを掛ける価値はありませんわ」
マリアンヌ様の泣き声が、ピタリと止まりました。
彼女の目に宿ったのは、後悔ではなく、理解不能な「怪物」を見るような恐怖でした。
「エルゼ……君は、変わってしまった……。あんなに献身的だった君が、こんなに冷酷な……」
「変わったのではありませんわ。……わたくしを『献身的』だと誤解して、都合よく使い倒していたのはあなた方です。……わたくしは最初から、一単位の無駄も許さない『合理主義者』でしたの。……ただ、これまではその合理性が、あなたという『空っぽな器』を飾るために使われていただけ」
私は立ち上がり、シグルド様が待つ部屋の奥へと視線を向けました。
彼は、扉の陰で腕を組み、私を誇らしげに見守ってくださっています。
「慈悲、ですか。……それは、余剰利益がある者が行う娯楽ですわ。……現在の帝国……いいえ、ヴァレンシュタイン領バルトシュタイン区に、そのような無駄な予算は一ゴールドも割り当てられておりませんの」
「エルゼ! 頼む! せめて、せめて一度だけ……っ!」
「リィン。……面会時間終了ですわ。……彼らを現場へ戻しなさい。……ああ、そうだわ。エドワード様」
私は、扉へ向かう彼の背中に、最後の一撃を投げかけました。
「あなたが必死に縋っているその『思い出』の湖畔……。昨日、埋め立て工事が完了いたしましたわ。……あそこは来月から、北方の特産品を保管する『巨大倉庫』になりますの。……あなたの思い出は、わたくしの利益の下に、物理的に押し潰されましたわよ」
「……あ、あ、あああああっ!!」
エドワードの絶叫が、廊下に響き渡ります。
引きずられていくマリアンヌ様の、力のない嗚咽。
私は、汚れた空気を入れ替えるように窓を開けました。
「……ふふ。すっきりいたしましたわ。……シグルド様、お待たせいたしました」
「いいものを見せてもらったよ、エルゼ。……君のその、一分の隙もない合理性……。やはり、私だけが独占するには惜しいほどの美しさだ」
シグルド様は、私の腰を引き寄せ、耳元で熱く囁きました。
「さて……過去の清算は終わった。……次は、君が設計した『新しい世界』の完成を見に行こうか。……周辺国が、君の経済圏に飲み込まれまいと必死に足掻いているようだが……」
「あら、足掻けば足掻くほど、わたくしの蜘蛛の巣は強く締め付けるだけですのに。……愚かですわね、皆様」
私は、シグルド様の胸に顔を埋め、優雅に微笑みました。
情に流される弱者は、既に排除されました。
これからは、知性と数字が支配する、わたくしのための帝国を築き上げますわ。




