第一話 虎と小 終
満身創痍で恵元堂の座敷に戻ると、店のものたちはまだ白い着物を被り隠れていた。
「あんたら、終わったぞ、そこから出ていい」
と虎弥太が呼びかけると、店のものたちが恐る恐る顔を出した。
「伝法寺様、溶魔はいかように?」
「それなんだが……」
と、言い澱み、餡練機を「斬らされた」時のことを振り返った。
械掛刀で斬られたものは、断面が初めからそういうものであったかのような滑らかさになる。
だが、餡練機の断面は滑らかなのだが、斬ったと言うより、斬った部分がごっそり無くなったようになっていた。
その証拠に餡練機の残骸は、元の大きさから考えてかなり小さくなっていた。
しかもあの頭の中の声と姿。
こんなことは初めてが重なりすぎて、整理も合点もいかないのだ。
「まさか……まだ倒しきれていない……とかで?」
「いや、きっちり倒したよ。
そこは安心してくれて構わねえ、だが……」
「だが、なんでございましょうか?」
「こっちの話だ、きっちり仕事は果たしたよ」
弥右衛門が繰り返し礼を言う中、座敷の方からこちらをじっと見てる視線に気づいた。
先程握り飯を分けてやった丁稚の視線だ。
傍らには妹であろう者が、握り飯を頬張っている。
自分では食べず、妹に与えたようだ。
2人は、虎弥太が片目をつぶって、もう大丈夫なことを伝えると、嬉しそうな笑みを浮かべた。
そこへ気を失っていた番頭の喜八が虎弥太のコートを抱えてきた。
コートの上には先程天井に投げた脇差しもあった。
「ありがとよ、番頭さん」
「いえいえ、慌てふためいて恥ずかしいところをお見せしてしまいました。」
「死体になるとこ初めて見たら仕方ねえよ。
誰だってそうなる」
恥ずかしそう俯き、頭を搔くと、喜八は弥右衛門に耳打ちをした。
何やら深刻そうだ。
「どうかしたのかい?まさかまだエーテルがいるのか?」
弥右衛門の答えはこうだった。
蔵が破られていたこと。
そこには先代の趣味の骨董が収められていたこと。
金目の物はそのままに、小さな箱が開けられ、捨てられていた。
などを伝えた。
「中には何が入ってたんだ?」
と、虎弥太が尋ねるも、弥右衛門は、
「わたくしに骨董の趣味がありませんので、実は確認もしておらぬです。
しかし、今夜のことを思えば、なんということはございません」
「火事場泥棒ってわけか、すまねえな、そこまで気が回らなかった」
と、素直に頭を下げると、弥右衛門は慌ててそれに手を添えた。
「何を仰りますやら、伝法寺様のお陰様で店のものは誰一人死なずに済んだのですから」
「そう言ってくれると俺も心が軽くなる、ありがとな。
あと、エーテルが現れないよう蒸気漏れは塞いでおいてくれ」
「あ!それなのですが、店の中に漏れているところがなかったのです。
今思い返せば、おかしな雲が立ち昇ったのも蔵からでした……。
盗まれたものと関係はあるのでしょうか?」
「その開けられてた箱ってのはどんなもんだ?」
「この位の大きさで、鉛で蓋を固めておりました」
と、両の手で小さな四角を作った。
それを聞き、頭の中の記憶を探ってみる虎弥太にも、思い当たる節はなかった。
「ま、一応蔵に蒸気漏れがあったんだろ、そうでないとエーテルは現れない。
長い時間漏れたのが溜まるとエーテルになるんだ。
きっちり探して塞いどきな」
「かしこまりました『かしこまりました』」
と、弥右衛門と喜八は声を重ね合わせ、互いに顔を見合せ、笑いだした。
虎弥太も、それを見て笑い、コートを喜八から受け取ると、ポケットの重さに、握り飯が残ってたことに気づき、丁稚兄妹に向かって、おいでと無言の手招きをした。
近づいて来た二人に、
「優しい兄貴だな、妹に握り飯やったのか」
丁稚は恥ずかしそうに笑い、口元に米粒をつけた妹を見、
「だってこいつ、いつも腹空かせてるから」
と、笑った。
虎弥太は残った握り飯を二人に渡し、
「まだ二つある、今度はお前も食え」
と、言うと頭を優しく撫でた。
虎弥太は弥右衛門に二人のことを聞いた。
弥右衛門は悲しそうな顔をし、次のことを語った。
元は武家の子だったこと。
両親とも溶魔に殺され、引き取り手が現れず、見るに見かねて恵元堂に住まわせて、丁稚にしたことを語り、最後に、
「兄の方はユウ、妹は百合と申します、この子らが望めば私共の子としようかと」
と、言った。
(ユウと百合か。似たようもんなだな俺と)
そう言いかけた時、虎弥太の腹の音が鳴った。
思い返せば握り飯一個で大乱闘をしたのだ。
腹が減るのも同然である。
虎弥太はある事を思いついた。
「恵元堂、俺は帰り道に蕎麦食って帰ろうと思うんだが」
「それでしたら、この近くに評判の蕎麦の屋台がございますよ、最近では屋台も珍しくなりました」
「いいね、蕎麦の屋台。
で、物は相談なんだが、この子らも連れてっていいかい?
食ったらちゃんと店まで連れて帰るからよ」
二人はそれを聞き目を輝かし、弥右衛門を縋るような目で見た。
弥右衛門は、その目には弱いと言わんばかりに頭を振り、
「伝法寺様がよろしければ」
「なら決まりだ、お前ら蕎麦食いにいくぞ。
そうそう握り飯はとっておけ、蕎麦と食うとうめえぞ?
あんたも来るかい?」
「私には店の片付けがございますゆえ、それとこれを」
懐から袱紗に包まれた小判──依頼料を虎弥太に渡した。
「確かに」
中を改めずポケットに無造作に入れると、2人を連れ、蕎麦を食いに夜の街へと店を後にした。
店に張り巡らされた反物と着物の片付けに右往左往し始めていたからか、二人は何度か店の方を振り返った。
虎弥太は、
「蕎麦食って腹一杯になって手伝えばいい、その前に終わってることを祈りながら食うのも忘れずに、な?」
といい、二人を見て笑った。
少し歩くと、蒸気灯に照らされた蕎麦の屋台を見つけた。
三人は声を揃え、
「たぬきそば!」
と、注文した。
程なく蕎麦が提供され、再び三人は、
「いただきます!」
と、声を揃え食べ始めた。
が、虎弥太は一口すすると、先程折れた肋が痛みだした。
すすると折れた肋に響くのだ。
だが、美味そうに蕎麦を啜る2人を見ると、そんな痛みで食えないことは、どうでも良くなった。
初めてあったのに虎弥太には、ユウを他人とは思えなかった。
それは虎弥太の過去と重なる部分が多いからなのだが、それはまた別の話になる。
そんな感慨深げな虎弥太をよそに、蕎麦とにぎり飯を交互に食べながら妹の百合が、
「お兄ちゃん、じぶんの名前きらいなんだよ?」
と、虎弥太に教えた。
「なんでだ?花の房でハナブサだろ?
いいの響きじゃねえか」
雄は蕎麦をすする手を止め、
「違う、英と雄で、ハナブサユウって言うんだ。
けど、みんな英雄だから『ひでお』だって呼ぶんだもん」
「なるほど!そりゃ嫌だよな。
俺も似たよう経験したからわかる」
虎弥太は雄の方へ向き、こう続けた。
「だけどな雄、「英雄」と書いて、えいゆうとも読めるんだ。
英雄ってのはな、強くて優しい心と力を持ち、非凡な事を成すって人の事だ。
お前の両親もきっとそういう人になって欲しいと願いを込めたんじゃねえか?」
虎弥太にそう言われ、雄は何度も『えいゆう』と繰り返すと、
「分かった俺、英雄になる!
大きくなったらお兄ちゃんみたいな鋼蜂になる!」
と、宣言し、また勢いよく蕎麦をすすり始めた。
(俺は金ずくで動く…英雄とは程遠い鋼蜂なんだがな……。
でも俺のガキの頃になんか似てやがる)
虎弥太は雄を普段の粗暴さとは思えぬ目で見やった。
それから2人が食べ終わると、虎弥太は代金を払い、店まで届け、痛む脇腹に日和ながら帰途に着いた。
途中、今日も何とか生き延びた事と、あの刀の異変が何度も頭の中を過ぎった。
だが、兄妹との楽しかった蕎麦の時間を今日の不可思議さで塗りつぶすのは不毛に思え、やめにして家路を急いだ。
からくり鋼蜂 第一話 虎と小 終
第一話を読んでくださった方々には感謝しかありません。
ありがとうございました。
このあと第2話では、新たな鋼蜂が登場し、それに伴いこの物語の焦点が見えてくると思います。