二十話 夜食の物語
カンナが戻ってきた。しかも今回は自分の足でしっかりと歩いている、その事実にシズクは大いに安堵した。
日が沈む頃、看守に連れられてカンナは地下室の扉を潜る。遠目から見てのカンナに酷い外傷などは無く、立ち振る舞いもしっかりしている。だからこそシズクには、カンナがここまで一言も発せず、感情の無い顔をしているのか理由がわからなかった。
今朝方までのカンナは喜怒哀楽あれどわかりやすいほど自身の顔に感情を表現する少女だ、そんなカンナが“無感情“な状態、さすがのシズクにも初めてのことで理解が追いつかない。
それでもオオウメなどは、カンナが外傷を負っていないことにひどく安堵して、安心のため息を漏らしていた。出自は違えど、自身よりも8歳も年下の少女が痛め付けられるのはなかなかに応えるものがある。オオウメの予想では、ジズルドから罵詈雑言など浴びせられたのだろう、前にもジズルドからひたすら罵倒され続け同じようになった少女を見たことがある。あれあはかなり堪える物らしく、あの少女も今のカンナと同じような顔をしていた、だけど痛め付けられて殺されるよりは何倍もマシだとオオウメは常々思っている。
看守が牢を開けカンナを檻の中に入れると、カンナは感情の無い虚空の顔でシズクの元へまっすぐ駆け寄る。
そのまま何も聞かずに抱きしめてくれと言わんばかりの積極性にシズクは少し驚く。カンナが自分から甘えることなど滅多にない、彼女は進んで人のためになることをする少女である、だからこそシズクが頻繁に毒抜きをしているのだが、今回はそんな極限状態なのだろうか。
シズクもシズクで、カンナから甘えられれば何も気にせず受け入れるのが彼女に作法、歩み寄るカンナを優しく抱きしめ部屋の隅で、二人で抱きしめ合う。
カンナはシズクを抱きしめる力ばかり強くなる一方で無感情な顔は一向に治らない。
ここまで一言も言葉を発さないカンナをさすがに心配しシズクは声をかける
「カンナ、一体何があったの?」
シズクの質問に一言も発しようとはしないカンナだが、何か辛い出来事でも思い出したのだろう、体がぶるりと震え、体温がどんどん低くなっていく。
その変化を肌で感じ、慌ててシズクは取り繕う。
「ご、ごめん!カンナ、何も言わなくていいから、よしよし」
今朝方と同じようにカンナを撫で付けて落ち着けようとするが、カンナの震えは一刻に止まらない。
ーーカンナに何があったの?
「ねぇシズク、その娘大丈夫なの?」
「わかんない、こんな状態のカンナ初めて…」
声をかけられ後ろを振り向くと、青空のような透き通る髪が特徴的な少女、ソラノがカンナのことを心配して声をかける。ソラノはシズクと同じ15の少女で、カンナたちが連れてこられた時、ジズルドの後ろに控えていた少女のうちの一人である。カンナが呼び出されるよりも前に、両足を酸で焼かれた友達が、牢屋から連れ出されており、その境遇も相まってシズクとはずぐに仲良くなった。彼女も一向に帰ってこない友人を心配しながらも、友人であるシズクに言葉をかける。
ソラノが心配してカンナの肩に触れようとするとカンナは、その手を思いっきり弾き返す。
「ち、近づかないで!お願いだから遠くへ行って!」
「え、どうしたの急に?」
ここにきて初めてカンナの発した言葉はソラノへの拒絶の言葉だった。いきなりのことにシズクもソラノも言葉を失うが、この状態を心配したソラノがカンナに寄り添おうとする。それでもカンナか発せられる言葉は、近づかないで!離れて!の一点張り。
このままだと状況の収束が不可能だと感じたシズクはソラノに対しも意思わけ無い気持ちも向けながら
「ごめんね、ソラノ、せっかくカンナのことを心配してくれたのに」
「ううん、大丈夫だから、カンナがこんな状態じゃ話も出来なさそうだしね」
「ありがとう、ソラノ」
そう言ってソラノが距離を置いたお陰でカンナに少し落ち着きが戻る。また言葉を発しなくなったが、先ほどよりもシズクを抱きしめる力が強まる。あまりにも強く力を込める物だから、シズクは少し苦痛に顔を歪ませながらも、カンナからこれほども求められるのも悪くないと通常運転に戻った。どのみちこのままではカンナから話を聞くことなどできまい。
カンナは決してシズクから離れないまま、夜食の時間になってしまった。
シズクは二人分の食事を受け取りカンナに食べさせてあげようとカンナの前に料理を運ぶ、ご飯でも食べればまた元気を取り戻すと思い、少し無理にでもカンナの口に料理を入れようとする。
カンナが口前にに迫る料理の気配を感じ、脳内で昼間の映像が投影される。
それだけで脳が処理限界を迎え、目の前の料理と昼間の料理の区別がつかなくなり、目の前の料理を断固として拒否する。
「い、いや!それを近づけないで!」
「ちょっとどうしたのカンナ!?ほら、あーんしてあげるから、一緒にご飯食べましょ」
「やめてシズク!いらない、いらないからそんなの!」
ここまでするとさすがに自体の異常性を感じる。シズクから離れることはしないのに、シズクから差し出される料理は断固として拒絶する。
シズクもそこで料理自体に原因があると気づく。頭を抑え、うぅうぅと唸るカンナにそっと寄り添い、何があったのか質問する。
「カンナ、昼の間に何があったの?このままじゃ私も心配でおかしくなっちゃう。大丈夫、ここにはカンナを傷つける人なんていないから、ゆっくりでもいいから話て」
カンナはゆっくりと顔を上げシズクの目を見つめる。琥珀の瞳に映るのは、心配そうな顔をし目を潤わせるシズクと、顔を歪ませ悲痛にくれる自分の顔。
自分の現状を客観視したことで少し冷静になったカンナは何がったのかを伝える。
「あ、あのねシズク、わ、わたしーー」
昼間に何があったのかシズクに伝えようとする。声が軋み、体が震えながらも必死のことの顛末を伝える
ーー汚臭のする液体を浴びせかけられ、汚されたこと
それからもあらゆる精神的苦痛をあじあわされたことを、震えながらシズクに伝える。
要領を得ない話方で紡がれるカンナの言葉に、シズクは表情を無くし、夜食を食べていたオオウメたちも手を止め、カンナの言葉に聞き耳を立てる。
何があったのか、シズクは理解する。
ーーなるほど、だから頑なにご飯を食べようとしなかったんだ
昼間の出来事と現在の区別がつかなくなり、辛い出来事が思い起こされるから、近づけてほしくなかったんだ。
「状況はわかったよ、じゃあ尚更夜食は食べようよ、しっかりとした思い出で昼間の出来事を上書きしよ、わたしも昼間の出来事が忘れられるように頑張るから。それに今日のスープは珍しく暖かいのよ、みんな美味しそうに食べてる」
「い、いや!それだけはいや!…..だってそのスープから、し、しちゃいけない匂いがする!」
「え?」
そこでシズクはまだカンナが話ていないことがあることに気づく。
「ねえカンナ、本当は何があったの?」
それでもカンナは、一度だけシズクではなくソラノのことを見て、ごめんなさい、ごめんなさい、と唸るだけ。
標的が自分に向いたことにより自分に原因があることを悟ったソラノはカンナの詰め寄る。
「カンナ、もしかして私に原因がある感じ?」
その言葉に一瞬カンナの体が跳ねる。ソラノは自身の問が肯定されたと思い、優しい声でカンナに問う。
「大丈夫だよ、私怒ったりしないし、私もシズクと同じでカンナのことが心配、だから話て」
ソラノの優しい眼差しに晒され、とうとう明かさなかった真実の扉をカンナは開ける。
全身を震わせ、何があったのかを淡々と。
ーー鹿肉と称し、同胞の肉をジズルドから食べさせられたこと
ーー珍味と言われ、死体から取り出した眼球を咀嚼させられたこと
ーー同胞の肉を腹がはち切れんばかりにお腹の中に詰め込まれたこと
ーー遊戯と称し、死体の生首と接吻させられたこと
そして、自分に食べされられた同胞の肉こそ、ソラノが帰りを待ち侘びてやまない、友人の少女であることを。
ソラノの手がカンナに振り下ろされる。暴力を振るわれると思い目を閉じるカンナだったが、振り下ろされた手が振るうのは暴力では無く、カンナへの優しい抱擁だった。心配無いと言わんばかりにカンナの頭を優しく撫でるソラノ、カンナを撫でるその手は優しく、とても慈愛のこもった手つきにカンナの涙は少し和らぐ。
怒られると思ったカンナは、疑問に思いソラノに目を向けるが、優しいのはカンナを撫でる手だけで、その目は憤怒に燃えていた。
体は近目で見なければわからないほど震えていて、顔にはいくつもの青筋が立っている。ソラノは大人しい少女で、その人となりを少しでも知っているカンナはひっと小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫、カンナは謝らなくていいんだよ、カンナは悪くない。そう、悪いのは全部あのくそったれ、あいつは絶対にゆるさない、絶対に復讐してやる!ミコトの苦しみを何倍にもして返してやる、絶対に!絶対に地獄を味合わせてやる!」
普段はおっとりして仲介やくに回ることの多いその口から紡がれるのは、魂から漏れ出た憤怒。自分の大切な友達を奪ったただ一人に向ける怨讐。
そこでシズクは悟る
「もしかして、カンナ、このスープに入っている肉って」
「うん…..」
今度こそソラノは声にならない悲鳴を上げる、一通り怒り狂ったあとは地面に顔を伏せ呻き声を上げる。その口からはミコト、ミコトと友人を呼ぶ声と、自分の友人を殺し、新たにできた友人をもミコトの命を利用し苦しめたジズルドへの呪詛の数々。
先ほどまで、美味い美味いと料理を食べていた鹿人の少女たちは、その具の中に、昨日まで同じ夜を共にした少女の肉が入っていることに顔色を悪くし、ほとんどの少女が床に胃の中身をぶちまける。
カンナも怒り狂い嗚咽を漏らすソラノと、床に先ほど食べたものを吐き続ける少女たちの地獄絵図を見て、この原因を作ったことをひたすらに謝る。
この地獄絵図の中、冷静さを失わないのはシズクただ一人、彼女だけは、この状況で自分と取るべき最善の行動を模索する。
そして、自身の横で謝り続けるカンナの顔を両手でそっと持ち上げ、とても柔らかく、薄紅色に輝くその唇に、そっと“接吻“した。




