第七十二話 「シラを切る黒幕」
「彼が、すべての元凶です」
ベルギスは無造作にデカードの縄を引き、玉座の前へと投げ出した。
床に叩きつけられたデカードは「ぐっ……!」と苦しそうに呻くが、それ以上の抵抗はない。
すでに気力も尽きかけているのか、力なく項垂れていた。
──ここは王都ヴァレリスの謁見の間。
広く荘厳な空間に響くのは、俺たちの足音と、沈黙の重みだけだった。
今、この場には──
王・デュケイロス
王妃・カーライエン
第一王女・ミルフィーユ
第一王女指南役兼護衛・ベルギス
そして場違い担当モブ・俺
これだけの顔ぶれが揃っている。
俺としてはあまり来たくもなかったが、『デカード大臣を捕らえた』のは紛れもなく俺であり、状況説明をする責任は俺にもある。
ベルギスも当然、王に報告しなければならない立場にあるわけで、逃げるわけにもいかない。
それに、ここでどう転ぶかで、彼らの今後も変わる。
とはいえ……場違い感が半端ねぇ……。
荘厳な玉座の間のど真ん中。
超VIPな王族たちの目の前で、俺はただの通りすがりの冒険者として、場違い感をひしひしと感じていた。
しかし、そんな俺以上に、デュケイロス王の沈痛な表情が場を支配していた。
「……デカード、大臣……まさか……お前が……」
王は、まるで信じられないというように震える声で呟く。
顔は青ざめ、かつて厚い信頼を寄せていた家臣の裏切りに、目を伏せ、頭を抱え込んでいる。
デカードの処分はすでに決まったも同然だ。
この国の中枢を担う大臣が、王女誘拐という反逆行為に手を染めたのだ。
しかし、王はまだ現実を受け止めきれていないようだった。
「すべて……私の、独断で行ったことです……」
その静寂を破ったのは、デカード本人だった。
彼は膝をついたまま、低い声でそう供述する。
まるで、あらかじめそう言うと決めていたかのように。
「ふざけるな大臣……!! あれだけの騒動に一切王妃様が関与していないと!? 元々そういう手筈だったのでしょう!?」
「王妃カーライエン様は、この件には一切関与しておりません……私が勝手に、王国の未来を憂い、独断で動いたまでのこと……」
ベルギスは声を荒げながら言い放つが、デカードは顔色を変えず、俯いたままだ。
「ミーユを誘拐? 私がそのようなことを考えるとでも? 仮に思ったとしても、魔族と手を組むなどありえないことです」
カーライエン王妃も口裏を合わせるように冷たい笑みを浮かべ、まるで他人事のように肩をすくめる。
その態度は、あたかも 「関係ないけど?」 と言わんばかりだった。
うわぁ……切り捨てるの早……。
っていうか、この展開すらも想定済みだったのか?
最初からこういう話で口裏を合わせていた可能性もある。
作戦が失敗した場合、大臣は王妃を守るために、すべての罪を被る──
「……本当に、そうなのか?」
ようやく顔を上げたデュケイロス王が、辛うじてそう問いかける。
その瞳は、最後の望みを託すように揺れていた。
もしも、もしも本当に王妃が関与していないならば、自分が信じた者たちすべてに裏切られたわけではない、と思いたかったのかもしれない。
しかし、カーライエンの表情には、これっぽっちの焦りもない。
「当然ではありませんか、あなた。私がそんな野蛮なことを計画するわけがございません。私はただ、我が愛する娘たちの未来を案じているだけです」
カーライエンは、まるで心外だと言わんばかりに微笑んだ。
彼女にとってデカードは『使い捨ての駒』に過ぎなかったのだろう。
「だが、事実としてミーユ王女は拐われたのです」
ベルギスが冷静に言葉を紡ぐ。
「この件に関与していたのは大臣だけではない。王妃とも裏で繋がっていると、私が直接魔族の口から聞いたのです。魔族らの狙いは俺とエミルでした。俺たちとミーユ王女が揃っている今、ミーユ王女を排除したいと思っているあなた方は、俺とエミルを遺跡へと誘導し……そして俺を殺し、エミルとミーユを拐わせる。それが狙いだったのではありませんか?」
ベルギスの声は冷静ながらも確信に満ちていたが、王妃カーライエンは相変わらず涼しい顔のままだった。
まるで、全くの冤罪を被せられているとでも言いたげに。
「おやおや、ベルギス……あなたは"魔族の言葉"などを信じるのですね。私はあなたをもっと理知的な人間だと思っていましたが、期待外れでした。魔族は人を欺くものです。あなたの証言のどこに信憑性があると?」
王妃の言葉は、まるで何も知らない善良な母親のような響きを持っていた。
しかし、その瞳には冷酷な光が宿っている。
証拠がなければただの妄言。
ベルギスの言っていることは正しいが、魔族が言ったからなどという言葉は、証拠になり得ない。
ベルギスが反論出来ずにいると、王妃はふと俺の方へ視線を向る。
「そもそも──誰なのです? この男は」
あぁ、ついに俺にも話を振ってきたか。
いや、"話を逸らそうとしている"というべきか。
真っ向からの議論ではなく、議題の軸をずらすことで"防御"に入ったわけだ。
「えっ……あ、いやその……俺は──」
「お母様!!」
俺がまごまごしていると、今まで静かに聞いていただけのミーユが声を荒げた。
ミーユの表情は怒りに満ちていた。
「私が誘拐され、危うく命を落としかけたというのに、まだそんな白々しい嘘をつくのですか!? これが偶然だったと? まさか本気で言っているわけではありませんよね!!」
「ミーユまで……。私があなたの命を狙うとでも? あなたは私の大切な娘なのですよ?」
「嘘よ……!」
ミーユはぎゅっと拳を握りしめ、怒りを押し殺しながら声を絞り出す。
「お母様はずっと私を疎んでいました……! 第二王女のナタリーを溺愛し、私がいることでナタリーの未来の邪魔になる思っている……!」
「……そんなことは」
「あるわ!!」
ミーユは、涙をこらえるように顔を歪めながら叫んだ。
「だって、お母様は……お父様の病のことを知っているから、それを"機"と見て、政治の実権を握ろうとしているのでしょう……!?」
その言葉に、場の空気が凍りついた。
デュケイロス王が、僅かに目を見開く。
「……ミルフィーユ……なぜ、それを……?」
「……ベルギスから聞いたの……ごめんなさい……」
ミーユは、俯きながらもはっきりと告げた。
「お父様の病が重いこと、もう長くはないこと……だから、お母様は私を消し、ナタリーを次期女王にしようとしたのでしょう……!」
カーライエンの表情が、一瞬だけ揺らいだ。
しかし、それはほんの一瞬のこと。
すぐに彼女は穏やかな微笑みを取り戻し、静かに首を振る。
「……何を言っているのです? 私はただ、この国の未来を考えているだけ。あなたが勝手にそう思い込んでいるだけでしょう?」
カーライエンはまるで、娘が悪夢にうなされている子供でもあるかのような声で言った。
「勝手に……?」
ミーユの怒りは頂点に達していた。
彼女は一歩前へ踏み出し、母である王妃を真っ直ぐに睨みつける。
「私は知っています! お父様が病に倒れたことをで、勢力がお母様に傾いたことを良しとし、自分の願望である次期王の座をナタリーに据えようとしていることも、そのために私を排除しようとしたことも……!」
彼女の声は、王城の広い謁見の間に響き渡った。
「私は、そんなお母様には負けません……絶対に!!」
その言葉には、十一歳にしてはあまりにも強い王女としての誇りと決意が詰まっていた。
しかし、そんなミーユの激昂にも、カーライエン王妃は冷静だった。
まるで『感情的になった子供をなだめるのも母親の役目』とでも言うような、薄く、静かな微笑みを浮かべたまま。
「……ミーユ」
王妃はわずかに首を傾げ、落ち着いた声で呟いた。
「まるで私が悪役のように語りますね、あなたは……。そんな陰謀を巡らせていると、本気で思っているのですか?」
「……ッ!!」
「あなたの思い込みが、いかに愚かで、そして危ういか……よくお考えなさい」
その場に漂う緊張感は、張り詰めた弦のようだった。
俺はいてもたってもいられない感情に押し潰されそうだった。
カーライエンが黒幕なのは分かりきっていることだ。
しかし、いくらゲームで見たからと言っても、納得させるような情報も証拠も持ち合わせていない。
アルティアクロニクルにおける正史を変更した今、この状況への対策が分からない。
どうする?
何か言うべきか……?
──俺が一歩前に出ようとする、その時。
「──もうよい」
重々しく響く、王の言葉。
その一言だけで、すべてが静まり返った。
デュケイロス王が、深い溜息をつきながら、ゆっくりと顔を上げる。
「……これ以上、家族同士で無駄な言い争いはやめるのだ」
その声には、かつて王としての威厳を持っていた者の名残があった。
だが、今の彼には、それを貫く力が足りない。
「……カーライエン、ミルフィーユ、今ここでお互いの非を詰問したところで、何が変わるというのだ?」
「お父様……!」
「だが、ミルフィーユ……」
デュケイロス王は、娘へと視線を向ける。
「……立派になったな」
「……!」
ミーユの瞳が揺れる。
まるで、その言葉を想像すらしていなかったかのように。
「お前がこうして自分の意思を貫こうとする姿を見て、私は少し安心した」
王は、かすかに微笑んだ。
「これまでずっと、王女としての責務に悩み、今までその苦しみを隠すように意地を張ったり、わがままで取り繕おうとしているのを見てきたが、今はこうして堂々と自分の意見を述べている……。それは、決して悪いことではない」
王の言葉に、ミーユは言葉を失った。
目を見開き、信じられないように父を見つめる。
「……しかし、今ここで、誰が正しいかを決めることはできない。……この件は、デカードの裏切りとして処理する。それ以上の追及は……今はしない」
再び険しい表情になった王は重い口調で告げた。
それは、王としての決断だった。
──いや、むしろ"決断をしない"という決断だった。
カーライエン王妃は、それを聞いて目を細め、余裕の笑みを浮かべる。
ミーユは、悔しさに唇を噛みしめた。
「しかし、ミーユ……」
デュケイロス王は、もう一度娘を見つめた。
「お前の言葉は、確かに私の心に届いた」
「……お父様……」
「今すぐに答えは出せないが……お前の覚悟と、強さは確かに感じた。これからのヴァレリス王国の未来……お前の言葉を無視することはできない」
ミーユの肩がわずかに震える。
「……わかりました」
彼女はそう短く答え、それ以上は何も言わなかった。
王は、その言葉を最後に、静かに目を閉じた。
「──これにて、謁見を閉じる。デカード大臣の罪については、後ほど正式な裁きを下す」
こうして、この場の決着は"未解決"のまま、幕を下ろすこととなった。
俺は……このゲームの攻略者でありながら、ストーリー以外のことではまるで役に立てないことに、苛立ちを覚えた。