第9話 オカルト研究会
ひばり先輩が扉を開けると、古びた木のドアがぎぃと音を立てた。
その瞬間、空気が変わった気がした。
部屋の中は、うす暗くて、ひんやりとしている。足を一歩踏み入れた瞬間、空気の重たさに包まれる。まるで、時間が止まってしまったかのような感覚。
ここは、校舎の裏手にある旧部室棟――今では使われている部屋も少なく、廊下には人の気配がほとんどなかった。
床板はところどころきしみ、壁には古い張り紙がそのまま残されている。
廃墟寸前……とまではいかないけれど、どこか現実から切り離されたような空間だった。
「ここがオカルト研究会の部室だよ」
ひばり先輩が軽く言う。
その声だけが、この場に似つかわしくないほど明るかった。
私はなんとなく、あたりを見回す。
古びた本棚。埃をかぶった書類の山。
壁には色あせたポスターが斜めに貼られ、
使い方のわからないモノが無造作に置かれている。
……本当に、ここに誰かが出入りしてるの?
そんな気がしてしまうような空間だった。
「そこ、座っていいよ」
ひばり先輩が指さしたのは、扉のそばに置かれた一脚の木の椅子だった。
私が腰を下ろすと脚が少しぐらついて、座面の堅さが伝わってきた。
「まあ、部室って言っても、今は私しかいないんだけどね」
ひばり先輩は部屋の奥にある椅子に腰を下ろしつぶやく。私は何も言わず、ただその声を聞いていた。
「この部屋ね、旧部室棟の中でも特に雰囲気がいいの。ちょっと古びてて、静かで、神秘的な感じ」
そう言われて、もう一度、部屋の中を見回す。
たしかに、不気味というよりは――静かすぎて、現実味がない。そんな空間。
「私たちの部活はね、この部屋でいろんな“調査”をしてるの」
「調査……?」
「うん、学校に伝わる怪談とか、そういうのをひとつずつ確かめていくんだよ」
私はその言葉を聞いて、少しだけ眉をひそめた。
「……本当にあるの? そんなの」
ひばり先輩は、まるで子どもみたいに目を輝かせて笑った。
「うーん、わかんない。でも、だからこそ面白いでしょ?」
ひばり先輩の目が、少しだけ輝いていた。
「見たことないから知りたい。信じてないから調べたい。そういう気持ちって、大事だと思うんだ」
私は、ふと視線を落とす。
(信じてない、から……?)
――私は、見えてしまった側だ。
それがどういうことか、私は知っている。
「……確かめても、いいことなんてないよ」
小さく、つぶやくように言った。
ひばり先輩が、少しだけ目を丸くした。
「関わっても、面倒なことが増えるだけ。結局、何も変わらない」
口にした言葉は、ただの感情じゃない。
経験として、そうだったから。
だけど――
「そっか。でもさ、私は“変わらない”って、ちょっとつまんないと思うな」
ひばり先輩は、笑っていた。
「何かを調べること、確かめることって、別に“正解”のためじゃなくてもいいんだよ。その過程が面白いっていうか……うん、ワクワクしない?」
「しない」
私は即答したけれど、ひばり先輩は引かない。
「えー、じゃあ、ちょっとだけ見学だけでもさ。本格的に入部じゃなくていいから、雰囲気だけでも味わってみてよ」
「……興味ないから」
私はわざとぶっきらぼうに返して、立ち上がった。
「絶対おもしろいから! いつでも待ってるからね!」
後ろからかけられた声が、やけに耳に残った。
***
旧部室棟の廊下に出ると、ひんやりとした空気が肌に触れた。
外はもう夕方。西の空が、オレンジ色に滲んでいる。さっきのひばり先輩の声が、まだ頭の中に残っていた。
『絶対おもしろいから!』
明るい声。まっすぐな目。
その笑顔が、なぜだかずっと、目の奥から消えない。
――面白い、か。
私は、立ち止まる。
***
あのときも、最初は「おもしろそう」だと思ったんだ。
小学校の頃。
放課後、公園で遊んでいたときのことだった。
「ねえ、あそこにいる人、誰?」
私は指を差した。
ジャングルジムのてっぺん。そこに、誰かがいた。一緒に遊ぼう、楽しいよ、そう声をかけたかった。
でも、隣にいた子は、困ったような顔をした。
「……誰もいないよ?」
そんなはずない。
私の目には、たしかにそこに“誰か”がいた。
輪郭がぼやけていて、顔もよくわからない。影のようなそれが、じっと私を見ていた。
「いるよ、ほら」
そう言ったとたん――
カチャン、と。
ジャングルジムの鉄の棒がわずかに揺れた。
小さな音だったけれど、耳の奥にずっと残った。
そして、その子は、私のそばから走り去っていった。話しかけてこなくなった。目を合わせなくなった。
……見えることなんて、何の役にも立たない。
***
「見えたところで、いいことなんてなにもない」
私は、そっと息を吐いた。
知ることで、何かがよくなるなんてことはなかった。
むしろ、逆だった。
だから私は、今も――「普通」でいようとしている。
ひばり先輩の顔がふと浮かぶ。
あの人は、知らない。
“見えること”が、どういうことなのか。
私はもう一度、歩き出した。
夕暮れの道を抜けて、まっすぐ、家へと向かった。
……けれど、心のどこかが、静かにざわついていた。