第八十四話 「装備新調」
宿の洗面所の鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。
十ヶ月の船乗り生活で伸び放題だった髭を剃り落とし、ボサボサだった髪も水で軽く整えた。
「髭剃りヨシ! 髪型ヨシ!!」
長い肉体労働生活のせいか、どこぞの現場の猫みたいな言葉遣いが染みついてしまった。
顎を手で摩りながら確認する。
ツルツルとはいかないが、少なくとも以前のようなワイルドな無精髭は消えた。
「おい、マルタロー起きろ」
完全脱力状態で俺のベッドの上に転がるマルタローを、軽く揺すって起こす。
「……わふ……」
目を半開きにしながらも、渋々と動き出すマルタロー。
そのままチェックアウトを済ませ、俺たちは港町の賑わいの中へと繰り出した。
---
グランディスの装備屋。
まずは装備を整えようと店に立ち寄る。
クリスの道具屋から拝借した鉄の剣を今まで愛用していたが、船乗り時代を経て戦闘もあったことにより、かなり摩耗してきてしまっている。
そろそろ新調したいところだ。
ここは冒険者向けの装備だけでなく、漁師や船乗り向けの武器も並んでいる。
ヴァレリスで盗難に遭い、一文なしになってしまった俺だったが、十ヶ月の船乗り生活でそこそこの給料が貯まっていたため、金には困らないと思っていた。
──が。
「……鋼の剣が銀貨二十枚……高すぎねぇか?」
目の前に並ぶ商品と値札を見比べて、俺は思わず眉をひそめた。
クリスと道具屋をやっていたから分かるが、これは明らかに相場を超えている。
しかし、別にぼったくりというわけではない。
この十ヶ月の間に、魔物が世界中で港を襲うようになったことで流通が減り、その影響で物価が高騰しているらしい。
まぁ仕方がない。
今は装備が最優先だ。
兜や鎧を見ていると、マルタローが興味深そうに店内を歩き回る。
「お、ちょっと試してみるか」
適当に置かれていた兜をマルタローの頭に被せてみる。
すると、頭どころか体ごとすっぽり入ってしまった。
「……わふぅ〜!!」
兜の中で困惑した顔をしながら、マルタローがこちらを見上げる。
「何? 動きづらいからヤダ?」
「わふっ」
マルタローは不満げに鼻を鳴らし、兜から這い出てきた。
そんなやりとりをしつつ、今度は俺が鎧を試着してみる。
試着したのは、かなり古いタイプの全身鎧だった。
「どうだ? 似合うか?」
「わふぅ……」
マルタローがふるふると首を横に振る。
どうやら気に入らなかったらしい。
「なんだよ、かっこいいのに」
そんな風に軽く戯れていると、不意にカウンター越しから無愛想な声が響いた。
「お客さん……そのプレーリーハウンドは試し切りにでも使うのかい?」
「────ッ!!」
思わず振り返ると、店主の男が冷たい目でこちらを見ていた。
「……は?」
「じゃなかったら、商品置いて出て行ってくれ……魔物なんかとつるんでるやつに、人の武器は売りたくないんでね……」
ブチッと、俺の中で何かが切れる。
「……テメェ、ふざけんなよ……」
無意識に拳を握り締める。
今すぐこの店主をぶん殴ってやりたい衝動に駆られる。
──しかし。
「……わふ……」
マルタローが小さく鳴いた。
振り返ると、マルタローは小さく体を縮め、俯いていた。
明らかに、その言葉の意味を理解している。
そして、傷ついている。
「……マルタロー……」
俺は深く息を吐き、なんとか感情を抑え込む。
マルタローを優しく抱き上げ、そのまま無言で店を出た。
──仕方のないことだ。
そう、無理やり自分に言い聞かせる。
この西方大陸セルベリアは、人種差別が極端だ。
魔族や魔物に対しての偏見が根強く、どこの街へ行っても冷たい視線を浴びる。
囚人船で働いている時もそうだった。
昨日から町を歩いている時も、同じだった。
船ではセルベリア出身の奴もいて、何度かさっきみたいに喧嘩になりかけたこともある。
『マルタローを大切にしろよ』
その度に、サイファーやレイアさんが言っていた言葉を思い出す。
「…………」
マルタローがもぞもぞと、俺の服の中に潜り込んでくる。
「大丈夫だ。あとでなんか美味いもん食べような!」
「……わふ……」
精一杯の励ましの声をかけると、マルタローは小さく鳴いて、俺の服の中に隠れる。
いつしか、マルタローは俺の頭の上ではなく、俺の服の中に隠れることが多くなっていた。
---
「まぁ、こんなもんかな……」
俺は別の店で装備と道具を揃えた。
とはいえ、さっきの鎧見たいな重装備は避け、軽装備を選んだ。
黒を基調としたシンプルな革製のジャケット。
背中にはフードがついていて、魔法の繊維が混じっているのか、そこそこ頑丈らしい。剣は鋼製の軽量タイプのものを選び、腰に吊るした。
そして、俺の服の中に入りたがるマルタローのために、フードが大きめのものを選んだ。
「わふ……」
マルタローは安心したように俺のフードの中へ潜り込んだ。
……これなら、少しは落ち着けるか。
上から除けば見えるが、顔さえ見られなければ白い綿が詰まっているように言えなくもない。
……それはそれで変だが。
装備を一通り買い揃えた結果、俺の財布はほぼ空になってしまった。
「はぁ……きびしいなぁ……」
重い溜め息をつきながら、俺は少し見たかった酒場付きの冒険者ギルドへと向かうことにした。
---
冒険者ギルドに足を踏み入れると、そこには活気のある光景が広がっていた。
ギルド内は広大な酒場スペースになっており、ど真ん中には舞台が設置されている。
奥の方では船乗りや冒険者たちが豪快に酒を呷り、笑い声が飛び交っていた。
舞台では、薄布ですけすけの際どい格好をした天女のようなダンサーたちが踊っていた。
軽やかに舞う彼女たちは、見る者を魅了し、そのたびに冒険者たちから歓声と口笛が上がる。
俺も、見惚れてなんかいないふりをしながら、無意識に口を開けてよだれを垂らしていた。
「……俺も酒飲みたいな……でも、金ないしな……」
そんなことを考えていると、酒場のスタッフらしき男がぎこちない動きで俺の方へと近づいてきた。
「あああの……いっ、いっぱい、いかがですか……?」
小さな声で震えながら、彼は俺に向かっておぼんに乗せたグラスを差し出した。
頭にはバンダナを巻き、黒縁のメガネをかけている。
全身から「コミュ障です」と言わんばかりの雰囲気が漂っているのがわかる。
声は震え、グラスはカタカタと揺れ、今にも酒がこぼれそうだ。
……新人スタッフだろうか。
だが、俺は彼の姿にどことなく親近感を覚えた。
それもそうか、俺自身も前世では引きこもりニートだったのだから。
彼も彼なりに社会に出て、ぎこちなくても一生懸命働こうとしている。
そんな姿を見ると、妙に応援したくなる。
「あぁ、もらうよ」
俺はなけなしの金を支払い、酒を買うことにした。
「────ッ!! あ、ありがとうございますッ!!」
男は見事な直角のお辞儀をして、慌ててカウンターの方へ戻っていった。
「……変なやつ……」
俺は酒を一口飲みながら、小さく呟いた。
グラスを傾けた瞬間、喉を焼くような刺激が一気に駆け抜ける。
脳天まで響くような熱さ。
それが胃へと流れ込むと、全身がじんわりと温まっていく。
「くぅ〜〜ッ!!」
たまんねぇな、これだよこれ!!
のどごしさわやか!!
うむ、やはり喉を潤すってのはこうでなければならない。
十ヶ月の船乗り生活で、まともに酒なんて飲んでなかったから、余計に染みる。
ギルドの騒がしさも、港町のざわめきも、すべてが心地よく感じられる。
グラスは一瞬で空になってしまった。
もう一杯頼むかどうか悩むが……気づけば、俺の足は勝手にカウンターへと向かっていた。
「クソ……金がないってのに……でも……」
体が、魂が、酒を求めてやまない。
思考が「ダメだ」と言うより早く、口が動いた。
そして、俺はカウンターにたどり着くなり──
「あの、おかわり──」
そう言いかけた瞬間──
「なんだとテメェ!!」
突如として、背後から怒号が響き渡った。
ギルドのカウンター付近。
振り返ると、そこでは屈強な男がテーブルを蹴り飛ばし、その衝撃で椅子が弾け飛ぶ。
その膂力の凄まじさに、周囲の冒険者たちも驚いたように視線を向けている。
「だからヨォ!! 魔物なら俺たちが退治してやるって言ってんだろうがヨォ!!」
「ひっ……!! ひぃいい!! わ、ワシにはその……あなた以外でと頼んだのですが……!!」
「あぁん!?」
怒鳴りつけるのは、全身を覆うような重厚なプレートメイルを着た男。
筋骨隆々の体躯と、金髪を短く刈り込んだ頭が特徴的な、いかにも"武力こそ全て"みたいな男だった。
その横には、二人の取り巻きが立っている。
一人は槍を背負った長身の男。
もう一人は、短剣を数本携えた狡猾そうな顔つきの男。
三人とも、明らかに普通の冒険者とは違う雰囲気を放っている。
……というより、明らかにクソ厄介なタイプだ。
悪党じみた雰囲気の三人組……。
既視感しかないその情景に、俺は酒の酔いが醒めてしまった。