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篠宮椎名の七不思議研究ノート  作者: 如月
第6章 旧校舎に消えた女生徒
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第57話 ここにいる理由

 航さんは、テーブルに置かれたノートを指先でなぞっていた。

 なぞるというより、“そこにいる誰か”に、触れようとしているように見えた。


 そして、ぽつりと、声が落ちる。


「……それでも、俺は忘れなかった」


 その言葉は、ごく静かで、ごくまっすぐだった。


「夢じゃないって、何度も自分に言い聞かせてた。あいつのことは、俺の中にちゃんといた。だから、誰かに“そんな子いなかった”って言われるたびに……逆に、俺のほうがおかしいのかもって思ったりもした」


 言いながら、航さんは小さく息を吐いた。


「……でも、どうしても忘れられなかった。忘れちゃいけない気がした。あいつがここにいたこと、ちゃんと覚えてるやつが、ひとりでもいなきゃダメな気がして」


 そして、その視線が、ふと窓の外に向けられる。

 暮れかけの空が、静かにゆれていた。


「……だから、ここで暮らすことにしたんだ」


 その言葉に、私はほんの少しだけ目を見開いた。

 航さんは、視線をテーブルに落としたまま、静かに続ける。


「卒業のとき、他の選択肢も一応は頭に浮かんだんだ。どこか遠くへ行って、まったく新しい環境でやり直すとか……でも、どうしても、ここを離れる気にはなれなかった」


「大学も地元にして、就職もなるべく家でできる仕事を選んだ。……たぶん、その時点で気づいてたんだと思う。俺はまだ、ここに“ひばり”を待っていたいんだって」


 ぽつりと漏れたその言葉に、私は自然と息を呑んだ。


「だから……椎名がこのノートを見せたとき、正直びっくりした」


航さんは、そう言って小さく息を吐いた。


「俺だけじゃなかったって。ひばりのこと、ちゃんとわかってる、他にもいたって。……それだけで、すごく救われた」


少し間を置いて、ぽつりと言葉が落ちた。


「俺は……もうずっと、誰にも話せないと思ってたから」


 照れくさそうな笑みを浮かべながらも、航さんはそっとノートに触れた。


 その仕草が、まるで――そこにいる誰かを、そっと撫でるように見えて。


 私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。


「ありがとう。……本当に」


 ありがとう。

 その一言が、こんなにも静かで、こんなにも重たいなんて――知らなかった。


 ノートの向こうに、“ひばり先輩”がいる気がした。

 誰にも見えなくても、誰にも名前を呼ばれなくても、それでもずっと、ここにいた人。

 ひとりきりで思い続けた時間の長さが、今、少しだけ報われたような気がして――胸が、苦しくなる。


(……ほんとに、ずっと、探してたんだ)


 名前も記録も消えてしまったのに、それでも“忘れなかった”人がいた。

 あの人を“残そう”と、たったひとりでこの町にとどまってくれていた人が。


 (……それは、私も同じだ)


 私の中にも、ひばり先輩がいる。

 名前を呼んでくれた声、夕暮れの窓辺で笑った横顔、七不思議を語るときの目の色。

 それら全部が、今も、ちゃんと残ってる。


 記録には残らなくても。

 誰も思い出さなくても。


 それでも、私は――忘れたくない。


「……私も、ひばり先輩に、ちゃんと伝えたいんです」


 言葉にしてみると、想像していたよりもずっと震えていて、

 それでもちゃんと、胸の奥から出てきたものだった。


「名前が記録に残ってなくても、“ここにいた”ってことを。誰かが、ちゃんと覚えていたってことを……それを、ちゃんと伝えてあげたいです」


 航さんは、少し目を細めて、小さく、そしてあたたかく笑った。


 「……そうだな。誰かが忘れなかった限り、きっと、その先に届くものがある」


 航さんはそう言って、そっとノートの表紙を撫でるように触れた。

 その指先には、まだ見えない未来を手繰り寄せようとするような、祈るような優しさがあった。


 「……ノートを見つけて、ここまで調べてくれた椎名の言葉なら……きっと、まだ彼女に届く」


 言葉のひとつひとつが、まるで渡された灯火のように、胸の奥にぽっと灯る。


 私は、小さくうなずいた。

 その重みを、ちゃんと受け止めるように。


「……私、伝えます。ひばり先輩がここにいたってこと。ちゃんと、忘れてないってこと」


航さんは目を細めて、小さく笑った。

その笑みには、懐かしさと安堵と、そして少しの期待が混じっていた。


「……あいつ、どこかで待ってる気がするよ。椎名の声を」


その言葉を聞いたとき、胸の奥がふっとあたたかくなる。


私はそっと、ノートの表紙に触れた。

航さんと目が合う。どちらからともなく、ふっと小さくうなずいた。


ことばの代わりに、静かな約束が交わされる。


秋の夜の風が、ふと窓の隙間をすり抜ける。

カーテンが揺れ、灯りの影がやさしく揺らめいた。


そこにいた、という痕跡をたどって――今度は、ちゃんと“届ける”ために。

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