第八十話 「ミーユのもふもふチャレンジ(強制)」
あれから、一週間が経った。
ミーユとベルギスは、宣言通りヴァレリス王国の王位継承問題と暗殺計画について、家族間で決着をつけるための真っ最中だそうだ。
聞くところによると、ミーユがあまりにもすごい剣幕で捲し立てたせいで、カーライエンもさすがに簡単には押し切れなくなっているらしい。
まぁ、それも当然か。
元々カーライエンは冷徹な策士だったが、王妃としての地位を保つ以上、"堂々と暴君になる"わけにはいかない。
だが、これまでの正史では、ミーユを誘拐し、デュケイロス王が病死することで完全に孤立させた上で独裁体制を確立する予定だった。
ミーユさえいなければ、王都の貴族たちはカーライエンに従わざるを得なかったし、国民は何も知らぬまま、少しずつ"操られる国家"が出来上がっていたのだから。
……が、今回は違う。
ミーユは無事に生還し、しかもベルギスという強力な後ろ盾を得ている。
何より、"暗殺計画"の存在が俺たちにバレたことで、カーライエンの計画は完全に狂った。
それでも彼女は諦めていないだろう。
だが、ミーユもまた、この国を守るために必死になっている。
もしかすると、このまま戦争も何事もなく進んでいくのかもしれない。
そして、俺は次の目的地がアステリア王国と決めたことをベルギスに報告した。
母国の名前を聞いた瞬間、彼の表情が一瞬、懐かしさと憂いが入り混じったようなものへと変わった。
『……そうですか……アステリア王国に……』
しばらく思案するように目を伏せた後、彼は静かに呟く。
『フェイクラントさんの目的が何なのかはわかりませんが、本当はあなたの力になってあげたい……しかし……』
『いいって! お前はここでミーユ王女を護衛するっていう使命があるんだから、まずはやるべきことからやっていかないとな』
俺は軽く手を振って答えた。
ベルギスは少し逡巡したようだったが、やがて静かに頷く。
『……そうですね』
彼の声には、どこか申し訳なさと、俺に対する恩義の感情が入り混じっていた。
──ベルギスは、俺に助けられたことを本当に感謝してくれていたのだろう。
それだけに、俺の旅に同行して手を貸したいとも思ってくれているようだった。
もしベルギスがついてきてくれるなら、この旅は間違いなくヌルゲーと化すだろう。
だが、彼にはやるべきことがある。
俺は、頼らない。
"俺の旅は、俺一人でやる"
「わふ!!」
"俺の旅は、俺とマルタローの二人でやる"
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「行くのね」
そう言ったミーユの声は、どこか寂しげだった。
王城の広大な中庭。その噴水のそばで、彼女は腕を組み、俺をじっと見据えている。
「あぁ、世話になったな。一週間も高級宿に泊めてくれて」
「別に……助けてもらった恩よ」
ミーユはつんと顔を背けながら言う。
だが、その横顔には微かに未練が見え隠れしていた。
俺とミーユから少し離れた中庭の一角では、マルタローとベルギスが遊んでいる。
訓練の合間なのか、ベルギスが軽くステップを踏みながらマルタローを誘い、それに応じたマルタローがぴょんぴょんと跳ね回っている。
剣の修練をしていたとは思えないほど、ベルギスの表情は穏やかだった。
「ねぇ」
ミーユがぽつりと呟く。
「ん?」
「どうしてマルタローは私には懐かないの?」
ミーユは不満そうに俺を睨みつける。
言葉は強気だが、どこか拗ねたような雰囲気を感じる。
まぁ、そうだよな。
俺に対してはベタベタに甘えてくるくせに、ミーユが近づくと途端に警戒するんだから。
それなりにプライドの高いミーユにとっては、ちょっとした屈辱なのかもしれない。
「気になるのか?」
「……べ、別にそんなわけじゃないけど」
言葉とは裏腹に、ミーユは頬を赤らめながら目を逸らす。
ちらちらと俺の反応を窺ってくるあたり、コイツなりに勇気を出して聞いてきたんだろう。
俺はしばし考え込み、やがて口を開いた。
「じゃあ、ミーユがもし"言葉"を話せなかったら、自分の想いをどうやって相手に伝える?」
「え?」
ミーユは一瞬目を見開き、顎に手を当てて考え込む。
「…………態度、とかで伝えるわ」
「そう。表情や動作で伝える。言葉を持たない動物や魔物はみんなそうする。マルタローなんかは、今ベルギスと遊んでしっぽを振ったりして、喜びを表しているのがわかるよな?」
俺が視線を送ると、ちょうどベルギスが軽く指を立て、「こっちに来い」とマルタローを誘った。
マルタローは嬉しそうにわふわふ鳴きながら、勢いよくベルギスに飛びつく。
それをベルギスがひょいとかわし、追いかけっこが始まる。
マルタローのしっぽはブンブンと振られ、その仕草からは楽しそうな気持ちがはっきりと伝わってきた。
「逆に考えればわかるだろ? 動物も相手の態度を見る。ミーユみたいに、いっつも上から目線で相手していたら、マルタローもいい気分じゃない」
「…………」
ミーユがムッと俺を睨みつける。
その目は「何よ?」とでも言いたげだ。
「そう、それ」
膨れっ面王女に指をさして指摘する。
さらにムムムッと悔しそうに顔を赤くするミーユ。
「言葉を持たないからこそ、魔物たちは人よりもそういう"態度"に敏感なんだ。無意識の感情を簡単に読み取られるからな。だから仲良くなりたいなら、相手の気持ちを考えて接することが大事だ」
言いながら、俺はふと自分自身を振り返る。
そうだ、俺も最初はサイファーやレイアさんたちにラヴを理解しろと言われ、四苦八苦していた。
なのに、今こうしてミーユに教える側になっているのが、なんとも妙な気分だった。
俺もまだまだ未熟だが、こうして魔物使いとしての知識を誰かに伝えられるほどには、成長したのかもしれない。
「まぁ、俺が教えられることはこれくらい……あとはそうだな……ミーユがもう少し女の子らしくすれば、マルタローだけじゃなく、ベルギスも──」
──ゴンッ!
「痛っ!!」
俺の足に強烈な衝撃が走る。
ミーユが思いっきり足を踏みつけたのだ。
「うるさいのよ!! さっきから!! フン!!」
「自分で聞いてきたくせに……」
ミーユはぷいっと顔を背け、そのままスタスタと歩き去る。
俺は蹲りながら、痛む足をさすった。
「……いてて、言いすぎたか」
ミーユの怒声が届いたのか、遠くからベルギスとマルタローがこちらを見ていた。
──よし。
俺は突然、ミーユの後ろに回り込み、彼女の脚を両腕で抱えた。
「おりゃ!」
「ちょっ!? やっ!!」
そのままひょいと持ち上げ、ぐるんとミーユを逆さまにする。
「やめてよっ!! はっ、離してっ!!」
ジタバタと暴れるミーユを抱えたまま、俺は中庭を疾走する。
「おーい! マルタロー!! ミーユがお前と仲良くしたいってよ!!」
「やだっ!! おろして!! 私は別に……!!」
楽しげな俺の声を聞いたマルタローは、尻尾を振りながらぽてぽてと走り寄ってくる。
そのまま俺は、逆さまになったミーユをマルタローの顔の位置にぴったり合わせた。
マルタローは一瞬きょとんとした顔をしたが、次の瞬間──
「わふぅ!!」
舌をペロリと出し、ミーユの顔をぺろぺろと舐め始めた。
「う……」
「わふっ!」
ミーユは固まったまま、顔中を唾液まみれにされていく。
ベルギスが「……フェイクラントさん、それはやりすぎでは……」と微妙な顔をしているが、もう遅い。
「離して……」
「はははっ! ごめんごめん」
ミーユを降ろすと、彼女はぐったりと地面に座り込んでいた。
顔中、マルタローのよだれでテカテカになっている。
「大丈夫か? 何かきっかけになればと思ったけど、やりすぎ──」
「────ッ!!」
笑いながら、俺が謝ろうとした瞬間。
──バキィッ!!
「ぐあぁぁッ!!」
振りかぶられたミーユの拳が、俺の顔面に炸裂した。
彼女の顔は、マルタローの唾液と涙で濡れていた。
──魔物の気持ちが分かっても、年頃の女の子の気持ちは分からない俺であった。