第七十六話 「デジャヴ」
「おおォォ──ッ!! テメェェッ!!」
それ以上は、言葉にならない。
生まれて初めてかもしれない程の激怒に駆られた俺は、狂ったように剣を抜いていた。
持っているはずのない剣を。
オルドジェセルが放った"言葉"を聞いただけで、なぜか俺の頭は破裂しそうなほどに激痛が走る。
意味がわからない。
いや理屈なんてどうでもいい。
とにかく、コイツの首を跳ね落とさなければ、耐えられなかった。
目の前の"全てを知る者"
俺を弄ぶように語る、この男。
そして、全ての思い出。
クリスと恋をした。
レイアさんとサイファーにラヴを教わった。
マルタローと親友になれた。
その何もかも──初めてのことだったにも関わらず、押し寄せてくるのはデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴデジャヴ──
俺ではない、"フェイクラント"の記憶が溢れ出ては消えていく。
まるで、無限に繰り返していくように。
「あぁッ、ガ……ギィ、ァァッ!!」
大魔王から放たれ続けている重圧に歯向かって、立ち向かおうとする。
しかしその全身は悲鳴をあげて、秒刻みに崩壊していくような気分だ。
「ふむ……暴走……というよりは、私がそうさせてしまったようだね」
優雅に髪を揺蕩わせながらも、大魔王は余裕の笑みのまま、俺を止めようとすることもない。
「"私"との魂に呼応しているのかな。さしずめ、"脱皮"と言ったところか。……であれば──願っても無い」
「──────ッッ!!」
その瞬間、あれほどまで感じていた頭痛が一瞬にして引いていく。
我に返ったような気分。
何が起きたのかはわからないが、身体が軽い。
先ほどまで重くのしかかっていた大魔王のプレッシャーが、少なくとも苦にならない程度になっている。
俺の抵抗力は向上して、同時に視界も開けたように、燃えながらも芯は冷えた思考の中、ここでやるべきことを躊躇なく選択する。
「いいだろう、来たまえ」
典雅な仕草で俺を手招き、その傲慢なセリフにさえ気品を感じさせるオルドジェセル。
そうだ、こんな茶番は終わらせてやる。
何が自分の好きな結末が見たい、だ。
エミルが勇者になるのを待っている必要は無い。
俺がここで大魔王を倒してしまえば、それで済むことだ。
結末を見飽きた?
だったら、俺が未知を見せてやる。
これは俺が得た、最初で最後のチャンスだ。
言いようのない予感に駆られて、俺は駆け出した。
瞬時に、神威を解放──
俺の体から、黄金に輝く光が迸り、剣に収束していく。
自分でも驚くほどの膨大な"想い"が、"光の刃"へと昇華される。
失踪する中、振り上げた剣を見向きもせずに、オルドジェセルは笑みを浮かべる。
何の構えも防御もせずに──
「ああァアアッッ!!」
俺は何の迷いも持たずに、その首目掛けて刃を落とす。
全身全霊、全力で、全ての覚悟と"渇望"を込めた、俺にとって最強と自負するに恥じない一撃。
だがそれは──
──ギィィイイイイイン!!
「──────!?」
皮一枚、髪の毛一本断ち切ることさえできないまま、俺の刃はオルドジェセルに何の痛痒も与えられない。
間違いなく俺の中で一番の攻撃だった。
先刻のオーガの時よりも強く放てたと思っていた。
なのに──こんなにも差があるのか。
「"恐怖"で私は倒せぬよ」
首筋に当たる刃を掴み、"髑髏の王"が俺を見る。
その、奈落のような深緑の瞳。
目を合わせるだけで根こそぎ魂を持っていかれそうで、力が、意志が砕かれていく。
「合格だ、"フェイクラント"よ。ここまで重圧を跳ね除けて、さらには私を殺そうと出来る者など、片手でも足りるほど存在しないだろう。故に、もう少し教えてやろう」
どれだけ腕に力を込めようが、びくともしない。
それどころか、押し付けた剣がゆっくりと手で退けられていく。
まるでゴミでも払うかのように。
「君がフェイクラントである理由など、単に都合がいいからだよ。私の"流動"は全世界に通用するが、別世界とまでなると、私のルールは私か私と同じ魂にしか適応されないようなのでな」
「──────ッ!」
瞬間、大魔王の黒外套が周囲を包み込み、飲み込んでいく。
それはまるで、この世界に突如として別の世界が生じたかのように。
これ以上ないほどまでに異常なイベントが起きているというのに、俺の目に映るもの自体は凡庸だった。
そう見えるしそう感じざるを得ない。
俺には……いや、この世界の誰であってもそう思うに違いない。
「当然だろう。これは君らの言う日常なのだから」
ただのありきたりな、皆が知っている現実風景。
「私を殺せば、何か劇的な未来でも期待したかね? 真逆だよ。なぜなら私はソレそのものなのだから」
黒外套が世界を塗りつぶし、まるで無音の嵐のように、俺を包み込む。
周囲の光が次第に消え、
世界は限りなく"黒"に近づいていく。
静寂。
まるで、この世に俺一人だけが取り残されたかのような、圧倒的な孤独感。
──違う。
これはただの"闇"ではない。
まるで、俺という存在そのものが黒に飲み込まれ、"消滅"しようとしているような……そんな感覚。
俺の輪郭が曖昧になり、
全てが霧散するように意識が溶けていく。
声を出そうとしても、喉が動かない。
意識だけが漂い、抗う術もなく沈んでいく。
──その時、最後に響いたのは、
大魔王の静かな声だった。
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あぁ、それと。
夢で"彼女"と会ったようだね。
麗しき断頭台の姫君──
君が見たものは彼女の成り立ち、そして私との馴れ初めの一端だ。
君は彼女の生い立ちを苦々しく思ったろうが、その程度に屈するほどの低俗な魂は持ち合わせていまい。
この世には、混じり気のない特別な存在がいる。
それが彼女だ。
その異常性は唯一無二。
全てが生まれつきのものであり、後天的に得たものは一人もいない。
触れれば総てを壊すほどの力を持ち、誰とも交れず愛されない。
私などでは及びもせぬほど、彼女は奇跡のように外れていた。
それは、後付けで達することのできない境地、魔術を極めても届かぬ地平。
究極といっても差し支えない純粋たる異物。
恥を忍んで告白すれば──私は彼女を美しいと思っていた。
茶番のような我が人生で、唯一誇るべきは彼女と出会ったことだろうね。
それは一つの敗北に繋がったが、打ちのめされる挫折の味はなんと甘美であることだったか
私はその時、確固たる目的を見出していた。
嗚呼、愛しの君よ、私の全霊を持って、あなたの魂を救済しよう。と
この世に既に彼女は居ないと思っているだろうが、まだ"魂"はそこにある。
君のずっと近くにね。
ゆえに、彼女と上手く踊るがいい。
始祖の魔物といるならば都合がいい。
ここからはもう"げーむ"とやらの正史ではない。
再び劇的な何かを見せてくれることを信じている。
紛い物のような女神の剣に添えられた半身ではなく、今度こそ、真実の彼女の魂を──
その瞬間、俺の意識は完全に"闇"へと沈んでいった。