第七十話 「兄の生還」
「……ベル……ギス……?」
ミーユが震える声で"黒焦げたもの"にそう言い放つ。
まさに彼女の言う通り、倒れている死体はベルギス……とよく似ている。
いや、ベルギス意外あり得ない。
その身体は、所々が炭化しており、肉は焼け焦げ、皮膚はひび割れている。
これだけの大怪我を負っておきながら、流れる血すらも火傷によって凝固し、血溜まりは無い。
頭部も酷く、髪は焦げ、顔の輪郭すらも焼け爛れている。
「嘘でしょ……こんなの……嘘よ……ッ!!」
ミーユが膝をつき、声を震わせながら絶叫した。
彼女の目からは、次々と涙が溢れ出している。
一方で、俺の頭の中は混乱の最中だった。
まさか、ベルギスが……負けたのか?
火傷は間違いなくザミエラの火魔術によるものとしか考えられない。
しかし……。
「エミル……エミルは……!?」
ミーユが震える声で叫びながら遺跡内を見渡す。
しかし、どこにもエミルの姿は無い。
俺は焦げ跡の中を目で追いながら、嫌な確信を持つ。
ベルギスが敗北したのなら……正史の通り、エミルはすでに連れ去られている可能性が高い。
ゲームでも、ベルギスはここで戦死しており、エミルとミーユは奴隷として敵に捕らえられていた。
「……エミルは……おそらく魔族に連れ去られたんだと思う。最近、子供が攫われる事件が各国で話題になっている。おそらくその標的にされたんだろう」
「そ、そんな……。確かに……私とエミルが脱出するためにここに来た時も、待ち構えていた魔族がそんなことを言ってたような……」
ミーユは言葉を失い、呆然と立ち尽す。
やがて、震えた足が崩れるようにして膝をつき、遺跡の床に両手をついて泣き崩れる。
「どうして……どうして私だけが助かって……エミルとベルギスが……!」
嗚咽が漏れ、涙が次々と石畳の上に落ちる。
俺は何も言えず、ただ彼女の背中を見つめることしかできなかった。
甘かった……何もかも。
ミーユこそ無事だったものの、結局ベルギスは死に、エミルは誘拐される。
クソ……これじゃ正史とあまり──
「……ッ、ち、くしょう……!」
思わず拳を握りしめ、吐き捨てた。
遺跡を出る時、確かにベルギスが目覚めたような気配を感じた。
てっきり、もうエミルも大丈夫だと甘い期待を抱いでしまった。
だが、ここにはもはや、"焼け焦げた亡骸"しか残されていない。
「……せめて、ちゃんと弔ってやらねぇと……」
そう呟いて、ゆっくりと焦げた遺体に歩み寄る。
炭化した身体は酷く痛ましい。
ベルギスがここまでの傷を負ってまで戦ってくれたことを思うと、胸が締め付けられる。
俺は慎重に彼の肩に手を伸ばし、そっと触れた──その瞬間。
「……っ……!!」
わずかな震えが、俺の手に伝わってきた。
「──まさか!?」
胸元に手を当てると、微かだが規則的な熱が伝わってくる……。
こんな状態にも関わらず、彼の身体はまだわずかに生きているのだ。
心臓がかすかに動いているのが、確かにわかる。
「ミーユ!! まだだ!! まだ生きてるぞ!!」
「……え……?」
泣き崩れていたミーユが、俺の言葉に反応して顔を上げた。
信じられないといった目でこちらを見つめ、そして焦げたベルギスの姿に駆け寄る。
「ベルギス!! ベルギス!!」
彼女はその炭化した体を揺さぶるが、当然返事は無い。
それでも、ミーユは必死に呼びかけ続ける。
生きていると言ってもかなり絶望的な状況だ。
いつ死んでもおかしくないほどの激しい損傷。
すぐにでも何か手を打たないと、手遅れだろう。
そもそもまだ間に合うのかすらわからない。
クソ……何かないか、この状況で。
俺にできる最善策は──
俺は慌てながらリュックを乱暴に開ける。
マルタローを一旦外に追い出し、中にあるポーションをありったけ取り出すと、急いでベルギスの口元へと運んだ。
しかし、意識がないせいでほとんど飲み込まない。
「おい、ベルギス!! 飲んでくれ……頼む……!!」
必死に声をかけながら口元へと押し込むが、反応はない。
彼の口からは、液体が無力に零れ落ちていくだけだ。
「くそッ……ミーユ、手伝ってくれ! 全部開けて身体にブッかけるんだ!! 飲むよりかは効果は落ちるが、いくらかマシなはずだ!!」
「う、うん!!」
ミーユも我に返ると、慌てて俺の指示に従い、手当たり次第にポーションをぶちまける。
だが、手応えはほとんどない。
ベルギスの呼吸は戻らず、傷の一部がわずかに再生している程度だった。
ポーションは魔力の籠った薬草を組み合わせて作る薬品だが、そのほとんどは体力の回復というよりかは傷口を癒す程度だ。
治癒魔術とは少し違う。
「ダメだ……。ミーユ、お前、治癒魔術は──」
言い切る前に思い出す。
ダメだ。確かコイツは初級魔術程度しか使えない
ミーユ自身も半べそをかきながらブンブンと首を横に振る。
俺はすぐにリュックの奥底から、一つのスクロールを取り出す。
それはクリスの店から持ってきた"上級治癒魔術"のスクロールだ。
開店祝いに神父からもらったものらしく、売り物ではない。
一枚こっきりの秘蔵品だ。
正直、使うのすら躊躇うレベルだ。
だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。
「上級治癒魔術のスクロールがある……! これを使おう……!」
俺は急いでスクロールを展開し、手をかざして魔力を送る。
だが──スクロールに刻まれた魔法陣は、わずかに輝いたものの、すぐに消えた。
「……チッ! 俺の魔力量じゃ足りねぇ……!!」
絶望が胸を支配する。
俺のカスみたいな魔力量じゃ、発動させることすらできない。
「……ミーユ!! 手を貸せ!! スクロールに魔力を送るんだ!!」
「わ、わかったわ!!」
ミーユが俺に駆け寄り、スクロールに手を置く。
彼女も必死に魔力を送り込むが、スクロールは微かに光を放つだけで、依然として魔術は発動しない。
ぐ……ダメか。
脳筋戦士系が二人揃ったところで上級魔術は扱える代物じゃないってことか?
「くそ……! それでもダメなのかよ……!!」
「ダメ……なの……? うっ……ぅうぅううう……!!」
ミーユは涙を流しながら、懸命に魔力を注ぎ続ける。
それでもスクロールに描かれた魔法陣は光らない。
なんなら、俺ももう魔力切れで頭がフラフラしてきた。
最強の兄貴・ベルギスは死ぬ。
それがアルティア・クロニクルにおける正史。
その事実は、変えられないのか──?
「絶対に……絶対に死なせねェぞ……ベルギスっ!!」
俺は渾身の力で叫びながら、スクロールにさらに魔力を叩き込んだ。
ミーユも絶叫と共に、残った魔力を振り絞る。
「お願い……ッ!! 動いてぇぇぇ!!」
ミーユが涙ながらに叫ぶ。
しかし、神威と違って魔術は"想い"では動かない。
ダメか……?
諦めかけ、目を瞑ったその瞬間──
「……っ!?」
彼女が息を呑む音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、まるで発動しなかった魔法陣が、既に緑色の眩い光を放っている。
「なんで……?」
魔法陣の輝きは次第に広がり、遺跡の暗がり照らし出していた。
本来、上級治癒魔術を発動させるには、俺たちの魔力量では到底足りないはずだ。
それなのに、なぜ発動できている……?
「フェイ、早く……!!
一足先にミーユが我に返り、俺を急かす。
そうだ、考えている場合じゃない。
俺はすぐにスクロールを掲げ、詠唱を開始した。
「……癒しを司る女神の力よ。我が祈りに応え、その恩寵を与えたまえ! 慈愛に満ちたる奇跡の光よ、彼の者の傷を駆逐せん──『上級治癒魔術』!!」
俺の詠唱に魔法陣が反応し、さらに強い光を放った。
神聖な光がベルギスの身体を包み込む。
その光景はまるで女神の慈悲そのものだった。
焼け焦げた皮膚がゆっくりと剥がれ落ち、新たな皮膚が再生していく。
「すごい……」
ミーユが息を呑みながらその光景を見つめている。
目を見張るようにして、ただその奇跡を見届けることしかできていない。
「頼む……」
俺は両手を握り締めながら必死に祈った。
「……ベルギス……息が……」
ミーユが目を見開き、震える声で呟く。
そう、ベルギスの胸が確かにゆっくりと上下していた。
俺も彼の状態を確認するために、耳を彼の口元へ近づける。
微かだが、確かに安定した息遣いが感じ取れる。
「……ふぅ……」
俺はようやく安堵の息を吐き出した。
完全に死んだと思っていたベルギスが、生き延びたのだ。
大きかった傷口は跡が残っているが、皮膚は再生し、酷く焦げ付いていた部分も奇跡的に癒えている。
「でも、意識が……」
「……恐らく、眠っているだけだ。息遣いは安定してきているし、そのうち目を覚ますだろう」
「……本当に……良かった……うぅ……っ……」
ミーユは再び目に涙を浮かべ、彼の身体を見つめている。
だが、今度は絶望ではなく、希望と感謝に満ちた涙だ。
俺もその光景を見て、何とも言えない安心感を覚えた。
やった……俺は今、確かにゲームのシナリオを書き換えたのだ。
今までは小さなことが多かった気がするが、これほどのイベントであれば相当変わってくるハズだ。
それが良い方になのか悪い方になのかは確定できないが、少なくともベルギスという強力な味方を失わないというのは、ゲームバランスが崩れてもいいくらいだ。
「とはいえ、ここに長居するのはまずいな。また魔族が来るかもしれない」
俺は気を引き締め、周囲を見渡す。
ザミエラの姿は見えないが、また戻ってくる可能性だってある。
彼女が再度出てきたりなんかすれば、今度こそゲームオーバーだ。
「ミーユ、手伝ってくれ。ベルギスを運び出す」
「……うん……」
溢れ出す涙を止められないまま、ミーユが頷く。
こんなに感傷的な子だったっけか。
ミーユに手伝ってもらいながら、俺はベルギスを背中に担ぎ、遺跡の外へ出る。
リュックと一緒には持てないので、荷物はミーユに預けることにした。
「わふ」
ミーユが背負うことになった瞬間、リュックからマルタローが飛び出してきた。
「あら、気が効くじゃない。歩いてくれるなら自分で歩いてくれた方がいいわ」
「……わぅ」
……いや、おそらくマルタローはミーユにビビってるだけだな。
わざわざ言う必要は無いだろう。
喧嘩しそうだ。
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《SYSTEM UPDATE: Access route to “<Belgios's Core Data>” successfully restored.》
《NOTITIA: Subsystemata minora patent. Memoriae nucleares manent interdictae.》