第一話 虎と小 伍
虎弥太が敵を追いかけ、勝手口から塀に囲まれた裏庭に飛び出ると、既に辺りは夜が帳を下ろしていた。
塀の向こう側からは、残っていた野次馬の声が聞こえる。
虎弥太は、暗い裏庭にぽっかり穴が空いたよう光を指す蒸気灯の方を見た。
古びた物置が照らし出されている。
エーテルはその光の中にいた。
蒼く透き通り、ぶよぶよした一反木綿のような姿がはっきりと見えた。
切られた尻尾からは蒼い蒸気が漏れだし、もし顔があれば、それは間違いなく怒りの表情を浮かべていたであろう。
「エーテル!じっとしてろ!」
確かに青い水羊羹に見えなくもないが──。
虎弥太は足を踏み出し、一気にエーテルに向かって水平に械掛刀を振るった、が、エーテルは横にかわす。
「動くなって言ってんだろが!」
体勢を整え、下段から斜めに斬りあげるが、またもかわされた。
するとエーテルは、物置きをの方を見ると、なにかに気づき、体色を燃えるような赤へと変えた。
「おいおい、体熱くしてもどこにも憑依できる金属はねえぞ?
血もねえ癖に血迷ったのか?」
と、煽る虎弥太を無視し、エーテルは物置きの中にするりと滑り込んだ。
物置きはエーテルの熱により、中から火を吹き始めた。
「そんなボロ小屋に憑依しても無駄だ!
今度こそ覚悟しやがれ!」
虎弥太は柄から垂れる始動紐を横に引いた。
柄が側面の真ん中から蓋のように跳ね上がり、やや黒ずんだ「つらら」を排出させる。
返す手で、鞘から予備のつららを抜き取り、柄に差し込むと、手で柄の蓋を叩くように締めた。
そして、物置の上へと跳躍しながら始動紐を引き、械掛を起動させた。
その時である。
中から械掛の音がした。
明らかに械掛刀のそれではない。
「ままよ!」
燃える物置きごとぶった斬る勢いで振り下ろそうとしたが、物置きの屋根ごと吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
あっという間に物置きは火に包まれ、中から錆びた餡練機が現れた。
あるはずのない手足が生えているではないか。
腕が四本、足が八本。すべて餡練機のパイプがもとのようだ。
手には、餡を釜に注ぐための太い管が、金槌のように握られていた。
「てんめえ、丁度いい武器見つけたってか?
それとも水羊羹がタコに転職するつもりか!
気色悪ぃ!」
と、悪態をつきながらも内心、
(やばいな)
と思っていた。
エーテル本体は普通の刀では斬れない。
見た目はぶよぶよしてひ弱に見えるが、斬撃の衝撃を吸収再生し、触れた刀に憑依してしまうので、ダメージを与えられないのだ。
鋼蜂たちがエーテルに対し優位を誇る理由は、彼らの使う械掛刀の循環式刃だ。
高速回転をする刃は、斬った組織をはじき飛ばすので、憑依する暇を与えない。
だが循環式刃も、金属に憑依されると効果が薄い。
金属の特性とエーテルの再生を併せ持ち、硬さと重い粘り気で刃を弾き返すのだ。
その時は炸薬を用いて亀裂を与え、そこを斬るしかない。
だが、エーテルにより金属が強化されるのか、強い爆薬を使用するのが慣わしだ。
が、ここは商家が立ち並び、塀のすぐ向こうには野次馬たちがいる。
周辺の被害を考えると躊躇われる手立てだ。
(どうするか)
虎弥太の頭の中は、すばやく様々な手段が浮かんでは消えを繰り返したが、どうやってもひとつのやり方しか残らない。
懐に飛び込み、「何度も」斬り裂き、そこに炸薬をねじ込むのだ。
失敗すれば刀は折れ、もはや手も尽きるが、これに賭けるしかない。
(どの道、今逃がせば死体だらけの街になる。
迷ってる暇はねえ!)
意を決した虎弥太は、左手でベルトから爆薬を取ると、低い姿勢を取り、居合の形に構えた。
餡練機に憑依したエーテルはというと、じりじり間合いを詰めてきている。
「餡練機エーテル、略してアンネリーってか?」
と無理やりにも程があるあだ名呼びをし、「アンネリー」の懐に飛び、斬りあげた!
かのように見えた。
アンネリーはそうはさせじと、膝で蹴り上げたのだ。
虎弥太の体が宙に浮き上がる。
さらに上から叩きつけられ、地面に激突し、反動でまた体が浮き上がった。
そこに死ねと言わんばかりに、四本の腕で乱打を仕掛けてくる。
が、虎弥太はアンネリーの体を蹴り、すんでのところで距離取り直した。
金属の腕からの打撃はさすがに堪えるが、手応えはあった。
腹を斬ったはずだ。
しかしまだ傷すらつけられてない。
「もう一遍!」
再び同じ攻撃を繰り返すが、やはりまだ傷を与えられなかった。
それから四合、五合と打ち合うも、循環式鋼刃の方が欠けてきていた。
一先ず距離をあけ、柄の始動紐を引き切り刃を替刃を外し、腰に下げた替刃を手に取り、素早く取り付ける。
再び始動紐を引くと、鎖のように繋がった刃の帯が一つの刃になり、回転の唸りをあげた。
「いい加減割れろよ!」
今までよりもさらに低く構え、体をひねり、最大限の力を乗せて、
アンネリーの懐に飛び込んだ。
だが、敵も慣れてきたのか、虎弥太に飛び込まれる瞬間、四本の腕を十字に構え、斬撃を防ぎきった。
さらには四方から腕を突くように繰り出した。
顔面、腹、腰、足と同時に打たれ、虎弥太の体は受け身も取れない回転をし、地面を抉りながら吹っ飛んだ。
「肋が折れたじゃねえか……クソが……」
力無く刀を構えるも、目の前の械掛刀は柄の蓋がだらしなく開き、つららも失い、刃さえもない。
殴られた拍子に替刃を繋ぐ鋼糸が切れ、バラけてしまったのだ。
本能的に腰を手をのばすも、予備のしらたきがない。
しかも鞘にもつららの予備すらもない。
急いで目で探すと、アンネリーが落ちたつららを拾い、吸収する姿が見えた。
(くそやべぇじゃねえか……)
下品な足音を立てアンネリーが近づいてくる。
残る手立てはないかと、指で鞘を探ると炸薬を仕込んだ小柄が一つだけ残っていた。
(これだけで逆転をしなきゃいけねえのか……。
とんだ手合割だな)
その時、声が聞こえた。
……カマエ……。
水の中で響く音のような声だ。
辺りを見回す。だが人の気配はない。
……ナサイ……ワタシヲ……。
今度ははっきりと聞こえた。
頭の中に直接語りかけているかのような声だ。
「おいおい、ついに俺も気がふれたか?」
虎弥太は頭を左右に振って声を追い払おうとした。
だがその声はさらに続けた。
……ワタシヲカマエテ、ワタシヲ……オモイウカベナサイ……。
「どこの誰かも、どこ居るかもわかんねえ、アナタ様を俺にどうしろってんだ!
こっちは忙しいんだ!後にしやがれ!」
虎弥太の苛立ちに応えるかのように、手の中で械掛刀が震えた。
それは械掛の振動とは明らかに異なる、心臓の鼓動のような震えだった。
そもそもつららは失っているので械掛が動くはずも無い。
さらに強い鼓動が鞘から手に伝わった。
「は?おま……えか?」
虎弥太手の中の械掛刀を見つめ、問いかけた。
……トクン
さらに強い鼓動で刀は問いに答えたように思えた。
そして頭の中に、奇妙な映像がぼんやりと浮かび始めた。
……ドクン……ドクン……
強く早い鼓動になるにつれ、それは形をなしていく
ぼんやりした映像は、やがてカマキリともシャコともつかぬ、金と黒の虎のような模様の異形のものとなった。
目には何も感情がない。
……ドクン……ドクン……ドクン!!
頭の中の異形のものは鎌のような捕脚をもたげ、口を開き、無音の叫びを放った。
それに促されるように刀を正眼に構えると、不意に身体中に電気が走った。
虎弥太の意志とは関係なく、腕が大きく振りかぶる。
頭の中が痺れて、悪態すら吐けない。
すると、刃を失い細いフレームになった刀身から、低く響く音と共に刃が形成されたではないか。
異形のものは、先程よりもさらに低い体勢の構えを取らせる。
(痛ってぇ!肋折れてんだぞ!)
(ワタシハ、キニシナイ、イキマス……)
土埃がたったかと思うと、小弥太の体はエーテルの寸前まで駆け、そこから大きく体を捻りながら刀を「振るわされ」、エーテルの背後に立った。
余りに速い斬撃に瞬間的に真空が生まれ、そこに空気がなだれ込み、遅れて爆発音と衝撃波が生まれ、アンネリー腕全てが切り落とされ、腹の餡を練る鎌が大きく裂けた。
(無茶苦茶なことやるんじゃねえ!俺の体だぞ!)
(ガマンシナサイ、モウオワリマス)
異形のものはそういい終えると、八の字に刀を振るい、納刀するとエーテルに背を向け、虎弥太を胡座に座らせた。
(おいっ!敵に背を向けるな!って言うか誰だてめえ!)
(ドウデモイイコトデス、ワタシノ ヨウハ スンダノデ……ネマス)
体の感覚が戻り、無理な動きをさせられた痛みが大きくなった。
「痛ってぇぞこんちくしょう!」
刀を抜き、怒鳴りつけるも、頭の中にあった異形のものの姿は消え失せていた。
そして刀もまた元の刃を失った形に戻っている。
一方、アンネリーはというと、おからになり、崩れ去っていたが、最早虎弥太の興味の外であった。