表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
篠宮椎名の七不思議研究ノート  作者: 如月
第5章 満月の夜に開く教室
50/66

第50話 見つけた真実

 部室を出た私たちは、細い小道を歩きはじめた。

 夜の校舎裏はひっそりと静かで、満月の光だけが道をやわらかく照らしていた。


 誰もいない、静かな学校。

 それなのに、不思議と怖くなかった。


 コヤと私は並んで歩き、その少し前を、ひばり先輩がゆったりとした歩幅で進んでいく。

 制服のスカートが月明かりを受けて、静かに揺れていた。


「……なんか、夢の中みたいだね」

 コヤがぽつりと呟く。


 私も、そっと頷いた。

 風も止んで、夜の空気が肌をやさしくなでていく。少しだけ冷たくて、でも嫌じゃなかった。


「前はすごく怖かったのに……今日は、なんだか、大丈夫な気がする」


 コヤの声には、どこかあたたかさがにじんでいた。


 ――前。

 たしかに、あのときも三人で旧校舎を訪れた。

 でも、そのときとは違う。

 一緒に過ごす時間が重なって、ちゃんと“この三人”になった気がする。


「こわいけど、その先にあるものを……知りたいって、思う」


 自分で口にしてみて、私は少しだけ驚いた。

 でも、胸の奥には確かにその想いがある。

 この夜を越えた先に、なにかを見つけられる気がしていた。


 ひばり先輩が、歩みを緩めてこちらを振り返る。


 月明かりに照らされたその横顔は、やっぱりどこか静かで、でもやさしくて。

 私たちをちゃんと見つめている、その目が、少しだけ切なさを宿しているようにも思えた。


「大丈夫。ちゃんと、三人で行こう」


 そのひとことが、胸の奥にふっと灯りをともす。


 冷えた夜道に、三人の足音が静かに重なっていく。

 目的地は、もうすぐそこ。

 でも今はまだ、この“途中”が、ただただ大切に思えた。


 ***


 旧校舎の正面に立ったとき、私は一度だけ小さく息を吐いた。

 月明かりが屋根の輪郭を淡く照らし、校舎は静かにそこに在るだけなのに――やっぱり、どこか不気味だった。


 ぎぃ、と音を立てて扉を押すと、ひんやりとした空気が頬を撫でた。

 ひばり先輩が先に一歩踏み込む。そのあとを、私とコヤが続く。


 すぐに、コヤが私の腕にぴたりと絡んだ。

 くっつくように歩きながら、声をひそめる。


「やっぱり、ここ……ちょっとこわい」


 私は手にした懐中電灯のスイッチを入れる。

 細い光が、静まり返った廊下の奥をじわりと照らした。


 軋む床、長くのびる影、使われなくなった掲示板の破れかけた紙。

 まるで時間だけが、ここで止まっているみたいだった。


「三階の……一番奥だよ」


 ひばり先輩の声が、ぽつりと背中越しに届いた。


 廊下を進むたび、木の床がきしむ音が足元に広がる。

 そのたびにコヤが少しだけ身体を寄せてきて、私はそっとバランスを取り直した。


 ――前。

 あのときも三人で旧校舎に来たけれど、今とは違っていた。

 あれから何度も話をして、笑って、ふざけて、少しずつ“私たち”になれた気がする。


 ――こわいけど、その先にあるものを……知りたいって、思う。


 さっき自分の口から出たその言葉に、私は少し驚いた。

 でも、それはほんとうの気持ちだった。


 階段をひとつ、またひとつと登っていく。

 段を踏むたびに、靴の音が木の板を響かせる。

 静けさが、かえって心の音を大きくする。


 三階にたどり着いたとき、空気がまたひとつ、違う色を帯びたように感じた。

 古びた窓から差し込む月光が、白く濃い。


 廊下の先。

 扉は――確かに、そこにあった。


 ひばり先輩を、静かに振り返る。

 その表情は、落ち着いていて、でもどこか少し、切なさを宿しているようにも見えた。


 そして、私たちはその扉の前に立つ。

 懐中電灯の光が、淡く扉の縁を浮かび上がらせている。


「ここ、だよ」


 ひばり先輩が歩み寄り、静かに言った。


 その扉は、ふだん鍵がかかっていて、誰も入れないはずの教室。

 けれど今、確かにそこに立っている私たちの前には、少しだけ開いたすき間が見えた。


 私は息を呑む。コヤがぎゅっと私の腕にしがみつく。

 ひばり先輩は、なにも言わず、そっと手を伸ばす。


 ――扉が、ゆっくりと、開いていく。


 ***


 懐中電灯の光が、ゆっくりと教室の中をなぞっていく。


 机。椅子。黒板。


 どれも見慣れたもののはずなのに、ここに置かれているそれらは、時間から切り離されたものみたいに見えた。


 私たちはその空間に足を踏み入れる。私は無意識に息をひそめていた。


 ……ここに、何かがある。


 そんな予感が、胸の奥で静かにざわめいていた。


 私はゆっくりと教室を見回して――そして、気づいた。


 隅の方、窓際の机の上に、ぽつんと置かれたひとつのノート。


 まるで誰かがそこに「忘れていった」わけではなく、むしろ「置いていった」ような気配をまとっている。


 私はふらふらとその机に近づき、そっと手を伸ばした。


 表紙は少し黄ばんでいて、角がわずかに折れていた。昔ながらの方眼ノート。その真ん中に、鉛筆で書かれた文字が見えた。


 ――七不思議研究ノート。


 胸の奥が、きゅっとなる。


 指先にひんやりとした感触が伝わるのを感じながら、私はそっとノートを開いた。


「なにそれ……」


 小さく息を呑んだようなコヤの声が、後ろから届いた。


 私は答えず、ただページをめくる。


 紙の上には、少し丸みのある文字が並んでいた。まだ幼さの残る、少女の筆跡。


 最初のページには、大きくこう書かれていた。


 《第一の不思議――旧校舎の案内人》


 私はその文字を目で追いながら、コヤの気配を背後に感じた。肩越しにのぞき込む彼女の体温が、ほんのりと伝わってくる。


 ページをめくるたびに、鉛筆の筆跡が続いていく。


 音楽室のピアノ、雨の日の湖、止まった時計、満月の夜に開く扉――


 どれも、私たちが実際にたどってきた場所だった。


 やがてノートは六つ目の見出しへとたどり着く。


 《第六の不思議――消えた女生徒》


 読みながら、私は唾を飲み込んだ。


《去年の夏、○組に所属していた女生徒が突然学校に来なくなった。家庭の事情や転校ではないという噂が広まり、数日後には「旧校舎で姿を見た」という証言も出てきた》


《……彼女が辿った場所にはいくつかの共通点がある。どれも“七不思議”に関連していた。》


《次は、旧校舎の三階を調べてみる。そこに、六つ目の不思議が隠れているかもしれない。……でも、ひとりで行くのは怖い。でも、行かなくちゃ――》


 その先のページは、何も書かれていなかった。


 ぽっかりと、何かが途切れている。


「……途中で、終わってる」


 私は、ぽつりとそう呟いた。


 コヤが、黙ったままそばに寄ってくる。小さな肩が、私の腕にそっとふれた。


「これ、前に調べてた人の記録……かな」


 その言葉は、誰かに問いかけるようなものではなく、自分の中で確かめるような声だった。


「……ほんとにいたんだね。私たちと同じように、七不思議を追ってた人が」


 コヤの声が、やけにまっすぐに胸に響いた。


 でもその人は――私は再び最後のページに目を落とす。


 《でも、行かなくちゃ――》


 どこかに行ってしまった。このノートを残して。


 私は、そっとノートを閉じかけた。けれど、そのとき。


 手のひらの裏側に、かすかな違和感が走った。


(……まだ、なにか、ある)


 私はノートをひっくり返して、裏表紙を懐中電灯の光にさらした。


 そこに、うすく――けれどたしかに――名前が書かれていた。


 鉛筆でなぞったような、筆圧の弱い、丁寧な文字。


 《不知火ひばり》


「……これ、ひばり先輩の名前」


 私は思わず振り返った。


 ひばり先輩は、私の持つノートを見つめたまま動かなかった。

 目を大きく見開き、唇がわずかに震えている。


 その表情は、今までに見たことのないものだった。


 私がもう一度名前を呼ぼうとしたとき、ひばり先輩の肩が、かすかに揺れた。


 驚き――あるいは、もっと深い、何か。


 沈黙が、教室の中に降りてきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ