第33話 祈り
数日が過ぎた。
あれから、ずっと晴れの日が続いていた。
青い空にぽつりとも雲がなく、頼りない秋の日差しが校舎の屋根を照らしていた。
(……本当に、雨降るのかな)
私は廊下の窓から空を見上げた。
部室で噴水の話をしてから、ひばり先輩やコヤとは「いつ降るかな」なんて話していたけれど、肝心の雨はちっとも降らなかった。
“雨の日にだけ満ちる湖”――そんなの、ただの昔話なんじゃないかと思えてくる。
昼休み、購買の前でまどかと出くわした。
「ねえ、椎名ちゃん、今日の新商品、買えると思う?」
「……どうだろう」
「今日こそ一番乗り狙うんだ……!」
まどかはいつもの調子で意気込んでいた。
私はあいまいに頷きながら、ちらりと窓の外を見る。
晴れている。今日も、雨が降る気配はなかった。
まどかと一緒にパンを買って、教室で昼食をとった。
その間も、外の景色に変化はなかった。
けれど――
午後の授業が終わる頃だった。
どこからか「あっ、雨だ!」という声が響いてくる。
私ははっとして、窓の外に目を向けた。突然、滝のような雨が降り出していた。
(……降った!?)
さっきまでの青空は一変して、黒い雲が空を覆っている。
窓ガラスを叩く雨粒の音が、教室のざわめきをかき消していた。
「わっ、すごい降ってきたね!」
まどかが驚いて窓に駆け寄る。
「急に……」
私は小さく呟いた。思わず席を立つ。
心臓がドクンと鳴った。
(もしかして……!)
噴水。あの場所――今なら、水が張っているかもしれない。
「椎名ちゃん!?」
まどかの声が背中に追いかけてきたけど、私はすでに教室を飛び出していた。
廊下を駆け抜け、外へ出る。
(ひばり先輩と、コヤは……!)
目指すのは、オカルト研究会の部室。
ドアを勢いよく開けると――
「おっ、椎名ちゃん、来ると思った!」
ひばり先輩が窓の外を見ながら、にこりと笑う。
コヤはソファに座って、テーブルの上を指でトントンと叩いていた。
「やっと降ったね〜!」
「すごい雨……」
「まさにお願い日和ってやつ!」
コヤが元気よく言う。
「それじゃ、行く?」
私が尋ねると、ふたりは顔を見合わせて、同時に頷いた。
「行くでしょ!」
「せっかくだし、確認しなきゃね!」
ひばり先輩が勢いよく立ち上がる。
「いざ、雨の日にだけ現れる“湖”へ!!」
濡れることなんて、気にしていられなかった。
廊下を抜けて玄関を飛び出し、雨の中を旧校舎の中庭へ向かう。
冷たい雨が頬を打つ。
制服の袖に、水滴がじわじわと染み込んでくる。
それでも、足を止めることはなかった。
そして――
目の前に広がっていたのは、
水をたたえた湖だった。
***
前は乾いていた石造りの池が、今は静かに波紋を広げている。
雨粒が落ちるたびに、水面が揺れて、光を反射してきらめいていた。
「……これが七不思議の姿なんだね」
ひばり先輩が、ぽつりとつぶやく。
コヤは目を輝かせて、しゃがみこみ、水面をじっと見つめていた。
「ほんとに水、張ってるね〜!」
ちょん、と指先で触れた水面が、静かに波紋を広げていく。
雨だから水が溜まるのは当然かもしれない。
でも、実際にこうして“噂の通り”の光景が目の前にあるのは、不思議だった。
「さて、それじゃあ……やる?」
コヤが待ちきれない様子で、ポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出した。
「うちは準備バッチリ! ちゃんと書いてきたもん!」
満面の笑みを浮かべて、コヤは紙を軽く投げた。
ぽちゃん。
小さな音を立てて、水面に落ちた紙が、ゆっくり沈んでいく。
「はい、完璧! これでお菓子食べ放題!」
「ほんとに叶うのかな?」
「叶うよ! だって七不思議なんだから!」
コヤは、自信満々に胸を張った。
「じゃあ、次は私ね」
ひばり先輩はポケットから、きれいに折りたたまれた紙を取り出す。
「もっとオカルト研究会が楽しくなりますように」
そう口にして、そっと紙を投げた。
ふわりと水面に落ちた紙は、雨粒に打たれながら、ゆっくりと沈んでいった。
「さあ、椎名ちゃんの番だよ?」
「……」
ポケットの中に、小さく折りたたんだ紙がある。
いつでも出せるように、ずっと持っていた。
私はそれをそっと握りしめたまま、水をたたえた湖を見つめる。
――願い。
(……昔は、すぐに決まってた)
「静かに暮らしたい」
それだけが、昔の私の願いだった。
でも、それが叶った結果、私はひとりきりになった。
願いはたしかに叶ったけれど、どうしようもなく、寂しかった。
今はどうだろう?
オカルト研究会で過ごす時間。
まどかと話す昼休み。
ひばり先輩やコヤとふざけ合う放課後。
それらが「ずっと続けばいいな」って、思っている自分がいる。
紙の端を、指先でなぞる。
「椎名ちゃん?」
ひばり先輩の声に、私はそっと顔を上げた。
息を吸い、小さく頷く。
そして、何も言わずに、紙を水面へ投げた。
ぽちゃん。
小さな音を立てて、願いは水の中へと沈んでいった。
「……椎名ちゃん、何書いたの?」
ひばり先輩が、少し首をかしげて尋ねる。
そういえば、先輩と似たような願いになってしまった気がして、私はちょっとだけ顔をそむけた。
「……内緒」
ひばり先輩が優しく笑って、コヤがわーっと声を上げる。
「絶対叶うよ! だって七不思議なんだから!」
雨はまだ降り続いている。
制服はすっかり濡れて、髪の先から水が滴っていた。
それでも、誰も帰ろうとはしなかった。
「……なんか、楽しいね」
ひばり先輩がぽつりと言う。
「七不思議のひとつを、こうして試せるなんて」
「うち、めっちゃ楽しい!!」
コヤが両手を広げてくるくる回る。
「雨って、こんなに気持ちよかったっけ?」
「それはどうかな……風邪ひくよ」
私が呆れたように言うと、ひばり先輩もくすっと笑った。
「そろそろ戻ろっか」
「そだね!」
「お菓子、まだ残ってるかな?」
「……そればっかり」
「だって、それが願いなんだから!」
コヤは得意げに言う。
「じゃあ、叶ったね」
ひばり先輩がくすくすと笑って、私もつられて口元が緩んだ。
湖の水面は、静かに波紋を広げていた。
そこにはもう、願いを託した紙の姿は見えなかった。
(……誰かが見てくれてるって、信じてみてもいいのかもしれない)
私は、そう思いながら、ふたりのあとを追って歩き出した。




