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零話 始まりの物語

初めての連載作品です、気軽の読んでいただけると幸いです

昔々、人類は力を求め、神鹿は生を求め、八人の乙女のもと契約を交わした。

契りを受けた者たちは神鹿から加護を授かり、それが鹿人の始まりである。契りを交わした瞬間、彼らはもはや人ではなくなった。耳は鹿のように細く長く、男性には雄々しい角が伸び、骨は強く、筋はしなやかに、逞しい力を得た。やがて彼らは人里を離れ、碧く美しい湖の畔に村を築き、赤い夕焼けと朝の霧のあいだで、長く静かな平和を味わいながら暮らした。


だが、その平和は長くは続かなかった。人間とは、自分と違うものを酷く恐れるもの。外見は似ていても、持つ力が違う彼らを、人は深く恐れ、やがて排除しようと考えるようになった。それでもなお、神鹿との契りを結んだ八人の乙女たちの力はあまりに絶大で、人類は居場所を削られ、生息圏を奪われ、少しずつ、しかし確実に劣勢へと追い込まれていった。


幸運だったのは、鹿人たちが決して強欲ではなかったことだろう。ある程度の領地を手に入れたのち、彼らは兵を退き、湖の光を分け合うように、森の影をズラすように、あちこちに小さな集落を構えていった。力はあったが、支配を望まなかった。守るべきを守り、奪うべきを奪わなかった。それが徳であり、同時に隙でもあった。


――そして、その隙が、人類の反撃の機会となった。

鹿人の力を恐れた人間たちは、互いの憎しみや利得をいっとき棚に上げ、結束を固め、アルファーン帝国を打ち立てる。長らく戦禍に見舞われず、湖の季節だけを数えてきた鹿人の時代とは対照的に、人間たちは新たな道具を発明し、文明を押し進め、軍隊を鍛え上げた。そして帝国を統一した七代目皇帝、バルザート・リファレ・ヴェル・アルファーンの手により、満を持して鹿人への進軍が決まる。


力では勝るはずの鹿人も、帝国の技術と団結の前に、あっという間に劣勢へと追いやられた。

鹿人の集落は次々と襲撃され、力ある男は鉱山奴隷に、見目麗しい女は愛玩の奴隷として売られた。さらに帝国は公式に鹿人の隷属化と略奪を許し、内乱で行き場のない憎悪は、容易く鹿人へと転嫁された。命令書は墨の黒で冷たく、印璽は朱の丸で無慈悲に、それらは大義の仮面をかぶって暴力を合法へと塗り替えた。


それからの鹿人の村々の光景は、筆に余るほど悲惨だった。

至る所に蠅の集まる死骸、焼け落ちた家屋、黒く煤けた梁。目を巡らせれば、どこにも昨日の色がない。酷い集落では、村人たちが一箇所に集められ、首を刎ねられた後、木柱に尻から肩へと貫かれて晒された。風が吹けば鳴るのは鈴ではなく、乾いた縄の軋み。目を覆う兵もいたし、吐き気を堪える者もいた。鹿人に至っては、復讐の憤怒に目が灼け、冷静さを失い、老若男女を問わず剣を取り、必死の抵抗を試みた。憎しみは焔のように高く、しかし雨のように自らを濡らす。


けれど、成果は芳しくない。

久しく戦の型から遠ざかっていた鹿人がどれほど武器を取っても、歴戦の帝国兵には及ばず、結局は略奪を許すことが多かった。戦場で散った者は、あるいは幸福かもしれない。真の地獄を見たのは、捕らえられ、鎖につながれ、奴隷として売られた者たちである。


彼らに待つのは、死より酷い未来だった。

力に秀でる男は鉱山で昼夜なく酷使され、道中で倒れればその場で吐き捨てられる。心優しい同胞が亡骸に寄り添えば、「仕置」と称して鞭が振るわれる。

見目麗しい女は、ありとあらゆる男たちの欲望の吐口とされ、名を奪われ、尊厳を削られ続けた。生易しい死は訪れず、抵抗できぬ弱さに付け入って、学者風の者や拷問好きの領主に高値で取引される。そこに目を付けたのは帝国兵だけではない。傭兵団、盗賊、挙句の果てには武装した農民までもが一攫千金を狙い、鹿人の領土へ雪崩れ込んだ。彼らにとって鹿人とは、まさに金の成る木であり、魂の鳴る鈴であり、欲の芽を育てる温室だった。


灰は風に舞い、灰色の空が季節を覆う。

焼け跡に芽吹くのは花ではなく、鉄錆と嗚咽。

湖は相変わらず碧いが、映すものは日に日に暗く、深くなっていった。

子の泣き声は、やがて泣き止む。泣いている暇がなくなるからだ。

名を呼ぶ声は、やがて小さくなる。呼べば誰かに聞かれるからだ。

祈りは口の中で溶け、歌は喉の奥で切れた。


そして、魔の手は――静かな、水の音にも似た足音で――

一つの村へも近づいていた。家族と共に、季節の巡りを信じて暮らす娘のもとへ。

名はカンナ、栗色の髪と翡翠の眼を持つ美しい少女である。












 


――昔々、人類は力を求め、神鹿は生を求め、八人の乙女のもと契約を交わした。

その古い句は、祝詞であり呪いでもある。

力が流れ、生が延びるたび、どこかで代価が徴られる。

誰が支払うのか。誰が受け取るのか。


そしてこれが運命の分かれ道、これより先かつてない程の墓標を築く人類への手向の花はすでに芽吹初めていた。


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