1+:彼の結婚
鬼、らしき被害がぱたりとなくなったのは数季前のこと。
帝国はそれを祝って、前回何とも言えず中途半端な結末に終わった儀式を再度執り行った。
――――すなわち、帝王妃たる聖女降臨の儀である。
翳る気配のない青空が覗く、屋根のない聖場には現在、帝国貴族、聖神アルバト神殿神官、王族、宰相以下大臣文官武官が揃って緊張の面持ちでずらりと顔を揃えていた。
「……それでは、」
「よい、進めろ」
エルリア帝国、五代帝王であるウィーダ・スラ・エルリアは、祭壇の上に立ちつつ汗すら滲む神官の厳かな面持ちを見下ろし、面倒そうに眉を顰め手を振る。――――唯一、表情に緊張感がない彼は前回の件ですでにこの儀式に懲りていた。
この儀式は質が悪い、と帝王は溜め息を吐きながら思う。今までそのことに気付かなかった祖先は実に幸運だっただろう。眼下では、精鋭の神官達が一斉に跪き一心不乱に祝神詞を唱え始めている。
帝王は心の底からこの儀式の失敗を祈った。
失敗はいい。現に、ウィーダの前の四人の帝王はこの儀式を失敗し、近隣諸国または国内有力貴族の娘を帝王妃と定めている。そもそも聖女がそんなに毎回ぽんぽん降臨していては「聖女」などと呼ぶことはおろか、有難みがない。
この儀式の問題は、と彼は数季前を思い返す。
眼下では床に描かれた陣にうっすらと光が灯り始めていた。神官達の呻き声にも似た祝神詞が高まり、周囲が固唾を呑んで見守る中、彼は口の中で小さく罵った。――――神よ、何故今代に限って多数の神官共にお力を与えたもうたのか!
問題は、前回のようにうっかり中途半端に成功してしまった場合である。そもそも、聖女が目も眩むほど麗しい女性の姿をしているとは、全く限らない。前回、降臨した聖女を思い出して彼は唸った。きょとんとした不思議そうな顔に小さな体……。
とうとう陣全体に光が宿り、光の粒が螺旋を描きながら天に上り始める。水泡のようだったそれは数拍もしないうちに密度を増し、光の柱となっていく。相当な苦痛が掛かっているのだろう、神官達は脂汗を流しながら喉をからさんばかりに怒声にも似た声で唱えている。無理をするな、と帝王は心の底から言ってやりたかったが恐らく彼らは聞かないだろう。
帝王妃が決まっていない理由は極めて単純であった。
何をどう間違えたのか前回呼び出されたのは、「鬼」の色彩を持つ子どもだったのだ。聖女降臨どころか藪をつついて蛇を出した心境である。
何が悲しくて人を食らい弄ぶ鬼を王宮に入れなければならないのか。勿論、逆鱗に触れる前に、全力を使い切った神官を脅し速やかに帝都から強制退去させた。それが功を奏したのか、未だ彼の鬼からの報復は受けていない。
聖女降臨の歓喜どころか、場にいた全員の寿命を縮めたあの一件以来、帝王はこの儀式を本気で廃止しようと試みていた。非常に残念ながら、半成功という快挙に背を押された神殿側からの圧力に負けこんなことになっているのだが。
前回通り、光の柱が陣から溢れ出した。帝王は目を瞑って天を仰いだ。次は一体何が出てくるのか。
(鬼の老婆か、はたまたとんでもない化け物か)
陣一杯に満ちた眩い光が、弾け、そして――――。
「――――なにこれ、」
聞こえた声は高く、玲瓏。静まり返った聖場で、彼女は目を瞬いた。
天を仰ぎ覚悟を決めかけていた帝王は、その意味の通じる言葉に反射的に視線を陣に向ける。
純正の光を紡いだような陰りのない銀髪に、至高の蒼穹で特別に拵えたような双眸。美の女神も斯く在らんと言わざるを得ない美しく整った小さな顔に、豊満にして華奢な肢体。見慣れぬ黒い服を纏い、足を露出した女は、周囲を見渡しやがてその透き通った目を帝王に据えた。
「なにこれ……、夢?」
震えても尚、凛と通る声に、顔から目を離さないまま帝王はやがてうっすらと微笑み頷いた。
「違いない」
数刻後、帝都の大神殿で祝鐘が打ち鳴らされ、帝都中に鳴り響いた。そしてその知らせは瞬く間に大陸中に広がることとなる。
『聖女降臨』
そして、その知らせは中継を飛ばして大陸果て、鬼たちの元にも届く。
『帝王御成婚』
覚書
ウィーダ・スラ・エルリア
エルリア帝国五代目帝王。お嫁さん探しに苦戦。
このたび、めでたく結婚を果たす。
聖女
伝説の存在、だった。
帝王妃となるべく召喚される、そしてされた。