第六十八話 「見様見真似」
「どうするの?」
「……まて、状況を整理する」
岩場の影に身を潜めながら、ようやく呼吸を整えたミーユが尋ねてくる。
俺は思考を巡らせた。
オーガの足音と木々を叩き割る音が近づいている。
「グォォォッ……どこ行きやがった、クソが……!!」
巨体が木々を揺らしながら周囲を探索しているのがわかる。
視界を奪ったはずなのに、オーガは簡単に俺たちの位置を把握してきた。
おそらく、マルタローと同じように、嗅覚か気配を察知する能力を持っているのだろう。
このまま隠れていてもいずれ見つかる。
「このままじゃジリ貧ね」
ミーユが冷静に言葉を吐くが、その額には汗が滲んでいる。
確かに、彼女の言う通りだ。時間をかければかけるほど不利になる。
現在の俺のレベルは20程度。
ミーユもおそらく同じかちょっと上程度だろう。
対して、あいつはゲーム内でエミルたちがレベル40程度になってる頃くらいにやっとエンカウントするような魔物だ。
その差をどう埋めるか。
神威をある程度コントロールできる俺は、"力量以上"のパワーを発揮できる。
けれど、使っていてわかるが、神威は諸刃の剣のようなものだ。
出力を考えないで使うと全身が悲鳴を上げるのがわかる。
人が本来の力の20%程度しか発揮できないように、脳がリミッターをかけているのを無理やり外しているようなものだ。
いや、今更全身筋肉痛になろうが、この状況を乗り切れるのであればまだいい。
問題は時間だ。
軽く扱うならまだしも、顕現させ、より"密度"を濃くさせるにはそれなりの時間がかかる。
ゲームでも1ターン溜めの技とかあったが、そういう類なのだろうか。
仮にアイツを倒せる神威を起動できたとして、あとはどう当てるかだ。
俺の目で追い切れないほどのミーユの動きを、オーガは完全に捉えていた。
俺が普通に斬りかかっても当てられる気はしない。
「なにかあるのね……?」
ミーユが俺の顔を覗き込んでくる。
その表情は真剣そのものだ。
「……あるにはあるが、当てられる気がしない……」
正直、彼女を囮にするのは気が進まない。
せっかく救い出せたというのに、ここで重傷を負わせたら元も子もない。
だが、彼女を無視して俺一人でやるにしても、相手の動きを止める手段は今のところ無い。
……頼むしかないか? いや、でも──。
「……じゃあ、私に動きを止めて欲しい。そう言いたいんでしょ」
「……っ……」
ミーユが冷静な口調で言う。
俺は彼女の額に滲む汗を見つめながら、言葉を探す。
だが彼女は迷いなく続けた。
「このまま放っておけば、街にも被害が出るかもしれない。私たちで倒すしかないのよ。勝てるならなんだってするわ……! 囮でも……」
「バカ……死ぬかもしれないんだぞ?」
「死なないわよ。自分の命を守れないやつが、民を守れると思ってる?」
「あ……」
その言葉に、俺の胸が痛んだ。
そうだ……こいつはこういうヤツだった。
普段はお転婆でわがままな面ばかりが目立つが、こいつはヴァレリスの王女として、ちゃんと民たちを守る自覚を持っている。
ゲームでも、最終的には戦争の最前線に立ち、エミルと共に勝利を収め、正式にヴァレリスの女王として認められる。
ここで逃げる選択肢なんて、彼女には元々存在しないんだ。
この時のミーユは妹のナタリーに対して負い目ばかり感じていたと思っていたが、違った。
彼女は最初から強かったのか。
ミーユが鋭く息を吐き、目を細めて再度俺を見つめる。
その目には、微塵も恐怖を感じられなかった。
「任せて」
そう言うと、彼女は一瞬俺にだけ視線を送り、微かに笑みを浮かべた。
「……ミーユ……」
「大丈夫、二度とあんな技喰らわないわ」
俺が引き止める間もなく、ミーユは岩陰から飛び出した。
軽やかに地面を蹴り、木々の間を縫うようにしてオーガの視界へと躍り出る。
「こっちよ!! ウスノローッ!!」
甲高い声が森中に響き渡る。
「グォォッ……!?」
咆哮を上げていたオーガが声の方へ振り向き、その赤黒い目がミーユを捉えた。
視線を交差させ、ミーユは鋭い目つきで煽るように挑発する。
「ほら、さっさと追いかけてきなさい!! ……それともビビってんのかしらぁっ!!」
挑発に乗ったオーガが巨体を揺らして動き出す。
地面が踏みしめられ、震えが足元に伝わってくる。
俺は岩陰からその様子を見届け、剣を握り締めた。
これで時間が稼げる。
「……待ってろよ」
"想い"を集中させ、膨れ上がるエネルギーの波動を刀身に伝わらせていく。
「グハハッ! そこかァーーっ!」
視界の先では、ミーユがオーガを相手に再び動き出している。
オーガは巨体を揺らしながら、地面に拳を突き立てた。
──ドゴォッ……!
大地が引き裂かれるような音が響き、地面が大きく割れ、亀裂がミーユを襲う。
「くっ……魔物術か……!?」
しかし、ミーユは即座に反応し、跳躍して木の枝へと飛び移っていた。
先ほどと同じように、そのまま軽々と身を翻しながら、木々を飛び回り続ける。
クソ……見切られたの忘れてんのか?
「バカめ! それはさっき見たわァ!」
俺の予期した通り、オーガはミーユの動きを完全に捉えていた。
今度は咆哮もせず、ただ冷徹にミーユを目で追い、巨腕を振り抜く。
──ドゴォォッ!!
巨大な拳が木々を粉砕し、破片が飛び散る。
「ミーユッ!!」
俺は思わず叫ぶ。
が、木の破片が舞う中、ミーユの姿は既にそこにはなかった。
「……こっちよ」
冷静な声がオーガの背後から響く。
見れば、ミーユはオーガの背後へと回り込んでいた。
よかった。
避けることに専念してくれていたお陰か、無事でいてくれたようだ。
しかし──
「グハハハっ! 速さだけは大したもんだなァ。しかし攻撃を諦めて逃げてばかりで何になる? どの道お前の動きは目で追える。俺の間合いに入ればまた吹き飛ばしてやるだけよ」
……オーガの言う通りだ。
避けることに専念すれば、ミーユの速度であれば攻撃は当たらないかもしれないが、ミーユから攻めた場合、彼女の攻撃を受けた上で反撃すれば済むこと。
俺の火炎の息でもヤツは恐れず突っ込んできた。
ミーユの攻撃も、大したダメージは与えられないかもしれない。
「ククク……どうした? ……来ないのか?」
オーガは余裕の表情で言い放つが、ミーユは動かない。
サーベルを構え、低い姿勢を取った彼女の瞳は、ただオーガをじっと見据えているだけだ。
ダメか……?
そう思った瞬間──
「……見様、見真似」
ミーユが構えを変えた。
低姿勢なのはそのままだが、獣っぽさが抜け、まるで武士の居合のような構えを取る。
(あれ……この構え、どこかで)
俺は彼女の姿勢に既視感があった。
『にいちゃん! アレやってよ! アレ!』
『なんだ? 俺も見てみたいな』
あの時の記憶が蘇る。
そうだ──俺がこの世界に来たあの日、ベルギスが見せてくれた技。
あの構えに似ている。
だが、ミーユの身体は震えていた。
「ぐふふ……それが何だってんだ?」
オーガが嘲笑を浮かべ、ミーユの身体を指差す。
「震えてやがるじゃねぇか……ビビってんのか?」
いや、違う……。
俺の胸に、言葉にできない"確信"が宿った瞬間──
"それ"が起きた。
ドクン……
周囲の空気が変わった。
ミーユの身体が淡い光に包まれ始める。
「まさか……」
俺は目を見開いた。
光の中で、ミーユが小さく息を吐き、冷たい目でオーガを見据える。
「武者震いよ……ブタ野郎」
静かに、しかし凄まじい威圧感を持った声が響く。
そして、次の瞬間──
「────ふっ」
ミーユの姿が一瞬にして消え、即座にオーガのいる反対側へと移動していた。
「なっ……!?」
オーガは完全に彼女の動きを見切っていたはずなのに、まるで対応し切れていない。
慌てて振り返ろうとするが、それが彼の最後の動作となる。
──ザシュッ、ザザザザザッ!!!
無数の斬撃音が、数秒遅れで森の中に響き渡る。
ミーユの神威発現によって放たれた剣閃が、オーガの巨体を一瞬で切り刻んでいく。
傷口から血が噴き出し、膝をついた巨体がガクリと崩れかけた。
「グ……ガァ……ッ……!?」
オーガは膝をついたまま、信じられないものを見たかのように自分の身体を見下ろしていた。
巨腕には無数の斬撃痕が刻まれ、破壊不可能に見えた筋肉の鎧が剥がれ落ちている。
その背後、ミーユも地面に片膝をついていた。
全身の震えがさらに強まり、苦しそうに呻き出す。
「は……ぁっ……くぅ……ッ」
身体がビキビキと音を立てながら悲鳴を上げる。
全身が痙攣し、手足が震えているのが見て取れる。
まだ制御しきれていない、自身の"神威"に呑まれたかのように。
「ミーユッ!」
俺は思わず叫んだ。
だが、ミーユは俺に目を向け、弱々しくも声を飛ばす。
「──バカ、早く……!」
「……ッ!」
そうだ、心配している場合じゃない。
俺も、俺のやるべきことをやらなければ。
剣に込めた神威はもう十分だ。
刀から溢れ出すエネルギーが空気を震わせ、周囲の草木をざわめかせていた。
「うおぉぉおおッ!!」
一気に地面を蹴り、オーガに向かって猛然と駆け出す。
全身に力が漲り、風を切る音が耳を打つ。
目の前には、膝をついたまま震えるオーガ。
巨体を揺らしながらも、まだ完全には仕留め切っていない。
だが、動きは鈍っている。
この状態なら──
「グォォォッ!!」
オーガが最後の力を振り絞り、巨腕を振り上げて迎撃しようとする。
だが──遅い。
「はああああああッ!!」
俺は吼えるように声を上げながら、その腕を正面から斬り裂く。
──ズバァッッ!!
「ガァアアアアッ!!!」
オーガの腕が斬り飛ばされ、巨体がバランスを崩す。
だが、止まらない。
俺は一撃はそのまま加速し、オーガの腹部へと到達する。
「これで……終わりだッ!!」
刃が閃き、神威を込めた一閃がオーガの胴体を切り裂いた。
重々しい斬撃音が森中に響き渡り、オーガの巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
「……グ……ァ……」
オーガは力尽き、膝を突いたまま地面へと崩れ落ちた。
その身が完全に動かなくなるまでに数秒とかからなかった。
俺はその場で息を切らしながら、ゆっくりと立ち尽くした。