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第七十四話 「浜辺に佇む亜麻髪の少女」

 ──ふと、俺は耳に響く波の音に気がついた。


 ──海?

 それは朝焼けの、何処とも知れぬ黎明の光が差し込む浜辺だった。

 波のせせらぎ、水鳥たちの声。

 おおよそ都会の喧騒とはかけ離れた情景。


 昇る太陽が空を、海を、大地の全てを亜麻色に染め上げる一瞬の──鮮烈なる一時(ひととき)は、しかしそこで止まっていた。


 水平線に半ばまで顔を出しながら、決して昇りきらない太陽。

 波が寄せては引き、引いては返すも、太陽だけは動かない。

 どこか現実味を欠いた景色。


 あぁ、なるほど。

 これは夢だ。


 こんな浜辺はこの辺りにはないし、そもそも海に来た覚えがない。

 日本にもこんな景色は無い。

 アルティア・クロニクルの世界の、どこかの街か?


 あと、恐らく現在(いま)じゃない。

 特にこれといった根拠もなく、俺はなぜかそう確信していた。


 疑問や困惑、違和感よりも、ただ目の前の景色に心を奪われ、魅せられる。

 なぜならこういうノスタルジックな雰囲気は嫌いじゃない。

 一瞬の美景を内包したまま、世界と切り離されて止まったような世界。

 ここに時間の流れは存在していない。


 凝縮したような至高の刹那。

 ある種の安らぎすら感じさせる。


 俺はそのまま砂浜に腰を下ろし、何をするでもなく波の音を聞いていた。


 一つ感じるのは、奇妙なデジャヴ。

 初めて来る場所だというのに、全てがどこか見覚えのある情景に感じてしまう。

 いや、所詮これは夢なんだが、正直その感覚は悪くない。

 知っているということは、それに対応することができるのだから。


 重要な人物が死ぬものには避け方を。

 より楽しく過ごすなら、その持続法を。

 それは一つの安心感で、俺にとっての理想の世界。


『──つまり君は、何から何まで想定の範疇。一から十まで同じことを、生まれて死ぬまで繰り返したい。という"渇望"でも持っているのかな?』


「────っ」


 突然脳を過ぎる"男"の声に、思わず振り返る。

 それとほとんど同時に、"彼女"は俺の目の前に現れた。


 息を呑むというのは、このことを言うのだろうか。

 それは一言でいうのであれば神秘的。

 この浜辺で彼女に出会ったものならば、俺でなくとも目を見張ったに違いない。


 身なりは貧しく、みすぼらしく、ドレスは粗末な代物だが、他の女性たちがどれだけ着飾っても叶わないほど、この少女には似合っていた。

 煌めく朝日に染め上げられ、亜麻色に輝く長い髪。

 濡れた砂浜をかすめるように、優雅に歩く白い足。

 まるで人の真似でもしている人形のような、そんな彼女は小さく笑いながら、静かに歌を紡いでいた。


「──────」


 口ずさんでいるのは異国の言葉。

 意味はよくわからない。


 彼女は清らかで、俗な気配を感じさせない。

 ひたすら無垢で無邪気で透明で、その口から出てくる調べはあるいは賛美歌か、祈りか。


 聴いたことのない歌詞と、聴いたことのないメロディ。

 夢でそんなことがあり得るのかとも思ったが、細かいことは考えない。

 現に彼女は美しく、見ているだけで胸を打つ。


 ……しかし、さっきから感じるこの違和感はなんだ……?

 俺は何か、重大なことを見落としているのでは?


 その違和感は、突然俺の全身を貫いた。


 不意に、彼女は歌を止め、こちらに気づくや否や、小さく笑う。

 どこか儚い笑み。

 まるで、最初から別れを前提としているような、そんな笑顔だ。


 ──俺は、彼女を知っている。


 この砂浜も、昇らない太陽も、波の音も、そして彼女の存在すらも、すべてがどこか遠い記憶の欠片のように思える。

 喉元まで出かかった名前がある。

 だが、どうしてもそれが思い出せない。


 違和感が波のように押し寄せ、思考を濁らせる。


 頭が痛む。

 刺すような痛みが、意識を揺さぶる。

 思い出さなければならない気がする。

 だけど、何を?


 彼女は再び微笑む。

 やさしく、切なく。


 そして、歌をやめると、ぽつりと呟いた。


「綺麗だね──」


 瞬間──何かが弾けた。

 突然鈍器で殴られたかのように意識が吹き飛び、俺の視界が暗転する。



 ---



 ──次に気づいた時、俺はそこにいた。


 どこかの街の広場。

 石畳の上に、古びた断頭台が据えられている。

 曇天の空の下、人々のざわめきが耳を突き刺す。


「……っ!?」


 目の前に広がるのは、圧倒的な喧騒と熱狂。

 それは決して喜びではない。

 歓声でもない。

 これは──悪意だ。


「異端の女を殺せ!」

「悪魔の血を絶やせ!」

「神の裁きを!」


 群衆が叫んでいる。

 怒り、憎悪、愉悦に満ちた、血に飢えたような声。

 何かがおかしい。こんなもの、俺は知らない。


 ──いや、知らないはずがない。

 俺はこの光景を、どこかで見たことがある。


「罪人」 


 そう呼ばれている少女が、断頭台の上に晒されている。

 縄で拘束され、ボロボロのドレスを纏い、足元には乾いた血がこびりついている。


 亜麻色の髪が垂れ、虚ろな瞳が空を見上げていた。

 俺の心臓が跳ねる。


 砂浜で歌っていた少女。

 彼女が、今まさに処刑されようとしている。


「やめろ……」


 喉が乾いて声が出ない。

 それでも声を絞り出す。


「やめてくれ!! おいッ!!」


 なぜ叫んでいるかは、わからなかった。

 だが、それでも俺の叫びは誰にも届かない。

 俺の姿など誰にも見えていないかのように、人々はただ、死の瞬間を待ち望んでいる。


 熱狂する群衆が口にするのは、その断頭台にかけられている少女に向けられている呪いとも言える言葉の嵐。

 権力者が、聖職者が、そして名もない民衆が、首を断たれて絶命するその瞬間を見るために。

 少女の首が飛ぶ瞬間を観るために。


 そして、処刑人がゆっくりと斧を振り上げる。


 彼女の目が、一瞬だけこちらを向いた。


 淡く微笑む。

 どこか寂しげで、それでいて愛おしげな──


「やめろぉぉおおおおッ!!!」


 俺の叫びも虚しく、斧は振り下ろされる。

 

 その瞬間、俺の目の前が真っ赤に染まった。



 ---



「……ッ……!!」


 俺は全身汗だくになりながら、目が覚める。


 夢か。

 いや、夢とは気づいていたが、あそこまでリアルな夢があるのだろうか。


 しかし、俺が"目覚めた場所"は、ベッドの上ではなかった。

 周囲を見渡す。

 

「なんなんだ……さっきから……」


 俺の周囲には、どこまでも真っ暗な闇の世界が広がっていた。

 上下の感覚もなく、地面がどこにあるのかさえわからない。

 足元も、空も、全てが黒一色に包まれ、境界線すら見えない。


 いや、でも俺の姿は見える。

 暗いのではない。黒いのだ。

 まるで宇宙のような、どこまでも"何もない"空間が広がっている。


「…………?」


 ただ一つ、目に飛び込んでくるものがある。

 それは、この異様な静寂の中で圧倒的な存在感を放っていた。


 前方にぽつんと存在する、荘厳な雰囲気を持つ玉座。

 無数の髑髏で造られた座の背後には、黄金に煌めく何とも形容し難いオブジェクトがくるくると廻っている。


 ──だが、背後には、異質な"何か"が存在していた。


 それは黄金の輝きを放ち、ゆっくりと回転している。

 まるで、"時間"という概念を物理的に具現化したかのような造形。


 円環の内側には、複雑に絡み合う無数の歯車。

 大小さまざまな輪が軸を持たずに浮遊し、カチリ、カチリと規則的な音を刻んでいる。

 それは時計にも似ているが、"時を刻む"のではなく、"時を巡らせる"ために存在しているかのようだ。


 円環の外側を取り巻くのは、見たことのない文字群。

 古代語のような、神々の碑文のような、不確かな文字。


 だが、"美しい"。

 それらの文字は流れるように紡がれ、まるで詩のようにも見える。


 それが示すものが何かはわからない。

 それでも、見ているだけで魂が揺さぶられる。

 まるで、このオブジェクトが"概念(うちゅう)そのもの"を象徴しているかのように。


「…………」


 そして、その"玉座に座る者"が、ゆっくりと顔を上げ、微睡んだ瞳でこちらを見据えた。

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