:契機或いは終幕
小さい頃から将来の夢は官僚だった。もっと詳しく言えば、高級官僚だった。
あたしは上手くやることが好きだ。そして現実に人並み以上に上手くやってきた。
もっと単純に言えば、あたしの掌の上であたしの望むとおりに物事を動かすのがだいすき。
だって、何もかもがあたしの思い通りに踊るのよ! ああ、たまらない!
勉強なんて暗記と活用を要領よくこなせば必死に机に噛り付くほどのことでもない。
趣味のスポーツなんて効率的にやればある程度余裕でそこそこいいところまで行ける。
世渡りなんて一番面白くて万人に好かれるのは複雑怪奇なパズルを解くようで堪らない。
親譲りの華やかな容姿をありがたく有効活用して磨けば、第一印象の操作を統制できる。
今も昔も会社員やお嫁さん、あまつさえお姫様や魔法少女になんて興味なかった。
……でもそうね、ちょっと訂正してもいいかもしれない。
あたしの前。
そのお綺麗な顔をした男はなんでもない顔をしてあたしの手の甲に接吻けて、微笑んだ。
「お前こそ、私の伴侶に相応しい」
「…………」
耳に聞こえる音は日本語でも英語でもない。中国・ドイツ・フランス・イタリア・アラビア。聞きかじったことのあるどの言語にも共通点が感じられない。
けれど、頭の中で日本語に言葉が変換されている。
恭しく傅く周囲の様子と目の前の男の装飾を一瞥しながら考えた。
この馬鹿げた現状と似通った状況はなかっただろうか。脳内で照らし合わせる。
そういえば、杉崎優子に借りた生産性の欠片もなかった何冊かの物語に似たようなものがあった気がする。杉崎優子の浅い深層心理の奥底にあった妄想そのまま描きだしたような童話よりも下らないファンタジー。平凡な主人公がSF的平行世界と思しき世界に唐突に移動して、国の後継者と恋をして主人公の障害と争い勝利し、中途半端で現実感を欠いた普遍的な幸せな結末を迎える。
恋の相手となる男に多少の社会地位や環境の違いこそありはすれ、大筋は変わらないストーリー。
馬鹿げている。全く持って下らない話だが、あたしは興奮する心を抑えきれない。
夢だろうか、それとも出来の悪い仕掛けつきの現実かもしれない。
(だから、何)
面白い。夢でも現実でも、どちらでもいい。現実ならこの馬鹿げたドッキリに思いっきりのって期待以上のショウを見せてあげる。夢ならあたしの知識と客観のいいテストが出来る。万が一、これがあの馬鹿げた話の通りの展開ならば、あたしにとってのそれなりにはなる契機だ。――――世界をあたしの掌の上で躍らせることが、できるかどうかの。
悪くはない。
仮にそうと仮定するのなら身なりの豪奢な一人と、それを敬う周りの人間、服の縫製技術や鎧姿、周囲の様子を見る限り、あたしの取り巻く環境は文化水準、もしかしたら科学水準ですら高くない環境。そんな環境で見られる政体は――――絶対君主制だ。
楊貴妃になるか、武則天になるかはオンナの器量一つ。
夢でも現実でも、あたしはあたしの欲望に忠実で。
一人が何だ。親が友人が恋人が何だ。
この興奮に勝るものがあるはずない。
あたしは、胸のうちでひとり哄笑するのだ。
(――――)
あたしは、あたしの一番男受けする顔で、唇を吊り上げて微笑んで見せた。
「光栄だわ、運命の人」
運命の人、可愛い可愛いあたしの運命の人。
ねぇ、可愛いお馬鹿さん。
今も昔も会社員やお嫁さん、あまつさえお姫様や魔法少女になんて興味なかった。
なかったけれど、そうね。
(高級官僚もいいけれど、女王っていうのも面白そうじゃない?)
「花」
「ウー」
いつの間にか傍らに立っていたウーは、私が必死に書き連ねていたこちらの文字で埋まった紙のようなものを何気なく取り上げた。私はまぬけな顔をして背の高い彼を見上げる。
ウーは紙のようなものを手に取るとそれを一瞥する。口が小さく動いた。
「 、 」
早口のそれに首をかしげて私はとりあえず返してもらおうと手を伸ばした。先生からの宿題だ。いつになるかは分からないけれど、次に会うときまでに頑張って覚えなければならない。
「ウー、それを、ほしい、です」
「花」
「?」
急に抱えられてびっくりした。そして近づいてくる顔に反射的に目を閉じれば、右の瞼に、左の瞼にそっと温もりが落ちる。
「花、かいものにいきませんか」
「ぅ?」
かいものってなんだっけ、と目を開けながら思い出そうと唸れば、ウーは私を抱き上げたままさっさと脚を進めて部屋を出て行ってしまう。
(かいもの、かいものって……買い物だ)
かいものはここからちょっと離れた賑やかな街に出かけることだ。そのときに色々物を買うので私の中ではかいものという言葉は「買い物」となっている。
そういえば、ウーとの買い物は久しぶりだ。
少しうれしくなって私はいつの間にか掴んでいたウーの肩を軽く叩いた。
「ウー、わたしは、あるきます」
足を止めたウーに降ろされて私は自分の足で床に立つ。
そして差し出されたウーの手を握り締める。
「ウー、わたしは、かいもの、いきます。したいです」
「花、いきますか」
「はい」
目を合わせて笑う。
ああ、しあわせだなぁってこういうときに思う。
ウーのやんわりと細められる金色の目。
私は馬鹿みたいに笑いながら、家の外に足を踏み出した。
覚書
ボメ
買い物(花訳)。