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第七十五話 「大魔王オルドジェセル」

  ──その男は、階段の上の玉座から俺を見下ろしていた。


 ぼんやりと、常に微睡むような眼差し。

 無造作に伸びた長い金髪が、光のない世界に映え、緑の瞳がゆっくりとこちらを見据える。

 黒衣をまとい、痩身ながらも威圧感を放つ佇まい。


「……っ……」


 その姿を、俺は知っている。

 いや、知らないわけがない。


 大魔王オルドジェセル。


 俺がこの世界に来る前、"戦って"いた相手だ。


『アルティア・クロニクル』におけるラスボス。

 俺がエミルを操作し、倒した──いや、正確には倒す寸前まで至った存在。

 現時点ではまだ封印されているはず。


 なぜ……?


 俺は無意識に持っていないはずの剣に手を伸ばしかけたその時──


「やられたな……」


 その瞬間、背筋が凍った。


「────ッ!!」


 彼がたった一言放つだけで、俺の全身が戦慄する。

 心臓が跳ね上がり、喉が縮む感覚。


 "絶対的な強者だけが許される威厳"


 言葉を発するだけで、空間が支配される。

 それが"大魔王"の持つ圧倒的な存在感だった。


 オルドジェセルは微かに口角を上げると、長い指を組みながら静かに玉座の肘掛けに頬杖をついた。


「ふっ、そう構えるな。何をしようというわけでもない。まずは──"見事なり"。そう言っておこうか」

「…………何、が……?」


 無意識に返してしまった言葉。

 だが、彼は変わらず穏やかに微笑んでいた。


「隙を見てミルフィーユ王女を解放し、ベルギオスを生存させ、本来無傷のまま事を終えるはずであったザミエラは重傷を負った。どれも私が見たことのない結末だ。まぁ……城のシステムがどの道ザミエラの傷を癒すだろうが、それでも時間はかかるだろう……私が直々に治すことは今の所できん。何にせよ、現状こちら側の戦力は減退したというわけだ」


 ゆえに喜べと、何をそんなに懐疑的な顔をしていると首を傾げるオルドジェセル。

 これは君が願い、望み、見事に達成した戦果の一つではないのかと。

 そう言いながら笑う黒衣の影に、相変わらず俺は口を開けない。


 ──頭痛が鳴り止まない。

 ここにいるだけで、どうにかなりそうだ。


 ……見たことのない結末?

 こいつは何を言っているんだ。


 目の前の男は、俺が何をして、何を変えたのか、そのすべてを知っているように見える。

 だが、その事実などは他所に、俺は別の疑問を抱いていた。


「……どうして、お前がここにいる……?」


 確かにエミルは原作通り囚われた。

 だからエミルを使って、その母を脅し、封印を解除させるに至ったのは分かる。

 だが、こいつが復活するのはセシリアの力をもってしても五年はかかるはずだ。


 なのに、なぜ今……?


「……君がその疑問を持つのは当然だな」


 オルドジェセルはゆったりと背を預け、脚を組んだ。


「知っての通り、エミルはすでに我々の手中にある。そして、彼の母であるセシリアが私の封印を解除し始めた。だが、封印は厚い。長い時間がかかるだろう。それでも、薄いながらも──既に"私"は漏れ出しているのだよ」

「……何……?」

「完全なる復活には至らぬが、私と因果関係を持つ者の"夢"程度には入り込める」


 因果関係を持つ者……?

 つまり──俺が大魔王(こいつ)と何か関係があるってことか?


「ふふ、そう怯えるな。これはただの"会話"。君がこちら側に来る時はまだ無理だったが、今ではこうやって話すこともできる」


 俺は口を開けなかった。

 言葉を交わすだけで、思考が絡め取られそうになる。

 そして、俺はようやくこの場所の既視感に気付いた。


 そうだ、ここはどこかで見たことがある。

 この漆黒の空間。

 無限の宇宙のような、歯車の回る音が響くこの場所。


 俺がこの世界に来るとき──確か、こんな景色を見た。

 "システムコール"のような声が響き、"体感速度がどうだの"と説明されていた、あの空間。


 しかし、あの時はただ漂っているだけで、こんな玉座や円環は無かった。


 こいつはセシリアが封印を解除し始めたことで、その意思が薄いながらも漏れ出したと言った。

 ということは、結果的にこの"何もなかった空間"に、その主であるオルドジェセルが顕現した……ってことなのか?

 だが、なぜ俺の夢に……。


 まさか──


「ふっ……」


 オルドジェセルは薄く笑う。

 まるで、何もかも知っているというように、俺を見つめたまま。

 その表情には嘲りも軽蔑もなく、ただ、"興味"があるだけのように見える。


「そうだな……君は見事、私の知り得ぬ未来を紡ぎ出してくれた。故に、問いに答えよう。君の意思をこの世界に転移させたのは……私で間違いないだろう」

「……何……?」


 喉がひりつく。

 だが、理解できた。


 こいつが、この世界に俺を転生させたのだ。

 だからこそ、完全に復活していないとは言え、繋がりがある俺に対しては接触できる──と。


「あぁ、低い知力にしては、頑張って導き出したじゃないか」

「……うるせぇな」


 しかし、それが本当だとしても疑問は増えるばかりだ。


 なぜ俺を転生させた?

 しかも、なぜモブであるフェイクラントに?


 オルドジェセルは、俺の脳内に沸き起こる疑問を聞き取ったかのように含み笑いを浮かべる。


「ふふ……少しは自分で考えたまえ。いや、まぁ考えたところで分かることはないだろうが……」


 ……なんだか、イライラしてきた。

 相手は大魔王だが、今のところ危害を与えてくる気配はない。

 話すだけでも頭が疼くことに関しては例外だが。


「ゲームをクリアできる俺を転生させて、自分の有利になるように、俺を味方に引き入れようってのか……? 悪いが、俺は魔族側には付くつもりは──」

「別にそれには及ばない。魔族側に付いて欲しいとは思っておらん。君は、君のやりたいように生きればいい……」

「……あ?」


 俺は思わず眉をひそめた。

 意味がわからない。

 大魔王オルドジェセル──この世界において最も忌むべき存在であり、ラスボスであるはずの男が、わざわざ俺を転生させて、ただ"自由に生きろ"と言う。


「……どういうことだ? 俺を利用するつもりがないなら、何のために転生なんてさせたんだよ? 事実、俺の行動によって、てめぇらの戦力は減退だとか言ってたじゃねぇか。自分が不利になってもいいのかよ」


 俺の問いに、オルドジェセルは微かに目を細め、肩をすくめる。

 その仕草は、あまりにも 「興味がない」 という態度をはっきりと示していた。

 そして、彼はゆっくりと口を開く。


「たとえば、己の選択が全て自分で決めているつもりでも、決められているものだとすればどうだ?」

「……は?」

「人生におけるあらゆる選択、些細なものから大事なものまで、自分が選んでいるつもりでも、選ばされているとしたら?」


 俺は言葉を失った。

 何を言っているんだ、こいつは。


「……お前、何が言いたい?」

「そのままの意味だよ、フェイクラント」


 オルドジェセルは軽く指を弾くような仕草をした。


「崩壊するプレーリー、攫われるエミル、戦争を避けられないヴァレリス王国──そして、最後にエミルが私を打ち倒すために勇者へと──。これらは"既に決まった運命"だ」

「……っ……」

「どれだけ足掻こうが、変えられない。些細な違いこそあれ、結末は変わらない。勇者エミルがここに至り、私を討つ──それが、この世界における"既定路線"だ」


 俺は奥歯を噛み締める。

 彼は退屈そうに目を細め、やがてゆっくりと立ち上がった。


「エミルやミーユだけではない。この世界に住む全ての民が、たとえ時間が巻き戻ろうとも、善人は善人のまま、悪人になるものは必ず悪に手を染める。そう決まっているのだ。富める者は富めるように、貧しいものは貧しいまま」


 足音すら感じさせない静かな動き。

 その場に立ち、俺をまっすぐに見下ろしながら、オルドジェセルは言葉を続ける。


「もう、見飽きたのだよ」


 その一言が、やけに重く響いた。


 彼の言っていることが本当なのであれば、まさにゲームのような世界だ。

 どんな選択肢を選んでいたとしても、最終的に辿り着くのは大魔王との決戦。そして一つの決められたエンディングへと進んでしまう。

 まるで、今までの選択肢などどうでも良かったかのように、たどり着く場所は同じだ。


 もし俺の人生がそうだと言われれば、退屈と言わざるを得ない。

 どれだけ努力をしたところで、死に方は同じだと言われるようなものなのだから──


「ふふ……まぁ、結末としてはおおよそ良好とも言えるだろう。勇者が覚醒し、世界を救うために大魔王を仲間と共に打ち倒す。物語としては王道も王道……。絵本にでもして世に出せばそれなりの人気も出よう。……だが、私は嫌だった。茶番劇だ。程度が知れる。私はこんな結末のために生きていたはずではないのだと」


 俺は、目の前の男を疑うように見つめた。


 つまり……こいつが言いたいのは──


「察しがいいな」


 オルドジェセルは微かに目を細める。


「そう、私は君と同じく、この世界の全てを知っている。そして、この世界の結末を変えたかった」


 静かに、確信を持った声でオルドジェセルは語る。


「だが、私ではこの世界の運命から逃れられない。故に、私は異なる時空からの使者をこの地に呼ぶことにした」

「……それが……」

「そう、君、ということだ」


 俺は息を呑む。

 しかし、それ以上に、背筋が凍るような感覚を覚えた。


 オルドジェセルは、まるで詩を詠むように言葉を紡ぐ。


「私はこの世界の"記録"を、"物語"という形にし、別の世界へと流した。私と魂の波動が近い者が、それを手に取ることを期待してね」


 俺は理解するのが遅れた。

 だが、ゆっくりと意味を理解し──思わず、頭を抱える。


「……っ……じゃあ、俺がプレイしてた『アルティア・クロニクル』は……」

「この世界そのものだよ」


 オルドジェセルは、肩をすくめる。


「どういうわけか、物語は"私"ではなく"勇者"視点だったがね。まあ、恐らく封印されている私よりも、勇者の視点の方が都合が良かったのだろう。それは……」


 狂っていやがる……。

 こんなの、悪い冗談だ。


 俺がこの世界に呼び出されたのは、この男が満足できる結末を見せる為だってのか。

 まるで、納得いかない劇を見せられたから、新たな役者を用意して踊らせているかのような──


 俺と大魔王(こいつ)の魂の波動が同じ……?

 わけがわからないことだらけだ。


「……ッ……」


 っていうか、さっきから頭痛が酷い。

 こいつと話しているだけで、どうにかなりそうだ。


「お前と話していると、片っ端からデジャヴみたいなことが起きる……クソ、なんなんだこりゃ……狂いそうだ……」


 俺は、無意識に額を押さえた。

 言葉を交わすだけで、思考が絡め取られそうになりそうな。

 可能であれば、今すぐにでもコイツを殺したい。

 そんな思いが、なぜか湧き上がっては消えないでいる。

 なまじ饒舌な相手だからこそ、接すれば接するほど苛立ちは増していく。


 それなのに──


 こいつを否定することが、何か致命的な"間違い"に繋がるような気がする。


 言葉にできず、頭を抱えた。

 とにかく、真相が明らかになるのは確かだが、関わりたくない。

 その思いが胸を埋め尽くす。


「……お前は……何なんだ? ……いや、そもそも俺は……?」


 その、俺自身すらも答えを持たない不得要領な問いかけに、オルドジェセルは含み笑い──


「私とフェイクラントは──────だよ」

「────ッッ!!」


 俺が求めていた答え。

 この世界に来てから探していた理由。

 知りたかったはずの真実は余りにも舐めきっていて。


 俺の中の何かが、この時、初めて音を立てて崩れ去った。

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