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篠宮椎名の七不思議研究ノート  作者: 如月
第3章 雨の日に満ちる湖
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第31話 2人の放課後

 放課後、私はオカルト研究会の部室へ向かった。


 旧部室棟の廊下は、今日もひっそりとしていた。

 夕方の光が細長く差し込んで、古びた床を静かに照らしている。


 私は部室の前で立ち止まり、そっと扉に手をかけた。


 ――ギィ。


 軋む音とともに扉を開くと、ひばり先輩が机に突っ伏していた。

 深く寝ているようで、すうすうと寝息が聞こえる。


 表情は穏やかで、どこか無防備だった。

 開きっぱなしの資料に頬を寄せて、長い前髪がふわりと顔にかかっている。


 髪はところどころ光を透かしていて、まつ毛の影が頬にうっすら落ちていた。

 よく見ると、口元がほんの少しだけ上がっている。


 ……ちょっと、楽しそうな夢でも見てるのかな。


 私はそっと扉を閉め、音を立てないように椅子を引いた。

 起こすのが悪い気がして、静かに本棚へ向かう。


 本を1冊選んでページをめくりながら、ちらっと視線をひばり先輩に向けた。


 机に伏せて眠っているだけなのに、なぜか目が離せなかった。

 光の当たり方なのか、寝顔のせいなのか――うまく言えないけど、なんだか綺麗だった。


 普段のひばり先輩は、飄々としていて冗談ばかり言っているのに、今はまるで別人みたいだった。


 こんなふうに、ただ静かにしてるだけで“きれい”って思うの、ちょっとずるい。


 ときどき、ひばり先輩が小さく身じろぎする。

 でもすぐにまた、静かになる。

 私は文字を追いながら、何度か、視線を彼女の方へ戻していた。


 窓の外では風が木の葉をゆらし、遠くで運動部の掛け声が聞こえていた。

 でもこの部室のなかだけは、それと切り離されたみたいに、穏やかな空気が漂っていた。


 やがて。


「……ん」


 寝返りのように体をゆるめて、ひばり先輩がゆっくりと顔を上げた。

 まばたきしながら辺りを見回し、私と目が合う。


「……えっ? 椎名ちゃん、いつからいたの?」


「しばらく前から」


「全然気づかなかった……」


 そう言って、頬を押さえながら照れくさそうに笑った。


「ん〜、よく寝た……ていうか、もうこんな時間か」


「……ぐっすりだったね」


「恥ずかし……あれ? コヤちゃんは?」


「今日は来てない」


「そっか。なんか珍しいね」


 ひばり先輩は、ぼんやりと天井を見上げた。

 どこか気だるげだけど、そんな時間が心地いいらしく、静かに息を吐いていた。


「こういう放課後、いいなぁ」

 ぽつりと、ひとりごとのように言う。

「何もしてないけど、なんか、いい感じ」


 私は本を閉じて、そっと机の上に戻した。


「……暇だっただけじゃないの?」


「そうとも言うけど。ね、椎名ちゃんはどう思う?」


「何が?」


「こういう時間。部室でぼーっとしてるだけでも、ちょっと好きかもって思えるのって、さ」


 ひばり先輩が横目で私を見る。

 その視線は軽いのに、どこかまっすぐだった。


「……悪くないと思う」


「だよね~」


 ひばり先輩はにこっと笑って、また天井に視線を戻した。


 私は、なんとなくその横顔を見ていた。

 まどかとはまた違う雰囲気で、でもどこか似ている。

 “今”を楽しんでいる人の顔だった。


 ***


「そういえば、椎名ちゃんは? なにか願い、考えた?」


 私は、ほんの少しだけ目を伏せた。


「……まだ、わからない」


 昼にまどかと話して、少しだけ何かが見えた気がするけど、それを言葉にするにはまだおぼろげだった。


「そっか。それなら、それでいいんじゃない?」


「……いいの?」


「うん。願いって、無理に決めるものじゃないし。

 “こうだったらいいな”って自然に思える瞬間があれば、それがたぶん一番本当だよ」


 私は、そっと頷いた。

 焦らなくていい。そう言ってもらえたことが、少しだけ心を軽くしてくれた気がした。



***


 部室を出て、校舎の外へと向かう。


 空は少しずつ、オレンジから紺色へと色を変えていた。

 遠くで運動部の声が響き、夕方特有の穏やかな風が、頬をかすめる。


 「湖、見に行ってみない?」


 ひばり先輩のそんな気まぐれで、私たちは外に出て旧校舎に向かっていた。


(……二人で歩くのって、なんだか珍しいな)


 部活に入ってから、ひばり先輩と過ごす時間は多かった。

 でも、気が付いたら、大体私たちの近くにはコヤがいた。

 出会ったときから一緒で、当然のように部活の一員になっていた。


 だから、こうしてひばり先輩と二人きりで歩くのは、少しだけ新鮮だった。


「コヤ、ほんと気まぐれだよねぇ」


 ひばり先輩がふと口を開く。


「……そうだね」


「来るときは勝手に来るのに、いないときは全然来ないし」


「猫だから?」


「猫っていうか……コヤだから、じゃない?」


 ひばり先輩がくすくすと笑った。


 その横顔を、私はなんとなく見つめる。


(……ひばり先輩って、どんな人なんだろう)


 いつも飄々としていて、掴みどころがなくて。

 どんなときも、どこか楽しそうにしていて。

 冗談ばかり言ってるようでいて、肝心なことはあまり語らない。


 でも、さっきの寝顔は違って見えた。

 机に頬をのせて、静かに寝息を立てていたあの姿は、ただの普通の女の子みたいだった。

 無防備で、少し幼くも見えた。


 意外だったわけじゃない。ただ――いつものひばり先輩とは、少し違う気がした。

 その違いが、不思議と気になった。


 そんなことを考えながら、私は横を歩く彼女の顔をもう一度、そっと見た。


 その視線に気づいたのか、ひばり先輩がちらりとこちらを向いた。


「ん? どうしたの?」


 一瞬、息が止まりかけた。


 ひばり先輩の瞳は淡い紫色をしていて、夕暮れの光を受けて、やわらかく揺れていた。

 不思議な色だった。昼間よりも透けるようで――でも、その奥に、なにかを隠しているようにも見えた。


「……あ」


 とっさに、言葉が出ない。


 何かを聞こうとしていた気がするのに、何を聞こうとしていたのか、自分でもよくわからなかった。


「……ひばり先輩って――」


 それでも、なにかを言いかけた、そのとき。


「――あ、着いたね」


 ひばり先輩が足を止めた。


 私は、飲みかけた言葉をそのまま喉の奥にしまって、目の前の景色へと意識を向けた。


 湖――そう思っていたものは、実際に目の前で見ると、どちらかというと池に近かった。


 小さな石造り。その石の縁はところどころ欠けていて、内側には乾いた土がむき出しになっている。

 おそらく、昔はここに水が張られ、美しく整えられていたのだろう。

 けれど今は底が乾ききっていて、ただの石造りのくぼみにしか見えない。


 それでも、その空間には、どこか特別な静けさがあった。


 ひばり先輩が、ふと立ち止まってつぶやく。


「……なんか、不思議な場所だね」


 私はその隣に立ち、うなずく。


 風が吹いて、木々の枝がかすかに揺れた。

 空は、すっかり夕暮れの色に染まっている。


 湖は水を失っていたけれど、そこに立っていると、

 まるで何かを待っているようにも見えた。


 私たちは言葉もなく、しばらくその場所に立ち尽くしていた。

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