第34話 奇妙な夢
夢を見ていた。
古びた教室。
木の机、壁の時計。薄曇りの空から、ぼんやりと光が差し込んでいる。
その空間の中に、彼女はいた。
窓辺に立ち、手すりに指を添えて、遠くを眺めている。
制服のリボンは、当時のまま。
風に揺れる髪が、やわらかく光を受けていた。
「来てくれたんだね」
ふと、振り返った彼女がそう言った。
懐かしい声音だった。
けれど、声の奥にはどこか遠いものが混ざっていた。
「ああ」
自分がそう答えたのがわかった。
でも、口の動きを感じたわけではなかった。
「まだ、探してるの?」
彼女の問いかけに、何も言えなかった。
肯定でも否定でもない、ただの沈黙。
その沈黙すらも、彼女は受け入れてしまうのだろうという確信だけがあった。
「でも、もう行かなくちゃ」
その一言が、やけに胸に残った。
そう言った彼女は、寂しげでも悲しげでもなく、ただ静かに微笑んでいた。
その笑みのかたちだけが、何度も何度も夢に現れて、消えていく。
名を呼びかけようとして、やめた。
夢の中でも、それは口にできなかった。
彼女はもう一度、窓の外を見つめる。
「……またね」
そう言ったあと、教室の景色が、すうっと白くかすんでいった。
――ぱち、と目が覚めた。
窓のカーテン越しに、ぼんやりとした光が差し込んでいる。
時計の秒針の音だけが、現実に引き戻してくれる。
短針は、もうすぐ真上を指そうとしていた。
航は、寝返りを打ちながら目元に手を当てた。
(……また、あの夢だ)
彼女の名前を、忘れたことはない。
でも、口にすることも、書き残すことも、もうずいぶんと前にやめていた。
覚えている。
姿も、声も、笑い方も。
けれど、いつも最後の一瞬だけが、夢の中で掴めない。
(……俺は、なにを探してるんだろうな)
問いかけた声は、誰にも届かない。
けれど胸の奥に、小さく波紋のような違和感だけが、今も残っていた。
***
「こんにちは」
扉を開けると、やわらかな光が部室に射し込んでいた。
窓際にいたひばり先輩が、ふとこちらを振り返って微笑む。
「こんにちは、椎名ちゃん。今日、少し冷えるよね」
「……うん、風も強くて、ちょっとびっくりした」
私は鞄を机の横に置き、椅子に腰を下ろす。
部室の中は外よりも少し暖かくて、静かだった。
「東京とは、ちょっと違う冷たさかも」
私がつぶやくと、ひばり先輩が静かにうなずく。
「そうだね~。ここはね、空気が乾いてるし、風も急に冷たくなるんだよ」
「夕方になると、ほんと一気にくるよね」
ソファに寝転がっていたコヤが、もっていたブランケットを引き寄せながら声を上げる。
どこにあったのか知らないけれど、もしかしたらコヤが持ってきたものかもしれない。
「うち、さっき校庭の端っこ通ったら、もう空気が夕方だった。まだ4時前なのに」
「秋の夕方って、あっという間だよね」
ひばり先輩が、窓の外に目を向ける。
私もつられて視線をやる。
空は高く、色がどこか淡くなっていた。陽射しはまだ残っているのに、影だけが先に長くなっていく。
「ちょっと寂しいけど……私はこの空気、好きかも」
私が言うと、ひばり先輩も小さく笑った。
「うん。わかる。よく澄んでて、音がよく響く気がするの。秋って、季節の中で、いちばん落ち着いた時間かもしれない」
「あたしはね、この時期の匂いが好き。秋って、草も風も、どことなく古くて懐かしい匂いするんだよ〜」
「……そうかも」
私は両手をひざの上に重ね、少しだけ深呼吸した。
冷たくもやさしい空気が、胸の奥にしみこむようだった。
ひばり先輩は静かにカーテンの端をつまみながら、外の空を見ていた。
コヤはブランケットを半分かぶったまま、ソファの上で丸くなっている。
言葉も動きも、ゆるやかに流れていく。
午後の時間は、部室の中だけ、すこし長く続いているようだった。
――そんな静けさの中で、ふと、コヤが口を開いた。
「……そういえばさ」
私はそちらに目をやる。
「昨日の夜、ちょっと変な夢見たんだよね」
コヤはブランケットにくるまったまま、天井を見上げていた。
「なんか、椎名ちゃんと一緒に旧校舎を歩いてたの。
廊下がやけに長くて、足音もあんまり響かなくて、空気が重たい感じだった」
「……私と?」
「うん。夢の中では、ふつうに一緒に行動してた。
ある教室の前で、椎名ちゃんが立ち止まったの。
何も言わなかったけど、じっとドアの奥を見てて……それが、ちょっと変だった」
私は黙って聞いていた。
「中に入ったら、教室はすごく静かで……多分、夕方だったと思う。窓の外が変な色してて。
壁に時計がひとつだけ掛かってて、止まってた。でも、うちは何時か見てない」
「それで?」
「椎名ちゃんがね、その時計を、じっと見てたの。
すごく真剣で……“時計を見てる”っていうより、その奥にある“何か”を見てるみたいだった」
コヤは目を閉じて、記憶を探るように言葉を選んでいた。
「顔は見えなかったんだけど……なんか、“そこにあるもの”を本気で見てるって感じがして。
それが、夢なのにやけにリアルで。ちょっと、引っかかってる」
私は、返す言葉を探しながら、それでも何も言わなかった。
静けさだけが、部室の中にすうっと戻ってくる。
外の空気が、また少しだけ色を変えていた。




