第26話 帰り道
「じゃあ、ここでお別れだね」
校門の前で、ひばり先輩が軽く手を振った。
「気をつけて帰るんだよ、椎名ちゃん」
「……うん」
私は頷く。
「またねー!」
コヤも楽しそうに手を振ってくれる。
私は校門をくぐり、ゆっくりと夜の道へと歩き出した。
背後で、ふたりが見送ってくれている気配がする。
少し歩いて、角を曲がったとき――もう、ふたりの姿は見えなくなっていた。
「……さあて、うちも帰ろっかな」
コヤが軽く伸びをしながら、ひばり先輩の方を振り向く。
「ひばりは――」
言いかけて、ふと動きを止めた。
そこに、ひばり先輩の姿はなかった。
「……え?」
ほんの数秒前まで確かに隣にいたはずなのに。
その気配すら、どこにも残っていない。
夜の静けさが、ふっと深まった。
(……いつの間に?)
コヤは眉をひそめた。
ひばり先輩の気配が、するりと消えている。
まるで、最初からそこにいなかったみたいに。
(……まあ、そういうときもあるか)
少し考えたあと、コヤは小さく息を吐いた。
そして夜の風に乗るように、すうっと旧校舎のほうへ歩いていった。
***
私は夜道を歩きながら、帰りの言い訳を考えていた。
(……どうしよう)
「買い物に行ってくる」って言って出てきたけど、さすがに遅すぎる。
適当に「ちょっと寄り道してた」って言えば済むかもしれない。
でも、航さんは鋭いし、あんまりいい加減なことを言うと、すぐに気づかれそうだ。
(自然にお茶を濁せる方法……)
そんなことをぼんやり考えながら、角を曲がったときだった。
「……あれ?」
前から歩いてくる人影がある。
「椎名ちゃん?」
「……まどか?」
思わず足を止める。肩にスポーツバッグ、手には教材のファイル――塾帰りのまどかだった。
「こんな時間にどうしたの?」
「……買い物の帰り」
自然と口をついて出た言葉だった。
「そっか、椎名ちゃんも遅いね。私も塾があってさ、いつもこのくらいになっちゃうんだよね」
「……塾?」
「うん、英語の。うちの親がうるさくてさー」
まどかは少し困ったように肩をすくめる。
「椎名ちゃんの家、この辺だよね?」
「うん」
「なら帰り道一緒じゃん。せっかくだし、一緒に帰ろ?」
「……いいの?」
「もちろん!」
まどかが隣に並んで歩き出す。
その調子があまりに自然で、私もなんとなく並んで歩き出していた。
歩きながら、ぽつぽつと会話が弾む。
「そういえば、購買の新しいパン、食べた?」
「……まだ」
「そっか、私はね、この前、食べてみたんだけど……うーん、まあまあって感じ?」
「どんな味?」
「なんかね、ミルク感強めのクリームパン。でも正直、普通のやつの方が好きかなー」
「……そうなんだ」
「椎名ちゃん、甘いの好きでしょ? たぶん気に入ると思うよ」
「……かも」
話す内容は、どうでもいいようなことばかり。
でも、夜の空気が少しだけやわらかく感じられた。
(……なんか、安心する)
ほんのさっきまで私は旧校舎にいた。
七不思議の調査をして、知らない子とピアノを弾いて――
あれが夢だったのか現実だったのか、まだわからない。
でも、こうしてまどかと並んで歩いていると、少しずつ“戻ってきた”気がする。
(まどかと話してたら遅くなっちゃった、って言えばいいか)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
(……ちょっとずるい、かな)
そう思ったら、少しだけ笑ってしまった。
「……ん? どうしたの?」
まどかが私を覗き込んでくる。
「……なんでもない」
「ふーん?」
じっと私の顔を見て、それからふわっと笑った。
「でも、椎名ちゃんが笑ってるの、ちょっと珍しいかも」
「……そう?」
「うん。なんか、いいね」
まどかは嬉しそうに言った。
私はほんの少しだけ目を伏せる。
(……そう、かな)
自分ではよくわからない。
でも確かに、さっきより気持ちが軽くなっていた。
夜の道はまだ静かだけど――
どこか、やさしい風が吹いている気がした。