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五話目。「ほんの少しの勇気。ほんのひとかけらの情熱。なのに、それが見えたのが、嬉しい。」





「──あれ、成瀬くんと一緒やないんや」


 放課後、トランポリン部へ足を運ぶ公音と別れて立ち寄った売店、の隣の自動販売機。ラベルにデカデカと強炭酸ライチと書かれたペットボトル──昨日の帰り、駅で公音が飲んでいたのと同じ炭酸飲料を手に取ったところで声を掛けられて、シュウは「あ?」と振り返った。

 上田だった。たしか下の名前は海玲かいれいというんだったか、とにかく変わった名前だな、と、名乗られたときも思った記憶がある。名前が変なのは公音という幼馴染もそうだが。


「別に四六時中一緒なわけやないわ、恋人でもあるまいし」

「へえ、」


 涼しい顔のまま、上田が不思議そうに言う。


「付き合ってないんや、すごい凸凹カップルやと思ってたけど」

「ぶふっ」


 思わず吹いた。あれを彼氏彼女のじゃれ合いと思い込むのはさすがにアホやろ、と。

 シュウは隣のベンチに腰掛けた。


「ウチと公音が? 笑えるジョークやなァ、おい」

「幼馴染だって知ったらそう見えたりもするってことやよ、ちょっと噂にもなってる」

「色ボケの思う所はよく分からんわ」


 そう言いながら、シュウはペットボトルの蓋を開ける。プシュッ、と勢いのいい音が鳴って、中の炭酸が弾けだした。

 飲んでみると、たしかに炭酸が強い。公音がむせたのも納得だ。


「てか、諏訪山さんは何しとるん?」

「暇つぶし」

「成瀬くん待ち?」

「アイツの用事が終わるまでな」


 しかし、自分と、公音がねえ……。幼馴染というだけでそう見えるものなのか?

 小首をかしげてみて、ふと、シュウは上田がどうして自分を呼んだのかが気になった。


「てか、どしたん? ウチに絡むキャラでもなさそうやのに……いや、公音に用がある感じか」


 言いながら、途中で彼の言葉の詳細を思い出して、言葉を変えた。


「いや、用ってほどでもないんやけどさ。トランポリン部っていうのができてたみたいで、成瀬くんはそこに行くのかって気になって。ちょっと訊いてみようかって」


 シュウと入れ替わって自販機に小銭を入れながら上田がそう答えて、そういえば他のクラスメイトの中でも公音と比較的に仲が良かったな、と思い出した。

 こうして彼のことを直視してみると、なるほど、公音と雰囲気が少し似ている。見た目や性格は全然違うのだが、上田が少なくとも他のクラスメイトのような……楠や山田や香月のような、いわゆる陽キャに積極的に絡む人間にはあまり見えなかった。


「昨日、前にやってたって聞いたからさ」

「……アイツがトランポリン部行くかどうかはウチにも分かんねェよ」


 ふー、とため息がちにシュウは答えた。色々と、自分でも少々強引過ぎたか、と反省しているぐらいに後押しはしてやったつもりだが、結局彼がそれに何を思って、どこに進もうとするかは自分視点での想像までしかできない。


「あンだけ引きずってんだ、やりゃアええやないかって、ウチは思うんやけどな」

「何かあったん? 昨日もなんとなくそんな気はしてたけど」

「……そりゃ、分かるか」


 ピッ、ガタン。きっとそれが習慣なのだろう、迷いなくボタンを押して受け取り口から缶コーヒーを取り出した上田が、シュウとの間に少しの距離を空けてベンチに腰掛けた。


「俺も挫折の経験はあって。テニスやってたけど、中学で肘壊して辞めた」

「テニスか……授業でしかやったことないけどウチはさっぱりやったわ」

「まあ、挫折って言っても俺はそもそも地区予選で一回勝てるかぐらいやったし、そもそもなんとなくでやってただけやから、辞めて後悔、とかはないんやけど」


 そう言って軽く過去を笑い飛ばし、上田はコーヒーを一口飲んだ。その様子を隣でこうして目にしてみると、なるほど、たしかにシュウは、彼が地面叩いて悔しがる、みたいな姿を想像できなかった。


「クールかよ」

「感情ないとか言われたことあるけど、やっぱ諏訪山さん的にもそう見えんの?」


 いや、そうでもないかもしれない。シュウが最もよく知る男子というのがあのクヨクヨ・ナヨナヨの公音だから、俯いた背中を先程見送ったばかりで誰も彼もがクールに見えているだけの可能性もある。


「いや、一瞬思ったけどそうでもないかもやわ。今ウチの審美眼狂ってるから」


 がばっと豪快に強炭酸で喉を洗い、シュウは背もたれに肘を預けて天井を仰いだ。

 ……どっちに転ぶのか。

 シュウとしては背中を押した、つもりだ。ただ、よくよく気を付けて押し出さないと、そのままの勢いで一歩を踏み出せず、ばたんと転んでしまう危うさが公音にはあった。


「多分やけど、」

「あん?」


 上田がそう切り出した。


「成瀬くんがどういう経緯でトランポリン辞めたかは分からへんけど、味わった挫折は俺の比じゃないんやろうな」


 トランポリンをやっていた、という過去そのものをなかったことにしようとしている、と昨日の公音の言い方に感じた。

 ストイックに打ち込んだ反動、ってやつなんだろう。トランポリン選手だった、とシュウに指摘されて教室を抜け出すぐらいのトラウマを抱えるなんて、自分ではなかなか想像できない。


「ちなみにさ、」


 シュウの方へ振り返って、上田が尋ねた。


「トランポリン部って、活動日今日やったっけ」


 シュウが「おうよ」と、八重歯をむき出しにして笑う。

 四月から、放課後はたいていシュウと一緒に居たイメージの彼がここに居ないってことは。


「……体験してるんか」

「いつまでも隣でクヨクヨされちゃァ、見てらンねェからよ。説明でも何でも聞いて来いって蹴っ飛ばしたわ」


 蹴っ飛ばしたのはさすが冗談だろうけど。

 向き合っているんだ、えらいな、と思う。今は肘なんてとっくに治っているけれど、自分はもう一度テニスをプレイしろ、と誰かに言われたとしても「やらへんよ」と軽く受け流してしまうだろう。

 口に付けた缶コーヒーを傾ける上田の隣、シュウは開けっ放しだったペットボトルの蓋を閉めた。


「せっかくやし、見に行くか」

「どっか行くん?」


 上田が訊いた。シュウはまた、八重歯をむき出しにして面白そうに笑った。


「体育館。独りで観たってつまんねェし、オメーも来いよ。アイツそこにおるから」

「体育館って、部活とかなくても入っていいもんなん?」

「下はさすがにアカンやろォけど、上の……なんて言ったらいいんや、二階? まあ、そんな感じのアレなら大丈夫やろ」


 ……体育館の二階? ああ、ギャラリーのことか。


「じゃあ俺コーヒー飲み切ってから行くわ、先行ってて」

「持っていきゃええやろ……いや、そういやオメーのは缶か」

「そうなんよ」

「あィよ」


 シュウは後ろ手に手を振って、体育館へ向かっていった。


「……意外と普通なんや」


 最初は番長がクラスにいるとか思ったぐらいだが、番長なのは金髪と制服の着方と口調だけだと知って、上田は呟いた。

 半分残っていたコーヒーをグイッと飲み干して、空き缶をゴミ箱に押し込む。

 ちょっと、見てみるか。

 上田も体育館へ向かう。

 体育館の前、扉の向こうから運動部の掛け声が響く。入口を横切って、蛍光灯の点いていない階段を上がると、ギャラリーの入り口の側で手すりに片肘をついて体育館を見下ろすシュウがいた。


「お待たせ―」

「お、早かったな」

「一気飲みで来ただけやけど。諏訪山さんを怒らせたら怖いし」

「おいおい、人を見た目で判断する系男子かよ」

「冗談やって」


 隣に並んで手すりに首だけ乗り出した。


 横に来るとやっぱ背高いな、この人。

 横おると意外と小っせェな、コイツ。


 二人はそれぞれ、互いに逆のことを感じていた。

 目下、バレー部とバスケ部と剣道部が同時に活動しているせいだろう、普段はだだっ広く感じる体育館が今日は妙に狭い。

 館内のほとんどがその運動部に占領されている中で、トランポリン部はその体育館の入り口側の隅の方を活動場所としているようだった。

 褪せた緑のマットに囲まれたスペースの中央に、一台だけトランポリンが置かれている。シュウには、小学校の頃に大阪大会だったかの観戦に行った以来の景色だ。


「お、成瀬くんが乗ってる」

「今から跳ぶっぽいわ」


 公音は、その置かれた台のベッドの上に乗ってユラユラ揺れていた。背中をこちらに向けていて、今、彼がどんな表情をしているかは、ここからは見えない。ただ、その立ち姿からには、どうしてか哀愁が漂っていた。


「別にそんなネガるこたァ、ねえやろ」


 トランポリンに上がってから、おそらく三十秒が経った。が、まだ跳ぼうとしない公音に、シュウはぽつりと呟いた。昨日も言った言葉だった。上田がちらとこちらを見る。

 ふと、いまだ揺れているだけの公音の横、マットを構えて立つ少女の姿に見覚えがあって凝視してみる。

 たしか、何日か前に、前が見えないぐらいに積まれたプリントを一人で運ぶ女子生徒がいて、見てられなくて手伝ってやった記憶を思い出す。少し雑談したときに、彼女は創部した、とか言っていたが。


「あれ、あの子がトランポリン部作ったんや」

「ああ、見たことあるな。隣のクラスちゃう?」


 上田もどうやら見たことがあるらしい。


「フカちゃんやんけ」


 そう呼んで、と言っていた笑顔を思い出した。表情が豊かでパッと明るい性格だったから、作ったのはダンス部か軽音か、と勝手に思っていたのだが。

 その彼女が、公音に何か言ったようだった。

 きっと、彼女もなんとなく、彼の抱えるものが見えていたのだろう。

 跳べ。跳んでくれ。シュウも、そう、心の中で彼に声援を送っていた。

 挫折とか、トラウマとか、そんなもの全部起き去りにして、少しの間でいい。


「──堂々としたツラしてほしいンだよ」


 シュウの言葉は届かない。公音は彼女が来ていることにも気付いていないだろう。

 しかし、公音は何かを決心したように、あるいは何かに弾かれたように、それとも気づかされたように、突き動かされたように。

 そうして、両脚に力を込めて、少しずつ、少しずつ、爪先と、トランポリンの距離を離し始めた。


「──ンだよ」


 公音は、変わった。

 ギャラリーから見下ろした先のトランポリン、小学生の頃とは似ても似つかないジャンプだ。

 宙に浮いた脚はバラバラ、手で無理にバランスを取ろうとして、鳥のヒナみたいに手がバタついている。体幹もブレブレで、ジャンプの度に前後左右に移動して、見ていて少々危なっかしい。着地で下手に踏み込もうとしたらむしろ上手く跳べない、とかあの頃に言っていたくせして今になってそれを忘れているみたいだ。

 体操の授業で多少無双できるぐらいには身体能力を維持してきたくせに、一年半もそれを続けるほどの未練があったくせに、バカ正直にブランクに振り回されている。


 ……でも。


「跳べてンじゃねェか」


 笑みがこぼれた。ライバルの誕生を見たような、闘争本能を刺激されたような、そんな笑みだ。


「すっご、あんなに上がれんの」


 隣で上田が言う。シュウは、真正面に躍り出た幼馴染の背中を見ながら返した。


「ウチも思ったわ、アイツ的にはまだ低いつもりなんやろォけど、いきなりあんな跳び方したらケガするやろ」


 あんな、乱暴な跳び方。制服なのも相まって、百人近い生徒がひしめく体育館の中で妙に目立っている。

 上田がふっと笑った。


「でも、かっこええよ。いつもの成瀬くんとは思えんぐらい」


 公音は数十回、ただのジャンプを繰り返してから止まった。スプリングが軋むギシ、という音が、他の運動部の喧騒に混じって響き渡った。

 トランポリンから降りた公音はすっかり跳ぶ前までの猫背に戻っていて、シュウは風船でもしぼんだんか、と心の中でツッコミを入れた。

 と、その公音がこちらを見上げてきた。

 まあ、不格好だったけどよ。

 頑張ったんやろ、とシュウは手を振った。隣で上田も小さく手を上げて会釈していた。

 さて、そろそろ出てやるか。公音は恥ずかしがり屋だから、きっと見られたくはなかったはず。


「おし、戻るか」

「もう終わる感じか、じゃあ俺も帰るわ」

「おう」


 二人は踵を返して、体育館を後にする。

 見たかったものは、見れたから。


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