第九十四話 「中級魔術」
「ブリーノ。この服なんなんだ? ちょっとクセぇし……」
俺は鼻をひくつかせながら、ブリーノから渡されたカビ臭いローブの裾を引っ張る。
全体的にくすんだ黒色で、刺繍も細かく施されている。見た目だけなら、そこそこ高級な魔術師の装備っぽい。
だが、匂いがすべてを台無しにしていた。
「魔術師用のローブじゃ。息子用に作ったやつだが、サイズは合っとるな」
「息子さん……?」
「まぁ、それはいいじゃろ」
何気なく聞いた俺の言葉に、ブリーノの顔が一瞬だけ険しくなる。
見上げると、ブリーノも着替えていた。
先ほどまでのボロボロの服とは打って変わり、
・黒地に金の刺繍が施されたロングコート
・ぴっちりしたハイネックのインナー
・白手袋に、黒縁メガネ
そして、極めつけに──
「フッ……」
ブリーノは手袋をキュッと締め、キラリと光るメガネを押し上げる。
まるで何かの決めポーズのように、片手を腰に当て、もう片方でメガネを整える。
「あと、私のことはブリーノではなく、先生と呼びなさい」
「…………」
……形から入りたい人なんだな。
しかも、それを押し付ける性格か。
息子さんが家出した理由がなんとなく分かった気がした。
ニコニコと誇らしげなブリーノを見ながら、俺はローブのカビ臭さに耐えるべく深呼吸した。
こうして、俺は──
『魔術師見習い』に転職した。
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ステータス
名前 :フェイクラント
種族 :人族
職業 : 魔術師見習い
年齢 :29
レベル :29
神威位階 :顕現
体力 :138
魔力 :27
力 :73
敏捷 :72
知力 :22
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……賢そうな職業なのに、それに見合ってない知力だ。
せっかく"魔術師見習い"という知的っぽい肩書になったのに、相変わらず俺の知力は低空飛行。
ド◯クエ3みたいに職業でステータスが大幅に変化するなら、もう少し賢くなっても良さそうなものなのに。
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外に出る。
この家には、意外と広い庭があった。
まずは俺の魔術を見たいと言っていたので、俺は適当に今使える魔術を披露した。
クリスから教わった治癒魔術、火魔術、風魔術。
それを見たブリーノは、腕を組んで頷いた。
「やはりその程度か」
「言い方悪いな……!」
「だが、お前みたいなのは普通、初級すら覚えられずに投げ出す輩が多い。初級を使えるなら、それはお前が積み重ねた努力のおかげじゃろう」
一瞬カチンときたが、ブリーノが続ける言葉によって少しむず痒くなる。
そういえば、俺が"努力"し始めたきっかけは魔術だった。
何度も挫折しそうになったが、魔術や筋トレなどの特訓は今も続けてはいる。
それは俺の努力なのもあるが、それを続けようと思わせてくれたクリスの存在がやはり大きい。
クリス……。
時折寂しくなる時もあるが、失ったものは戻らない。
その時はマルタローを抱えて、一緒に悲しみを分かち合う。
感傷に耽っている俺を差し置いて、ブリーノは庭の中心に一本の丸太を設置する。
訓練用の標的。
「では、今から見本を見せる。見本だから詠唱もちゃんと唱えるからな。覚えろよ」
先ほどまでの軽い口調とは違う、重みのある声。
その目は、まるで"歴戦の魔術師"のように鋭い。
「燃え滾る火の力よ、我が命ずるままに怒り狂え! その咆哮にて包み焼け──フンっ!」
詠唱が終わると同時に、彼の掌に炎が灯った。
──ただの火ではない。
火炎の息や焚き火とは、次元の違う魔力の熱量。
眩いばかりの光を放ち、空気が歪むほどの熱を孕んだ"獣のような炎"が、彼の手の中で猛り狂っていた。
「火の魔術は、手元で魔力を放出している時と、それを放つ瞬間が一番危険じゃ。詠唱が済むと同時に標的に向けて放つ癖をつけろ」
まだ炎は消えない。
まるで生き物のように、彼の掌の上でゆらめいている。
「初級、中級などと言っておるが、要はどれだけ魔力を練り込んだか、魔力の配分も速度重視なのか威力重視なのか──力の配分によって様々じゃ。詠唱と言うのは、それを"意識"させる行為。これを考える前に無意識で行えることで、初めて無詠唱魔術が可能となる」
見惚れた。
本当に、心から──"魔術師"とは、こんなにカッコいいのだと。
いつの日か、狩りの魔王と対峙したクリスの顔つきも、確かこんなだった。
ブリーノは炎を保持したまま、野球の投手のように振りかぶる。
「──『焔衝撃』!」
炸裂する炎。
『ドン!!』という轟音と共に、炎弾が手元から飛び出す。
一直線に標的へ──
──向かっていたはずが。
「……ちょっ?」
炎が、90度曲がった。
"俺がいる"方に。
「うぉおおおッッ!!?」
慌てて身を投げ出し、地面に転がる。
直後、背後の石壁が爆ぜた。
衝撃で砂煙が舞い上がり、爆風が俺の頬を撫でる。
ほんの少しでも判断が遅れていたら──
「……あぶねぇ……」
地面に手をつきながら、息を整える。
こんなの直撃したら、冗談抜きで消し炭だろ……。
「ありゃ……?」
ブリーノは呆けた顔で、自分の手元をじっと見つめている。
どうしてこうなったのか理解できていないらしい。
「おい!! ノーコンすぎるだろ!!」
「いや、すまん。久しぶりに攻撃魔術を撃ったもんで、つい……ブフッ──」
言い訳を言い切る前に、彼はなぜか吹き出した。
顔の筋肉がピクピクと震え、口元を押さえている。
「えっ、何?」
「いや……ププッ……」
「わふぅ……」
マルタローが俺を見て小さく鳴いた。
いや、俺じゃなくて……俺の少し上を見ている?
違和感を覚え、頭に手をやる。
──髪が、ない。
サラサラと指を通るはずの感触が、どこにもなかった。
「……あれ?」
声が裏返る。
震える手で再び頭をまさぐる。だが、何度なぞっても、そこには何もない。
徐々に実感が追いつく。
──俺、髪、なくなってね?
震える手を目の前に戻すと、指の間から、焼け焦げた髪の破片がひらひらと舞い落ちていく。
風に流されるそれは、まるで俺の青春と尊厳を乗せて、無常に散っていくかのようだった。
「……ぶふっ」
突如として漏れた吹き出すような笑い声。
振り向けば、ブリーノが腹を抱えて肩を震わせていた。
口元を押さえているが、もう堪えきれないと言わんばかりに、笑いが滲み出している。
「プ……ぷははははは!!!」
そして、爆笑した。
その声は空に響き渡り、ラドランの迷宮都市にまで届きそうなほどだった。
──ブチッ。
俺の中で、何かが切れる。
「この野郎ォォォォ!!!」
怒りのままに拳を振りかぶる。
これは、もはや"制裁"ではない。"報復"だ。
「ごぶッ!?」
全力でブリーノの頬をぶん殴る。
衝撃で体ごと吹き飛び、庭の隅にあった木箱へと突っ込むブリーノ。
「痛い! ワシは老体じゃぞ!? こんな扱いをしてよいものか!?」
「ふざけんな!! 色々ふざけんな!!!」
「いやいや、髪の毛くらいすぐに生やしてやるわ!」
「本当だろうな!!??」
俺は息を荒くしながら詰め寄る。
ブリーノは頬をさすりながら、めんどくさそうに手を振った。
「まったく、坊主がそんなに騒ぐものではないぞ……」
「坊主にしたくてしたんじゃねぇ!!!」
「はいはい、騒ぐな騒ぐな。すぐに元に戻してやるから」
そう言うと、ブリーノは片手をすっと俺の方へかざした。
「……え、そんなことできるのか?」
「当たり前じゃろ。ワシはオリジナル魔術をいくつも持っておるんじゃ。研究の成果により、いくつもの古代魔術も復活させたのじゃぞ」
おお、すげぇ。
確か一流の魔術師は、オリジナル魔術を使うと魔術書にも書いてあったな。
やることは適当でも、このジジィの知識と技術は本物らしい。
「では、いくぞ」
ブリーノが手をかざす。
次の瞬間──
ボンッ!!
視界が煙に包まれた。
「ゴホッ、ゴホッ!!」
俺はむせながら、煙を手で払う。
煙が晴れると、目の前には──
「……」
なぜか真顔のブリーノが立っていた。
無表情。
感情が伴っていない。
さっきまでのドヤ顔はどこへやら、まるで冷静に失敗を悟った科学者のような顔つきになっている。
嫌な予感がした。
そっと、頭に手を当てる。
……横、髪が生えているな。
……サイドはある。
……しかし。
「…………」
上が、無い。
どう考えても、これは──
「…………サイファーじゃねぇか!!!!!」
思わず絶叫する。
俺の脳裏に浮かんだのは、かつての師匠──サイファーのあのハゲた髪型と完全に一致している。
「待て待て、これは……! ほら、お前さんと話しておったらサイファーのことを思い出しての……! それに意識を奪われてブフーーッッ!!」
「燃え滾る火の力よ、我が命ずるままに怒り狂え! その咆哮にて包み焼け──」
俺は先ほどのブリーノの詠唱を、憤怒を込めてそのまま復唱する。
「『焔衝撃』!!!」
「ぎゃぁああああ!!!」
俺の手から放たれた炎弾に包まれ、吹き飛ぶブリーノ。
悲鳴を上げながら庭の端へと転がり、最後は水が張られた樽に落ちた。
──俺は『焔衝撃』を覚えた。