表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
篠宮椎名の七不思議研究ノート  作者: 如月
序章 転校
2/66

第2話 余計なもの

 駅舎を出ると、風が頬をかすめた。


 空気は乾いていて、ほんのり冷たい。

 秋の昼の光は弱く、アスファルトの上に静かな影を落としている。


 駅前は静かだった。人の姿はほとんどなく、迎えの車もまだ来ていない。


 私はキャリーケースの取っ手を握ったまま、ベンチのそばに立ち尽くす。通りすぎる人も、こっちを見る人もいなかった。


(……静かな町)


 音も少ないし、人の気配すらぼんやりしていた。静かで、誰かに踏み込まれるような感覚もない。


 そういう場所の方が、私はずっと落ち着く。


 ……でも、なんでだろう。


 いつから、こんなふうに感じるようになったんだっけ。


 ***


 はじめて“余計なもの”を見たのは、たしか幼稚園のときだった。


 小さな公園。

 ブランコがぎい、と風に揺れていた午後。


 私は友達と鬼ごっこをしていて、ちょっとだけ鬼から逃れて木陰に隠れていた。


 そのときだった。

 フェンスの向こう、駐車場のすみで、誰かがこっちを見ていた。


 見知らぬ男の子だった。

 晴れた日なのに、髪が濡れていて、服もどこか古びていたけれど、私は何の疑問も持たずに声をかけた。


「あなたも、一緒に遊ぼうよ」


 男の子はびくりと目を見開いたあと、すぐに走っていった。


 私は驚いて追いかけようとした。

 でも、友達に手をつかまれて止められた。


「ねえ、椎名ちゃん……誰と話してたの?」


 その声には、ほんの少しの不安と戸惑いが混ざっていた。


「……さっきの、あそこにいた子」


 私が指さした先には、もう誰もいなかった。

 でも、確かにいたのだ。

 私の目には、ちゃんと映っていた。


 その日を境に、「少しずつ」変わっていった。


 誰かと話していると、ふと相手の目が泳ぐ。笑い合っていたはずなのに、急にぎこちなくなる。


 何かがおかしい。

 でも、それが何なのかは、まだはっきりとはわからなかった。


 やがて教室の隅で、私の名前がささやかれるようになる。


「あの子、変なものが見えるんだって」


 声は聞こえたけれど、何も聞こえなかったふりをした。でも、それから、似たような言葉を何度も耳にした。


 小さな笑い声とともに誰かが言う。


「勝手にぶつぶつ言ってたらしいよ」


 廊下ですれ違った子が、友達同士でこそこそ話す。


「昨日も、誰もいないとこ見てたって」


(――ああ、そういうことか)


 なんとなく、腑に落ちた気がした。


 それから私は“余計なもの”を無視するようにした。何があっても視線をそらし、聞こえなかったふりをする。

 そうしていれば、きっと普通になれると思っていた。


 だけど、遊びに誘われることは少なくなっていく。会話の輪に入ることもなくなっていった。休み時間に話しかけても、返ってくるのはどこかよそよそしい声。


 それでも、気にしなかった。


 もともと1人でいるのが好きだった。

 みんな忙しくなっただけだ。

 そう思い込む。


 気にしなければ、それは存在しないのと同じだから。それも“余計なもの”なのだと、思うことにした。不安も寂しさも、感じないようにすれば、傷つかなくてすむと思った。


 そうして、私の周りには何もなくなった。


 小学校も高学年に上がる頃には、私はすっかり“静かな子”として扱われていた。無口で、落ち着いていて、ちょっとミステリアス。


 でも、はっきり嫌われているわけでもない。


 “関わりにくいけど、害のない子”。

 そんなポジションに、自然と落ち着いていった。


 私は、自分からも人に近づかないようにした。

「話しかけられないなら、それでいい」

 そう言い聞かせて、心のどこかをそっと閉じた。


 そんな日常は、静かだった。


 朝起きて、いつもの服に袖を通して、学校へ行く。授業を受けて、給食を食べて、帰ってきて、部屋にこもる。


 誰にも気づかれずに過ごせることが、最初は安心だった。でも、いつの間にか、それが“なにも起きない日々”になっていた。


 人との関わりは薄く、けれど心は静かに痛みを残していった。


 それでも、何かを変えようとは思わなかった。


「変わりたい」とか、「わかってほしい」とか。

 そういう感情さえ、もう疲れてしまっていた。


 ***


 だから、母に「海外勤務」の話をされたとき。

 私は、なぜだか少しだけ、ほっとしてしまった。


「ここを出ていける」という理由じゃなかった。


「別の場所なら、もっと普通に過ごせる」って、そう思ったのだ。


 私は、どこに行っても変わらない。

 だったら、違う景色のなかで、静かにすごしていけばいい。


 人と関わらない。誰にも気づかれずに過ごす。

 余計なものは、見ない。感じない。話さない。


 新しい場所でそうしていれば、私は“普通”のままでいられる。

 そう信じて、私は霧ヶ原にやってきた。


 キャリーケースを引きながら、私は駅の出口を見上げる。


 やわらかい陽射し。

 白い雲と青い空。

 少し乾いた風。


 どこまでも静かな町だった。


 でも私は、その静けさの中で――、

 ほんの少しだけ、胸の奥がざわついていることに気づいていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ