第一話 虎と小 参
日も暮れきる頃、恵元堂の表には、店主・恵元堂弥右衛門をはじめ全員が待ち構えていて、メモで言い渡した品々を積んだ荷車が並んでいた。
その周りには野次馬が集っている。
この辺りは商店街となっていて、10mほどの道幅の両脇には様々な店が並んでいて、人通りも多いためでもあるが。
増えていく野次馬たちに、弥右衛門は手代の荘吉に、
「野次馬をなんとかしなさい、これでは余計な騒ぎになる。
なんでもいいから理由をつけて追い払いなさい」
と、耳打ちし、荘吉は主の言いつけ通りに、
「頼むよ、なんでもない、少し店を改装するだけなんだよ。
ここで集まられちゃ、明日の開店に間に合わない」
と、機転を利かした説明をした。
それを聞き入れ離れる者もいたが、依然十数人は残っていた。
荘吉は、ふと野次馬の背中越しに、ゆらりゆらりと近寄る影を見つけた。
虎弥太だ。
「旦那様!来ました!あれが『伝法な』虎弥太様です!」
壮吉は小走りで駆け寄り伝えたが、弥右衛門は呆れた表情で、
「伝法寺様、だ。
伝法なとは失礼な。
言葉の意味をわかっていってるのか?」
と、荘吉をたしなめた。
弥右衛門は腰を曲げ、丁寧な挨拶と詫びをし、虎弥太を迎えた。
虎弥太は彼らに近づき、軽く手を挙げ、会釈をし、
「伝法寺虎弥太、鋼蜂をやってる。
確かに伝法よ」
と、荘吉をいたずらっぽい目で見た。
深緑のフード付きコート、黒のTシャツとジーンズ。
だが足は草履と不釣合いな格好だ。
腰には見慣れぬ形のベルトを巻いており、日本刀と呼ぶにはごつい械掛刀をそこに下げている。
その風体は、目新しすぎて店の者や野次馬たちの注目集めた。
虎弥太は、手を叩いて塩樽の乗った荷車を指さし、
「挨拶はいい、弥右衛門さん、店の者たちを二つに分け、まずは塩からだ。
同じ量の水で塩水を作り、あれ──」
と、今度は白い着物を指さし、
「白い着物にたっぷりと吸わせ、全員に着せろ。
そして残った塩水は、ありったけの入れ物に入れておけ。
ミョウバンの方も水に溶いて、店中にかけて回れ。
鉄でできた械掛はあるかい?」
と、弥右衛門へと振り返ると、餡練機がそうだと答えた。
「なら、反物にミョウバン水を含ませて覆い隠して、残った反物には塩とミョウバンを混ぜたものを含ませて、店をぐるりと巻いておけ」
「店を反物で巻く?
伝法寺様、なぜそのような事せねばならないので?」
「簡単に言うとだな──」
虎弥太はエーテルについて説明をし始めた。
実態を持たず、空を飛ぶ緩い水羊羹のような存在であること。
人を始めとする生き物にも憑依でき、家屋や械掛のようなものにも憑依できること。
生き物には塩水、それ以外にはミョウバン水をかけておくと何故か憑依できないこと。
「そしてあいつらは、白いものは見ることが出来ない」
と、最後につけ加えた。
弥右衛門は用意しろと言われた事に合点がいき、店の者たちに支度を急がせた。
虎弥太は未だ残り、騒ぐ野次馬たちに、
「てめえら、死にたくなきゃとっとと帰れ」
と、鋭く言い放った。
野次馬などをやるやつは馬鹿なので、周りを味方と勘違いして、言い返すやつが必ず出てくる。
若い遊び人風の男が挑発し始めた。
どこぞの金持ちの商家の息子なのか、上から下まで洋服で固め、シャツは派手な花柄であった。
「時代遅れの侍崩れが偉そうに!おめえが帰れ!」
それをきっかけに他の野次馬たちが取り込みを詰め、口々に罵倒し始め、若い男が小石を投げつけた。
虎弥太は、蚊を払うように小石を弾くと、眉を上げ、若者にすっと音もなく近づくと、胸ぐらを片手で持ち上げた。
男の足が20cmほど浮き上がる
「俺の仕事を増やすな……とっとと散れ」
そう言い放つと、ぶんっと野次馬の輪の外へ軽々と放り投げた。
若者は情けない声と共に地面を転がると、野次馬たちは虎弥太の腕っぷしにしんと静まった。
それを確かめると、今度は恵元堂の者たちに振り向き、
「手を止めるな!
見てる暇があるなら、とっとと動け!」
と、一喝をした。
はっと我に返った弥右衛門は、
「ささ、お前たち、準備にかかっておくれ!」
と、優しい叫びをあげると、また準備に取り掛かり始めた。
先程の若者が、投げ捨てられた痛みに耐えながら、
「ぶ、奉行所に侍崩れに襲われたと通報してやる!」
と、捨て台詞を残し走り去ると、虎弥太は残る野次馬に対し、刀に手をかけ、
「おめえらはどうすんだ?
おれの仕事は恵元堂を者たちを守ることで、お前らは銭勘定に入ってねえ。
俺の仕事を増やすってんなら、その前に始末してやろうか?」
と、凄んで見せると、野次馬は徐々に散り始めいなくなった。
虎弥太は、ふんと鼻を鳴らすと、一瞥もくれず、店の者たちが準備に行き交う中、石敷きの土間へと進み、腰をかけ、お香が作った握り飯を取り出した。
竹の皮の包みを開けると、海苔を巻いた4つの握り飯が行儀よく並んでいた。
一つ一つが大きめに握られ、ほのかに飯がまだ温かい。
ひと口かじると塩加減がちょうど良く、中から山椒と醤油で、甘辛く炊いた大ぶりのハマグリが出てきた。
さらにかぶりつくと、飯の甘みと煮たぜんなの甘辛さが口の中に広がる。
噛むと同時にぶりぶりとしたぜんなの身の歯ごたえが舌と歯に心地いい。
さらに山椒のピリっとした辛さと香りが追いかけてきて、
(たまんねえな、店だしゃいいのによお香さん)
と、自然と笑みがこぼれた。
虎弥太はこの具の握り飯が何よりの好物で、鋼蜂としての仕事の際には、お香に必ず頼んでいる。
残りを口に頬張ると、竹筒に入ったお茶を飲む。
冷蔵庫で直前まで冷やしていてくれたのであろう、冷たいのどごしが夏の蒸し暑い夜の仕事には、
(ありがてぇわ、お香さんのこの気遣い)
と、思わずにいられない。
もう1つと思い、手を伸ばした時視線に気づいた。
丁稚の小僧──まだ7つぐらいか──が握り飯に釘付けになっていた。
(俺も江戸に流れてきたばかりの頃、腹ぁ空かせてたな)
などと思い出し、丁稚に握り飯を竹の皮ごと差し出した。
「食うか、小僧。
こいつぁな、日ノ本壱の握り飯だぞ」
虎弥太に促され、ぎこちない笑みを浮かべた丁稚は、恐る恐る手を伸ばそうとしたその時。
荘吉が奥から駆け寄ってきた。
「伝法寺様!着物の数が足りません!」
「あ?ちゃんと店のヤツらの数だけ用意しろと言っただろ!」
「頼んだ先で数が足りなかったようで、このようなものが混ぜられてまして……」
荘吉の手には、確かに白いが全面に花の模様のあるTシャツがあった。
足りない分を値の張る流行りのTシャツで埋め合わせした気遣いなのだろうが、これではこの場の役にたたない。
白と呼ぶには、さすがに無理のある派手さでは、エーテルの目に止まってしまうであろう。
「何人分足りねえんだ?」
「四人分でございます!」
「女子供を優先して着物を配れ。
着物は大人のもんだから、子供は二人でひとつの着物を頭から被らせろ、それでいける」
と、指示し、
「反物は余ってないのか?」
とさらに尋ねた。
荘吉は黙って首を横に振るだけだった。
「弥右衛門に言え、店主がなんだから店のもんを守る義務がある。お前は着物なし決定だと。
あともう一人を決めろってな。
めんどうくせえがその二人を戦いながら守ることになる」
荘吉は、草履のまま土間から上がり、弥右衛門に伝えに走った。
虎弥太はというと、握り飯を丁稚に一つ渡し、
「それ持って、店の奥で着物被ってろ。
頭は出すな、俺がいいと言うか死ぬかするまで出るなよ」
と、言いつけた。
丁稚はその言葉にひるむような顔を浮かべ、けれども握り飯を胸にしっかりと抱え、店の奥へ走っていった。
その後虎弥太は店の中を見て回った。
自分の言いつけ通り、店の周りには反物が巻かれており、窓という窓、入口も塞がれていた。
一通り確認し、満足気な表情を浮かべ、
(さて、いつ現れるか)
と思案げに周り見渡すと、械掛刀が低く唸りをあげた。
が、虎弥太にそれは気づかなかった。
械掛刀にはエーテルに反応するといった機能はない。
その時である。
店の入口の向こう側から、反物を剥がそうとする音と声がした。
「南町同心の佐々木である!
この店の用心棒から暴力を受けたと届け出があった故参った!」
虎弥太は、眉間に深い皺と怒りの表情が浮かべ、扉の向こうを睨みつけていた。