第八十六話 「キャプテン・クロード」
ミランダはどうやら、俺の戦いぶりを見て、それなりに実力があると判断したらしい。
何やら期待に満ちた目で、ニコニコと俺に迫ってくる。
「えっと……海賊、ですか?」
「ええ!もちろん!」
満面の笑み。
これでもかというほどの快活さで、ミランダは胸を張る。
聞き間違いとか、酒の勢いで口走ったわけではないらしい。
しかし、だ。
魔物使いや道具屋の店員を差し置いて、ニート歴と囚人船員歴が圧倒的に長い俺にとって、「海賊」なんて肩書き、どう考えても荷が重い。
というか、経歴の汚れがもはや取り返しのつかないレベルになってきている。
「えっと……あの……これ以上履歴書を汚したくないので勘弁してください」
「なによー、根性ないわねぇ」
ミランダはつまらなさそうに唇を尖らせる。
「うおおおおぉぉぉ!!」
「うわらば!!」
背後では未だ戦闘の熱が冷める気配もなく、テーブルは宙を舞い、椅子は粉砕され、床は酒と血で滑りそうなほど濡れている。
戦場に慣れてる連中ばかりとはいえ、もはやただの乱闘を通り越して内乱レベルだ。
「あの……これ、大丈夫なんですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、ミランダはポカンとした顔をこちらに向け、すぐに「あー」と軽く頭を掻いた。
「……ちょっと、まずいわねぇ」
いや、ちょっとじゃねぇだろ。
改めて冷静にギルド内を見渡せば、そこら中に転がる冒険者と、半壊したカウンター、そして破片と化した食器やら酒瓶の山。
これを"まずい"とか"ちょっと"で済む状況じゃないのはすぐにわかる。
「ぬぉぉおおおおッ!!」
ミランダ一味の筋肉という筋肉をこれでもかと膨らませた巨漢が、ジルベール一味のさらにデカい大男を軽々と持ち上げる。
あれは……投げる気だ。
「あぁ……店が壊れる……」
逃げ遅れた酒場のマスターやスタッフたちが、カウンターの陰に身を縮め、絶望的な顔をしている。
同情するしかできない。
そして──ついにその時が訪れる。
巨漢の手から放たれた大男の身体が、弾丸のように入り口へ向かって飛んでいく。
誰もが身構え、耳を塞ぎ、次の瞬間に訪れる轟音に備える──
だが、その轟音は訪れなかった。
「……?」
大男は、入り口の扉の前で、空中で止まっていた。
いや、正確には"受け止められていた"。
まるで大きな人形でも持ち上げるように、余裕すら感じさせる片手。
それが大男の首根っこをがっしりと掴んでいる。
そのまま、大男はずるりと地面に引き下ろされる。
そして──
「やめねぇかッッ!!」
静寂を切り裂くような重低音が、ギルド全体に響き渡った。
扉の向こうから現れた男は、ただ立っているだけで空気を支配するような、圧倒的な存在感を放っていた。
深い紺色のシャツに、飾り紐が結ばれたジャボネクタイ。
脚には手入れの行き届いた黒革のロングブーツ。
羽織りこそないものの、その着こなしはまさしく"海の支配者"を思わせるものだった。
歳は二十代後半か、三十に届くか届かないかといったところだろう。
俺と同じくらいだと思うが、どうにも異世界は見た目と年齢が分かりづらい。
「……クロード船長……!」
ミランダ一味の一人が即座に背筋を伸ばし、顔を青ざめさせる。
ついさっきまであれほど強気だった彼女も、その仲間たちも一瞬で固まってしまった。
俺も息を呑んだ。
そこに立つ男は、只者ではないと肌で分かる。
場を支配するのは存在感そのものだ。
そこに立っているだけで、まるでこの空間すべてが掌の上に収まっているような錯覚すら覚える。
「どういうことだ。説明しろ……ミランダ」
静かに、けれど一切の逃げ道を許さぬ低い声。
クロード船長と呼ばれた男が、僅かに目を細める。
「あー……えっと」
ミランダは頬を掻き、言葉の歯切れが悪い。
さっきまでの豪快な笑みはどこへ行ったのか。
どう誤魔化そうかと頭を巡らせる様子が、ありありと見て取れる。
「見た通りよ……ジルベールたちと揉めてたの」
最初は素直に説明しようとしていた。
──が、途中で思い出したように俺の方に振り返る。
「このおにーさんが助けてくれって言うから……」
「え、ちょっ、俺!?」
なんか話が摩り替わってないか!?
俺はただ、巻き込まれた被害者代表なんだけど!?
言い訳する間もなく、クロードはゆるりと周囲を見渡した。
壊れたテーブル、砕け散った椅子、床に転がる酒瓶と血の跡。
見慣れた光景なのか、それとも呆れ果てたのか、眉一つ動かさない。
「何喋ってやがる!! 決着はついてねぇぞ!!」
ジルベールの怒声が響く。
憎悪を剥き出しにした目でクロードを睨みつけ、乱闘の余韻を引きずったまま突進しようとする。
──だが。
「すまんな、まだ話の途中だ」
クロードは僅かに手を上げるだけで、その勢いを片手で受け止める。
ジルベールの拳が、鉄の壁にでもぶつかったかのようにピタリと止まった。
「……ッ!!」
ジルベールは歯ぎしりしながら拳を引く。
理不尽なまでの力量差を、今ので嫌というほど思い知ったのだろう。
「ふ……何が原因かは知らんが、まぁ話し合おうじゃないか」
クロードはあくまで穏やかに言う。
だがその声には、反論を許さぬ威圧が籠もっていた。
「話し合うだぁ!? 今さらしゃしゃり出てきやがって! 元はと言えばこの女が俺に酒瓶を投げつけたのが始まりだろうが!!」
ジルベールは虚勢を張るように叫ぶ。
まぁ、確かにミランダがトリガー引いたのは事実だ。
でも、それだけでここまでエスカレートさせたのを考えるとどっちもどっちな気がするが……。
「Sランク冒険者だからって調子に乗りやがって……。やめろってんなら、そっちが土下座して謝れば許してやるよ! お前らをぶっ潰したって噂が広まれば、俺たちの格も上がるしなぁ!」
ジルベールは下卑た笑いを浮かべる。
あくまでケンカを売るつもりらしい。
その言葉に反応したのか、ミランダがスッと前に出る。
先ほどまでの軽いノリは完全に消え、目の奥には氷のような光が宿っていた。
「……おい、あんまり調子に乗るなよゴミクズ。勘弁してやるのはこっちの方だよ。さっさと泣いて謝れ。そして死ね」
「なっ!?」
──笑顔のまま放たれるミランダの暴言、その言葉の冷たさが逆に恐ろしい。
「あくまで戦いがお望みか……なら、頭同士で決着つけようじゃないか。それなら文句ないだろう?」
クロードは息を吐き、ステージにゆるりと足を運ぶ。
先ほどまで踊り子たちが舞っていた舞台は、血と暴力のリングへと変わろうとしていた。
「上がれよ」
「……上等だ!」
指差したその場所に、ジルベールも渋々ながら上がってくる。
その表情には、さっきまでの余裕はない。
「おい! クロードさんの戦いが見れるってよ!」
「えっ!? やだ!! キャプテンクロード!?」
「マジ!? 来て良かった!」
いつの間にか戻ってきていた野次馬たちの歓声が湧き上がる。
どうやらクロードは、この街ではちょっとした英雄扱いらしい。
黄色い声援が多い気がする。
「カシラぁ!! ぶっ潰せ!!」
「殺っちまえ!!」
対するジルベール側は、見事な野太い声援。
こういう時だけ団結するのが厄介な連中だ。
「なぁ……何者なんだ? あの人」
俺は隣のマスターに小声で尋ねる。
「知らないのか? キャプテンクロード……Sランク冒険者だよ。海賊を名乗っちゃいるが、弱きを助け強きを挫く海の義賊ってやつだ。魔族相手の海戦じゃ無敗を誇る化け物さ」
「……へぇ」
Sランク冒険者で、海上最強の戦士……。
なのに、ゲームには一切出てこなかった。
エミルとは直接関係なった人物か、それともエミルがこの町にたどり着くころにはもう死んでいるか……。
そう考えると、背筋が冷たくなる。
まぁ、それを言い始めたらサイファーやレイアさんも似たようなものなので、あまり気にしない方がいいが……。
とにかく、まだ喧嘩は終わりそうにないらしい。