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三話 縁談の物語


結局その日の夜はほとんど眠れなかった。

目を閉じる。開く。閉じる。開く。

布団の中で寝返りを打つたび、上衣の袖がすれる音だけが大きくなる。左手首の草の輪にそっと指を引っかける。ほどけない、けれど、心はほどけそうになる。


結局、昨晩は殆ど眠れずの夜を過ごした。家畜の世話にも趣味の角細工にも味が入らずレレンにの心配されてしまった。まだ解けない草の輪にそっと視線を向ける。心はすでにーーの物なのに、体がそれを良しとしない。まるで心と体が離れてしまっているみたい。


そうして悶々とした朝を過ごしていると戸口に影が差す。白銀の髪に琥珀の瞳、いつも見ている筈なのに決して見飽きたことのない彼女の特徴。

シズクが、いつもの用に二人分の朝食を運んできてくれた。


「おはよう」

「おはよう」


声はいつも通りの筈なのに、私の声には少しだけ元気がない。

心配するシズクを横目に、私は昨日の事を打ち明ける。


「……実は昨日、父様と母様から縁談の話を持ちかけられて」


空気が凍る、世界に何も存在しないかの様な静寂が耳を駆ける。

しばらくして沈黙を破ったのは、木箸が地面に転がり、カランコロンを音を立てたところからだ

その時のシズクの顔は、どうしても思い出せない。怒っていたのか、驚愕していたのか、寂しさに打ち震えていたのか、はたまたその全てか…….



それからの数日、私は仕事を増やした。いつもより早く起きていつもより長く働く。飼葉をもう一度見直し、倉の在庫をもう一度数え、角細工の欠けをもう一度磨く。何度も、何度も、そうやって仕事に打ち込めば、全部忘れられると思ったから。

シズクの家の前を通るのも避けた。会えば、何を言えばいいのかわからなかったから。







 


両親の声はひどく良好だ

布を広げ、寸法を当て、色を選び、相談を重ねる。

「水都の方なら、赤が映えるわ」「いやいや薄い青もいいだろう、湖に良く合う」「帯は落ち着いた色がよい」「刺繍は控えめに」「髪は少し上げて」

私は鏡の前に座って終わるのを待つ。


とうとうお見合いの日が来た。

場所は村長の家、つまりは私の家の応対室だ村でいちばん“ちゃんとしている”部屋。精々この村みあるのは居酒屋や大衆食堂でだそんな場所ではお見合いなんてできない。


しばららくして、戸口に気配が増える。

薄い翠色、最初に見えたのは、羽織の色だった。光の加減で、湖の浅瀬みたいな色。裾が揺れて、かすかに絹の音がする。

頭には角。若い鹿人の角は、まだ表皮の艶が残っていて、線がきれいだ。年は二十代の前半くらい。背は高すぎず、低すぎず。顔立ちは端正。目の色は柔らかい灰色。

「初めましてカンナ様、私、カラスと申します」

声は落ち着いていて深く、丁寧に頭を下げる。

そして父が名乗り、母が礼を言い、私も頭を下げる。

「水都カンナギで、衣の商いをしております。絹、綿、麻、染め、織りなど、水都では少し名の知れた商人と自負しております」

話し方に淀みはなく如何にも商人らしい丁寧な話口調だ、私は相づちを打って。母が笑顔を作りながら花茶を出して父が世間話を振る。


カラスは良く笑い、村のことをよく訊く。畑の作物の事、祭の日取りのこと、冬の支度のこと、そして私のことも訊く。

「角細工を?」

「はい、少し」

「へえ、なるほど。とても綺麗でしなやかな指をしてる。細工をする人の指だ」

私は曖昧に笑って誤魔化す、シズク意外からの褒め言葉は、どうやって受け取ればいいのわからない。

「レレンと言う綺鹿がいるんですか?」

「はい、小さい頃からの友達です」

「実は私も綺鹿を飼っておりまして、良ければ今度騎鹿に跨がりながら散歩などいかがですか」

 そして父と母が席を外した瞬間、部屋の温度が少し変わった気がした、カラスは姿勢を正し、私の目を見る。

「――できましたら。私はすぐにでも、あなたに水都へ来ていただきたい」

“すぐにでも”。

その言葉に対する返事を私はいまだに返せずにいた、まず思い浮かぶのはシズクの顔だ。

草の輪を指で探す。まだほどけないでその草の輪は私の袖の中にあった。ほどけないけれど、胸の中で何か別の物がほどけそうになる。

“二人の誓い”

“決して離れない”

どこへ、何から、誰と。

私は息を吸う、吐いて、吸って、また吐く。

言葉が、やっと外に出た。

 

「……少し、考えさせてください」


カラスはすぐにうなずいた。

「もちろん、急かすつもりはありません。けれど、私の気持ちは本当です。来月のうちに、もう一度ご挨拶に参ります。そのとき、あなたの答えを、聞かせてください」

私は小さく頭を下げる。


そして両親が戻り話はつつがなく進み、つつがなく終わる。

カラスは最後まで礼を尽くし、角を軽く傾け、応対室を出る。羽織の裾が揺れる。絹の音が小さく残る。

戸が閉まり音が止む。それでも私の胸の音だけが少し煩い。


父も母も上機嫌だ。

「よかったわね」「あの方なら」「水都なら」「安心ね」

私は笑う練習みたいに笑う、口角だけが動く。

「……うん。少し、考えるね」

「もちろん、いいご縁だと思うわ」

「うむ、村の者達のきっと喜ぶ」

喜ぶ。

その言葉は、重たい。軽く言われても、すごく重たい。

私はうな付いて部屋を出る。外に出たけど空気が違う、今は空気がすごく重い。


その夜も、ほとんど眠れなかった。

シズクに会いたかったけど会いに行けなかった。

会えば、何を言えばいいのかわからない。

「来月、返事をするの」と言えばいいの?

「考えさせて」と言えばいいの?

「二人でどこか遠くに逃げよう」と言えばいいの?

でも、今の私には嘘みたいだった。

草の輪に唇を寄せる。

“二人の誓い”

“決して離れない”


翌日、翌々日。私は更に仕事を増やした。

角の端材で、小さな鈴を削る。穴を開け、芯を通す。

レレンの毛並みを梳く、尻尾の付け根に絡んだ草をほどく。

倉の棚を拭く、床を磨く、縁台の裏まで布を通す。

手は忙しいのに心は止まってくれない。

井戸の時間はもっとずらす、シズクの家の前は遠回りをする。

会わないし、会えない。

遠くで白銀が揺れている気がしても、私は見ないふりをする。

見ないふりは、とっても苦しい。でもどうすればいいかわからない。







 


それから数日、シズクにも合わず悶々とした日々と過ごしていると、突如村のはずれにある警報を鳴らす鐘の音が高らかに響き渡った。

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