第20話 弾いてはいけないピアノ
私は、ぼんやりとひばり先輩の手元を見ていた。
閉じられた資料の表紙。
その下に、たしかに“何も書かれていなかった”ページがある。
(なんで、空白のままなんだろう)
ひとつだけ、欠けたまま置き去りにされたような――そんな奇妙な感覚が胸に残っていた。
「……ひばり先輩って、七つ目のこと、気にならないの?」
自分の声が、少しだけ軽く跳ねた気がした。
問いかけると、ひばり先輩は肩をすくめて笑った。
「うーん、気になるけど……でもさ、“七つ目がないこと自体が不思議”って考えるの、ちょっと面白くない?」
「ないのに、七不思議……?」
「そうそう。七つあるって言われてるのに、最後のひとつだけ見つからない。だったら、その“見つからない”ってこと自体が、もう七つ目ってことにしちゃえば成立すると思わない?」
ひばり先輩は、どこか楽しそうに言う。
……なんていうか、そういう考え方、嫌いじゃない。でも、だからって納得できるかって言われると、やっぱり引っかかる。
コヤが、資料に視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「でもさ、もし本当にあったとしたら……誰かが“わざと消した”ってことじゃない?」
「……消した?」
「うん。知られたらマズいことだったとか、見ちゃいけないものだったとかさ」
私はもう一度、七つ目の空白を見つめる。
(本当に存在していたとしたら――なんで、消されたの?)
考えようとした瞬間、胸の奥に重たいものが落ちた気がして、私は息を吐いた。
「……考えても仕方ないよね。証拠が何もないんだし」
「割り切るねぇ、椎名ちゃん」
コヤが笑って、椅子の上で足をぶらぶらさせる。
「でもさ、調べてみたら? 考えるだけより、実際に何か動いたほうがいいかもよ?」
隣では、ひばり先輩が資料の端を指でとんとんと叩いている。
「七不思議の中から、気になるのをひとつ選んで、確かめてみるとか」
「……確かめる、か」
(七つ目の謎にたどり着くには、他の怪異から追っていくしかないかもしれない)
「じゃあ、『弾いてはいけないピアノ』、調べてみない?」
私がそう言うと、コヤが小さく肩をすくめた。
「おおっ、いきなり怖いやついくね~。旧校舎の音楽室って、夜になると勝手に鳴るんだっけ?」
「そうみたい。資料にも書いてあったよね、たしか……」
私がページをめくろうとしたとき、ひばり先輩の指がすっと伸びた。
「ここ」
ひばり先輩がページを開いて、見出しのすぐ下を指先でとんとんと叩く。
”旧校舎の音楽室にあるピアノは、夜になると勝手に鳴る。だが、誰かが触れると――”
そこで文章は途切れている。
「……中途半端」
「うん、なぜかね。最後の肝心なところが抜けてるの」
ひばり先輩が肩をすくめる。
(夜になると、勝手に鳴る……か)
つまり、調査するなら“夜の旧校舎”に行くしかないということ。
「……でも、それってどうすればいいんだろう。夜に校舎に入るのって、さすがにまずいよね」
私はひばり先輩の言葉を反芻しながら、少し考える。
夜の旧校舎――
ふと、コヤの顔が浮かんだ。
「ねえ、コヤなら……夜でも入れるんじゃない?」
「え、ちょ、待って?」
コヤがビクッと肩をすくめる。
「やだよ! 絶対に!」
「えー、なんで? コヤちゃんなら自由に出入りできるし、見つからないんでしょ?」
ひばり先輩の言葉に、私も思わずうなずく。
「うん、確かに、理にはかなってるけど……」
「やだって言ってるでしょ! 怖いもんは怖いの!」
(……コヤ、まさかのビビり)
私は無言でじとっとコヤを見た。
軽く目を細めて、呆れ半分、同情半分。
「……七不思議のくせに……」
「そうだよっ! でも怖いもんは怖いの!」
コヤはぷいっと顔をそらし、口をとがらせた。
「とにかく、あたしが行くのはナシ! 絶対ナシ!」
「はいはい、じゃあ今度、みんなでね」
ひばり先輩が笑いながら資料を閉じた。
「ちゃんと準備して、夜に旧校舎へ行ってみよう」
「……うん」
私は、窓の外をちらりと見る。
夕焼けに照らされた旧校舎の屋根が、真っ赤に染まっていた。