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十三話 雫の物語 都

そうして同じ様な夜を4回続けた日の朝、とうとう都市カララギの城門が見え始めた。

 子供の頃からよく足を運んでいたシズクと違い、初めて見る大きな城門に、カンナは感嘆の息を漏らす。鹿車から体を乗り上げ都市の広大さに目を丸くするカンナの姿を、シズクは微笑ましそうに見守る。

 関所をこえ都市の中に入っても興奮冷めやまない様子のカンナは、両親の手伝いもせぬままシズクを連れ出してしまう。あっと言う間に自分たちの鹿車から引き離されてしまいシズクは“え?“と戸惑いを隠せ無かった。

 鹿人の波を川を渡る魚の様にスラリスラリとかき分けて、人の往来が少なくなった広場でようやくカンナはシズクに向き直る。

あまりの出来事に普段は冷静なシズクも、この時ばかりはカンナのことを批判する。

「カンナ、いきなりどうしたの!すっかり両親とも引き離されちゃったし」

「ごめん、つい興奮しちゃって」

 そんなことの言う物だからシズクは思わず絶句してしまう。カンナには無鉄砲さの気概があるとは知っていたが、さすがにここまでのは初めてだった。

 ーーどうしよう、こんな人混みのなかじゃ、母様も父様も見つけられないし。

少し潤んだ瞳でカンナを見つめると、シズクに心情を察したのかカンナはおもむろに懐から巾着袋を取り出すとどこかへ行ってしまった。

今度は人混みにまみれてカンナまで姿を消してしまった。

 まさか自分を連れ出した本人まで居なくなってしまうとは思いもよらずカンナはとうとうそのばにうずくまり泣き出してしまう。

 

 唯一の心も支えまで消え酷い孤独感に苛まれていると、まるで人混みの中で、自分だけが世界からのけものにされているように感じる。

 して孤独感というものは、どこまでも人の心を苛むや苦病である、孤独の病にかかったものは、世界へに進出を拒絶しどこまでも暗い闇底までつれて行ってしまうのである。

 シズクは暗い闇の中で、自分という存在までも消えないようにさらに膝を抱えこむ。

 ーー怖い、怖い、一人は怖い、置いてかないで






「はい」

 ふと甘い匂いに顔を上に上げると、シズクに手を近づけるカンナの姿があった。

 ーー……え

 訳も分からず、戸惑うシズクに対して

「はい、これ。屋台で買ってきたのシズクが不安そうにしてたから、不安は時には甘いものがいいんだよ」

 そい言って差し出されるのは、鹿の形をした飴細工であった。

 飴細工を手に取り一口運んで見ると、先ほど孤独という鞭を受けたせいか、酷く甘く感じてしまった。


 鹿の形をした飴細工は、朝の光を受けてうっすらと緑がかって見えた。角の先は少しだけ丸くて、舌に触れると指先みたいにひんやりする。

「……とって甘い」

「でしょ、街に入った時からいい匂いがして気になってたんだ」

「カンナの嗅覚は犬か何かなの?」

「それよりも、溶けちゃう前に半分こしよ!」

 カンナは自分のほうの角をひとかじりして、残りをシズクの口元へ押し当てる。飴の表面に、彼女の指の体温が薄く移る。のどの奥に落ちていく甘さが、さっきの孤独をごまかすみたいに広がった。

 ーー一瞬は置いていかれたけど、彼女は帰って手来てくれた。

「さっきはごめんね、連れ出して。」

「……大丈夫、もう怒ってない」


 カララギの都市、様々な音が鳴り、活気がいい。金属を打つ澄んだ音、油の焦げる匂い、煤と香草が混ざる空気。川沿いの大通りには、鉄鍋や釘、留め具や鎖、ひからびた魚の骨みたいに細い鋼線が束ねられて、屋台の端に積まれている。行き交う鹿車の蹄が石畳に小さな星を撒き、露店の布張りが風に膨らむ。

「すごい……」

 カンナは肩で息をして、瞳に街並みを丸ごと入れようとするみたいにきょろきょろする。シズクはその横で、彼女の袖口を軽く摘んだ。人波で引き離されないように。

「シズク、手つなご?」

「いいよ」

 指と指が絡み合う、今度は離れない様にしっかりと力を込めて。

 カンナの体温はとても暖かかった。


 通り沿いの一角に、アクセサリの屋台が並んでいた。磨かれた金属に色石がはめ込まれ、鎖骨に沿う細い鎖が小さく鳴る。露店の主は油の染みた前掛けをした女で、台の上に布を広げ、その上に髪飾りや耳飾りを苔の上の露みたいに並べている。

「見てっておくれ。旅の娘さん」

 カンナが覗き込むと台の真ん中に、小さな翡翠の飾りがあった。葉の形に薄く彫られて、縁は氷みたいに透けている。金具は深い黒鉄で、翡翠の淡い緑を沈まずに支える。

「これ、すごく似合うと思う」

「え?」

「シズクに。だって、シズクの髪はお月様みたいに綺麗だし、絶対この翠は映えると思うよ」

「つけてみるかい?」

 店の女が片手鏡を差し出す。カンナは遠慮のない手つきでシズクの髪をすくい、耳のうしろで金具をすっと通した。白銀の中に、春の芽みたいな小さな翡翠が、ひとつ。

「……どう?」

「きれい」

 言葉がすぐに出なかった。頬の内側が少しだけ熱い。鏡越しにカンナが笑う。シズクは鏡を見たまま、彼女の笑顔を見てしまって、思わず視線を外した。

「これください」

 カンナは迷いなく巾着を出す。女が値段を言うより早く、鹿皮の硬貨を数枚、掌に置いた。

「ありがとう」

 女が翡翠と黒鉄の金具に細い紐を通してくれる。カンナは紐の結び目を指先で確かめ、ほどけない結びになるまで何度も締め直した。

 シズクは微笑んだ。「ありがとう、大事にするね」


 露店を離れてからも、街は見るものに事欠かない。鍛冶場の横では、少年が炭を運ぶたびに頬を煤で汚し、奥では槌音が一定の拍子で鳴り続ける。二人は店先の小鍋から香草と肉のスープを紙杯で分け合い、油で温めた薄餅をちぎってはスープに沈め、熱い息をふうふうと吐いた。

「熱っ」

「待って。はい」

 カンナは自分の手のひらで風を送る。意味があるのかどうか分からないけれど、笑えて、余計に美味しくなる。

「シズク、お父さんとお母さんのお手伝いは大丈夫?」

「カンナが無理やり連れ出した癖に、なに言ってるの」

「そうだった、ごめんごめん」

「もう」


 午後は川べりを歩いた。鉄都と呼ばれるだけあって、水路の上にも鉄の橋が渡り、橋の欄干には工房の印が刻まれている。歯車の形、矢の形、鹿の角の形。条件反射みたいに、カンナが角の刻印に顔を近づける。

「見て。これ、ちょっとレレンに似てる」

「似てないよ」

「似てるってば。角の形がほら」

 言いながら、カンナは口元をゆるめて橋の上を駆け、振り向いて手を振る。シズクは溜め息をひとつだけ吐いて、でもすぐについていく。橋の下から涼しい風が上がって、翡翠の飾りの紐が首筋でぴくりと揺れた。

「シズク、大丈夫、髪ほどけてない?」

「ほどけてない」

「よかった」



 


 夕方、工房通りに灯がともると、鉄の光は昼の色から夜の色に変わった。磨き上げられた刃の面が、おだやかな橙色を抱き、細い鎖のひとこまひとこまに小さな夕焼けが宿る。香草を煮る屋台からは甘い匂い。客引きの声がひとつ高くなり、遠くで鐘が短く鳴る。

「そろそろ、戻らないと」

「うん。怒られるかな」

「怒られるのは、多分私だけどね」

「大丈夫だよ、その時はしっかり私も怒られるから」

「……じゃあ半分こだね」

 二人は顔を見合わせ、肩が同時にふるえる。歩きだすと、翡翠の髪飾りが耳のうしろで小さく触れて、紐の結び目が首筋にやわらかい印を残す。


 商家の倉庫に戻ると、大層ご立腹なシズクの両親が待ち構えており、とっても心配したと怒られてしまった

それでも、今日の思い出hはシズクの中で素敵な宝ものとなった。


 今ではどんなに願っても手に入らない大切な大切な宝物。

 シズクはそんな素敵な思い出の温もりを失わない様に、一人冷たい檻の中で翡翠の髪飾りを胸抱く。

 

 

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