第12話:泥濘の中の再会。……あら、どこの作業員の方かしら?
かつてバルトシュタイン帝国の富を支えていた、北西部の「黒鉄炭鉱」。
しかし、魔力供給が途絶え、排水ポンプが停止した現在のそこは、冷たい地下水が溢れ、常に泥濘が足を取る「地獄の底」へと変貌していました。
カツ……カツ……カツ……。
無骨な作業員たちの粗い息遣いと、ツルハシが硬い岩を打つ音。その不快な騒音を切り裂くように、清冽で規則正しい足音が響きます。
「……リィン。ここの採掘効率は、わたくしの計算より七パーセントも落ちていますわ。監督官を呼びなさい」
私は、汚れ一つない純白のドレスの裾を少しだけ持ち上げ、泥だらけの通路を歩いていました。
私の周囲だけは、シグルド様が展開してくださった「防汚結界」によって、塵一つ寄せ付けない聖域と化しています。
「申し訳ございません、エルゼ様。……労働力として投入した『元・貴族』たちの体力が、予想以上にゴミ同然でして」
リィンの冷ややかな報告に、私は扇子を口元に当て、溜息をつきました。
「あら。愛があれば何でもできると豪語していらした方々なのに、ツルハシ一本まともに振るえないなんて。……随分と、重みのない愛でしたのね」
その時でした。
「……あ……っ、え、エルゼ……? エルゼなのか!?」
通路の脇、泥水の中に膝をつき、岩を運んでいた一人の男が、震える声を上げました。
ボロ布のような作業着を纏い、顔は煤と泥で汚れ、かつての金髪は見る影もなく鼠色に染まった男。
エドワード殿下……いいえ、今はただの「作業員一号」かしら。
「エルゼ! 私だ、エドワードだ! 助けに来てくれたんだな!? ああ、信じていたぞ、君が私を見捨てるはずがないと……!」
彼は泥だらけの手を伸ばし、私のドレスに縋り付こうとしました。
ですが、彼の手が結界に触れる前に、シグルド様の軍靴が、その泥の手を無慈悲に踏みつけました。
「……汚らわしい。我が妻の結界に、その不浄な指を近づけるな」
シグルド様の冷徹な魔圧が、炭鉱の空気を一瞬で凍り付かせます。
エドワードは悲鳴を上げて泥の中に転がりましたが、それでも必死に私を見上げてきます。
「エルゼ……! 頼む、この地獄から出してくれ! 毎日、腐ったパンと泥水だけの生活なんだ! マリアンヌも、あの女も私を裏切って金目のものを持って逃げた! 私には君しかいないんだ!」
私は、ゆっくりと足を止めました。
そして、泥の中に這いつくばるその「物体」を、まるで見慣れない石ころでも見るような、無関心な瞳で見下ろします。
「……リィン。この方は、どこの作業員かしら?」
「え……?」
エドワードの顔が、驚愕に凍り付きました。
「エルゼ……何を言っているんだ? 私だよ! お前の婚約者だった、エドワードだ!」
「あら。わたくしの記憶に、そのような惨めな方は記録されておりませんわ。……シグルド様、この方はアシュバッハ家への債務者リストの、どのあたりに記載されているのかしら?」
シグルド様は、愉悦を隠そうともせずに、手元の魔導端末を操作しました。
「ああ、エルゼ。この個体は『債務者番号:EB-001』。元・皇太子の地位を失い、現在は一労働者として君への賠償金を返済中だ。……現在の時給換算だと、完済までにあと――三百年ほどかかる計算だね」
「三百年。……ふふ、随分と息の長いお付き合いになりますのね」
私は、エドワードの絶望に満ちた瞳を真っ向から見据え、優雅に微笑みました。
「エルゼ……嘘だろ……? 私を覚えていないなんて……あんなに、あんなに愛を語り合ったじゃないか!」
「愛、ですか? ……あら、それはどの口がおっしゃるのかしら。わたくしの知性を『可愛げがない』と切り捨て、泥棒猫の嘘に加担して、わたくしを暗闇へ突き落とした……その口かしら?」
私は、扇子の先で彼のアゴをクイと持ち上げました。
至近距離で交わる視線。ですが、そこにあるのは再会の喜びではなく、捕食者が獲物の鮮度を確かめるような、冷酷な観察眼だけ。
「殿下。……いいえ、作業員一号さん。わたくしにとって、あなたはもう『かつての恋人』ですらない。……ただの、回収見込みの低い『不良債権』に過ぎませんのよ」
「……あ……ああ……っ!」
「わたくしの管理するこの炭鉱では、一分一秒が価値を生みます。……あなたが泣き言を言っている間に、石炭が一つ掘れたはずですわ。リィン、彼の今日の配給は半分にしなさい。……『可愛げ』のない労働者には、相応の報酬が相応しいでしょう?」
「御意に、エルゼ様」
私は、背を向けました。
一度も、振り返ることはありません。
「待て! エルゼ! 行かないでくれ! 謝る! 謝るからぁぁぁっ!」
背後で響く、かつての婚約者の情けない泣き声。
それは、崩壊する帝国の断末魔よりも、ずっと心地よい音楽として私の耳に届きました。
「……エルゼ。少し、冷たすぎはしなかったかい?」
隣を歩くシグルド様が、揶揄うような声をかけます。
「あら、シグルド様。わたくし、合理主義者ですもの。……価値のない変数に、これ以上の時間を割くのは無駄だと思いませんこと?」
「ふふ、全くだ。……さあ、行こう。次は、場末の酒場で『かつての聖女様』がどのような醜態を晒しているか、視察に行く予定だったね」
私はシグルド様の差し出した手に、自分の手を重ねました。
泥だらけの地獄から、光り輝く北方の馬車へ。
準備は、まだ始まったばかりですわ。
これから、彼らがいかにして「自分たちが失ったものの大きさ」を、骨の髄まで理解していくのか。
わたくしの計算(復讐)は、一単位の誤差も許しませんの。
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