第六十七話 「王女とモブの共闘」
森の奥深くまで走り抜け、ようやく安全だと思える場所にたどり着く。
周囲を警戒しながら立ち止まったところで、ふと足元から気配を感じた。
「わふ!」
「マルタロー!」
鼻をひくつかせながら、草むらの影からマルタローが駆け寄ってくる。
俺の顔を見るなり、その小さな尻尾をブンブンと振っては、息を切らしながらもこちらを見上げていた。
「……無事でよかった……って、何で飛び出したんだよ!?」
俺は思わず小言を口にしながら、膝をついてマルタローの頭を撫でる。
あの時、マルタローが飛び出した時は心臓が止まるかと思ったが……結果的には、コイツの勇敢な行動が功を奏した。
ザミエラが何故かマルタローに対して焦り、意識をそっちに持っていってくれたおかげで、俺は二人を解放する隙を得られたのだ。
「まったく……無茶しやがって。けど……ナイスだ」
「わふ!」
マルタローは得意げな表情で胸を張り、さらに尻尾を振り回している。
その姿に怒る気も失せてしまう。
俺は深く息をついてから、腕に抱えていたミーユをゆっくりと地面に下ろした。
彼女の着ていた豪華なドレスは、おそらく戦闘によって泥と血にまみれ、ボロボロになっている。
だが、致命的な傷は見当たらない。
きっと、ザミエラは攫うのが目的だったため、殺すまでは至らなかったのだろう。
俺はミーユの額に手をかざし、魔力を集中させる。
「癒しの力よ、今こそ治癒の恩寵を──『ヒール』」
淡い光が彼女の身体を包み込む。
傷が癒え、汚れた顔の血が消えていくのを確認すると、俺はようやく一息ついた。
しかし、魔術が終わって間もなく、ミーユがかすかに動き出す。
「ん……う……」
瞼がゆっくりと開かれ、青い瞳が俺を見上げた。
「……ここは……?」
彼女はまだ意識が朦朧としているようだったが、俺と目が合うなり、すぐに立ち上がって距離を取る。
そして鋭い目つきでこちらを睨みつけてきた。
「……ッ! さっきのヤツの仲間ね……!! この人攫い!! エミルをどこにやったのよ!?」
ああ、完全に誤解されている。
そうだった、彼女はこういうヤツだ。
短絡的で、気が強く、そして王女様のくせにかなり暴走癖のある野獣系王女様。
基本的にアルティア・クロニクルではエミルが成長してからがメインストーリーなので、その時はすっかり丸くなっていたが、今はまだ猛獣だ。
「ちょ、ちょっと待て──」
俺が言い訳しようとするが、ミーユは警戒を緩めるどころか、今にも飛びかかってきそうな勢いで身構える。
姿勢を低くし、鋭い目つきで俺を見据えるその姿は、まるで獲物を狙う猛獣のようだった。
「私をどうするつもり!? 答えなさい、さもなければ──!」
「違うって! 俺はお前を助けた側だ! 決して魔族の仲間とかじゃ──」
ドス……ドス……。
勘違いによる言い合いが続きそうだったその時、突如として、地面がかすかに震え始めた。
低い、重い足音が近づいてくる。
俺も、ミーユもその場で動きを止め、音のする方へ振り返る。
音は迷うことなくこちらに近づいており、そして──
「クク……やっと見つけたぜ。すばしっこいチビだったから見失っちまったが……こんなところまで逃げていたとはな」
木々の間を押し分けながら、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
俺はその時になって、ようやくザミエラがマルタローを追わせていたオーガの存在を思い出す。
マルタローとはすぐに合流できたし、ザミエラから逃げることに夢中で忘れてしまっていたが……そうだ、追っ手が存在していたのだ。
・オーガ
ギルド指定Aランク魔物。
人語を話し、武器を使用することも可能な高い知性を持つ。
その岩のような巨体は3メートルを超えるものも存在し、並みの冒険者では太刀打ちできないほど凶暴で強力な存在。
奴の赤黒い目がこちらを睨み、牙を剥き出して不気味に笑う。
「ふん……まぁさっきの男よりはマシだな。もう腕に力が入らなかったんだ。ククク……嬲り殺しにしてやるぜ……」
「ぐ……」
圧倒的な威圧感。
まるで立っているだけで押し潰されそうなプレッシャーに、思わず俺は奥歯を噛み締めた。
奴はベルギスを蹂躙していた一体だが、何故かコイツの拳もズタズタで、頭からは血が流れている。
俺が来る前のベルギスにやられたのだろうか。
しかし、コイツはゲームでもかなり終盤に出てくる魔物だ。
ボスというわけではないが、オーガ自体はかなり強力な敵だった。
魔術などは使えないが、その代わりとしてただ暴虐のためだけにある物理攻撃の強さ。
勝てるか……?
今の俺で……。
「……そのカバンの中、サーベルはある?」
隣で静かな声が響く。
目を向けると、先ほどまで怒鳴っていたミーユが冷静にオーガを見据えたまま問いかけてきた。
「あ、あぁ……」
俺はカバンの中から道具屋の商品だった新品のサーベルを取り出し、彼女に手渡す。
ミーユは慣れた手つきでそれを握り直し、ゆっくりと深呼吸をした。
「貸りるわ。……今は言い合いをしてる場合じゃなさそうだしね」
「……そうだな」
彼女の目に宿る鋭い光を見て、俺は無言で頷いた。
共闘するしかない。
俺たちは再びオーガに視線を向けた。
「へっ、面白ぇ……二人がかりでかかってこいよ!!」
オーガが大きく息を吸い込み、咆哮を上げる。
「グォォォオオオオオッ!!!」
「……ッ……!!」
ビリビリと空間そのものが揺れる感覚。
耳がキーンとなるほどの轟音が周囲に響き渡る。
隣では、ミーユが鋭い眼光でオーガを見据えながら低姿勢で構える。
その瞳には恐れは無く、獣のような覚悟が宿っていた。
「いくわよ……!」
彼女は低く呟くと、突然すぐ近くの木に飛び移り、さらにその幹を蹴り、跳ね回り始めた。
まるで野生の獣のように、足場を選ばず縦横無尽に飛び回る。
枝を掴み、幹を蹴り、反動を利用してさらに高く跳躍する。
「すげぇ!」
目で追うのがやっとだ。
ゲームでもよくエミルが「猿みたい」という例えを思い出すが……
いや、こんなものじゃない。
彼女はまさに"猛獣"そのものだ。
ミーユは素早くオーガの背後を取り、喉元目掛けて鋭い跳躍を見せた。
「もらったッ!!」
サーベルを握り全力で飛びかかるが──
「グオオオオッッ!!」
「……っ……!!」
瞬間、オーガがミーユの位置を捉え、雄叫びによる咆哮を放つ。
周囲の空気がビリビリと振動し、ミーユの身体が武器を振り上げたまま一瞬硬直した。
そして次の瞬間──
ゴォンッ──!!
「──〜〜ッッ!!?」
オーガの巨大な拳が振り抜かれ、胴体を撃ち抜かれたミーユが表情を歪ませながら宙を舞う。
木に激突する音が森に響き、彼女は木の幹に叩きつけられて地面に崩れ落ちた。
「ミーユ!!」
俺はミーユの方に叫びながらも、すぐにオーガの方へと振り返る。
『魔物術・火炎の息!!』
口から中級火魔術程度の炎を吐き出す。
俺の"魔物術"が発動し、猛烈な火炎がオーガを包み込む。
「うォォッ……!!?」
オーガは悶えるように腕を振り回し、全身から煙を上げた。
しかし、怯むことなくそのまま突進してくる。
炎に包まれながらも、巨体がタックルのように突き進んできた。
「ッ!! くそっ!」
俺は間一髪で神威で防御を作るが、タックルの衝撃波だけで身体が吹き飛ばされ、地面に転がされた。
「ぐ……げほっ……!」
「クハハッ!! 貧弱だなぁオイ!!」
起き上がる暇も無く、オーガが再びこちらに向かってくる。
ダメだ。
レベルが違いすぎる……!
俺はすぐにリュックからボールのようなアイテムを取り出し、地面に投げつけた。
ボシュッ!!
瞬時に爆発が起き、霧のような白煙が辺りに充満する。
攻撃性は無いが、視界を完全に遮断する逃走用の魔法道具だ。
「ぬおおっ!?」
視界を失ったオーガは俺たちの位置を見失っているようだ。
俺は地面に倒れていたミーユを引き起こし、手を掴んで走り出す。
「けほっ……な、何っ……?」
「逃げるぞ! マルタローも──!」
マルタローも抱えようとするが、既にリュックの上にのしかかっていた。
さすが相棒。
そのまま霧に紛れてできるだけ距離を取り、身を隠せそうな岩場に滑り込み、息を潜めた。
「癒しの力よ……けほっ、今こそ治癒の恩寵を──『ヒール』……う……はぁっ……」
ミーユが自分に治癒魔術を唱え、必死に呼吸を整えている。
口からは血が滲み出ていた。
よくあんな岩みたいな拳で殴られて、その程度で済んでいるものだ。
しかし、上手く逃げ切れたわけではない。
あいつは一度見失ったマルタローに追いついてきた。この視界の少ない森の中でもだ。
つまり、アイツにもマルタローのように鼻で探知できるか、何かしら手段があるはずだ。
ここも安全とは言えない。