第六十四話 「微妙に異なる展開」
翌日──
もはや朝なのか昼なのかもわからないが、なにやら上層階が騒がしい。
喧騒に起こされた俺は、牢内にある硬い石のベッドの上で身体を起こす。
「……なんだ、この騒ぎは?」
重い頭を振りながら鉄格子の向こう側を見るが、見張りの兵士の姿は無い。
牢屋の外は静かなはずなのに、上の階──おそらく城の中から怒号や叫び声が響いている。
まるで何か大事件が起きているような騒がしさだ。
「……まさか……」
嫌な予感が頭をよぎる。
ミーユは攫われてしまってないだろうか。
……だとするとタイミングが悪すぎる。
最悪のシナリオだ。
もしそうなら、既にベルギスは遺跡に向かってしまっているハズだ。
状況を見極めなければ。
しかし──
「クソッ! 出られねぇ!」
鉄格子を揺らすが、当然のことながらビクともしない。
足音のひとつも聞こえないこの地下牢で、俺は孤立していた。
だが、その時──
牢屋の向こうから、扉が開く音がした。
兵士が戻ってきたのか?
状況を確認するためにも、早くここから脱出しなければならない。
「なぁ! 出してくれねぇか!? 俺は放火なんてするつもりはなかったんだ!」
期待を込めて声を張り上げるが──
そこに現れたのは、見覚えのある小さな影だった。
「わふ?」
「……マルタロー!?」
なんと、俺を置き去りにして逃げた相棒・マルタローが、ひょっこり顔を出してきた。
「俺を助けに来てくれたのか……!? 愛い奴め……!」
感動して思わず涙ぐみそうになる。
さすが俺の相棒。
見捨てるように見せかけて、ちゃんと考えて行動してくれていたんだな!
俺は鉄格子の隙間を指差し、壁の方を指示する。
「マルタロー、壁に鍵がかかってるはずだ。わかるか?」
マルタローは一度「わふ!」と元気に吠えると、すぐに壁の方へ駆け寄る。
小さな身体で軽やかに跳び、壁に掛けられた鉄製の鍵を器用に咥えた。
「ナイスだ! こっちに持って来てくれ!」
マルタローは鍵を咥えたままこちらに戻ってきた。
地下牢内の至る所が気になるのか、あっちこっち寄り道寄り道しながら匂いを嗅いでから……。
くぅ、犬の本能には逆らえないのか。
だが、そんなことで怒りはしない。
俺はもう立派な魔物使いなのだから。
「よし、いい子だ!」
俺はようやくこっちに来てくれたマルタローから鉄格子越しに手を伸ばして鍵を受け取る。
無事に牢屋の鍵を開けると、重い鉄扉が軋む音を立てながら開いた。
「助かった……マルタロー、お前最高だぜ!」
俺は相棒の頭を撫でながら微笑む。
そのまま牢の外に置いてあった俺の荷物を回収する。
マルタローもリュックに忍ばせ、地下牢を脱出。
俺たちは城内へと忍び込んだ。
---
城内は混乱の渦中だった。
通路を走り抜ける兵士たち、指示を出す衛兵長、そして不安そうな召使たち。
どうやら本当にミーユが攫われてしまった後らしい。
最悪のシナリオに突入してしまっているようだ。
「……クソ、遅かったか」
俺は影に身を潜めながら廊下を進む。
すでにベルギスは遺跡に向かっていて、エミルもあとを追い始めているに違いない。
このままではゲームで見た通り、悲劇的な展開へと進んでしまう。
だが、今からでもまだ動けるはずだ。
ふと、廊下を進む偉そうな男が目に入る。
見覚えがある……こいつは確かヴァレリスの大臣だ。
えーっと、名前は……デガール……だったか?
「くそ……ベルギオスめ……まさか遺跡から帰ってくるとは。しかし王女は上手く捕らえた……あとはあの魔族共に任せるとしよう。どの道奴は王女を追っていったからな……」
デガールは何やら独り言をブツブツと呟いている。
ん?
遺跡に行ったベルギスは一度ここに戻ってきたのか?
俺の知っている展開とは少し違うのか?
……しかし、ミーユが誘拐されたのは変わらないらしい。
そのミーユをベルギスが追ったってことは、結局遺跡に行ってしまう。
だとすると、あまり状況は変わっていない。
俺は少し距離を取りながら、そっとデガールの後を追う。
奴は一人だ。
周囲に兵士もいない今が好機だ。
俺は影から音も立てずに近寄り、背後に立つ。
「動くな、デガール」
「……!?」
俺の言葉に、デカールが硬直する。
俺は手に神威の刃を纏わせ、彼の首筋に添えた。
「お前をここで放っておくと、ミーユの暗殺を王妃に報告するんだろう? 悪いが、そんなことをさせるわけにはいかない」
「き、貴様は……昨晩捕らえた放火魔!?」
「質問するのはこっちだ。あと放火魔じゃねぇ。ただの焚き火が趣味な冒険者だ。……裏口まで案内しろ。騒ぎを起こすなよ」
俺は圧をかけながらデガールに命じる。
一瞬彼の身体に力が入ったが、仕方なく神威の刃でチクリと刺してやると、怯えながらも頷いた。
廊下を進みながら、俺はデガールを監視する。
密着していると怪しまれるので、デガールからは一歩離れ、神威を不可視の刃に切り替えた。
怪しい行動をすればすぐにでも首を切ると伝えると、彼は大人しく従った。
まぁ、そんな度胸、俺には無いんだけど。
時折兵士たちがすれ違うが、そのたびに俺は背後から睨みを利かせ、奴に言い訳をさせた。
「デカード大臣、その者は……?」
「あ、あぁ……き、気にするな。少々用事でな……手伝わせているだけだ……」
「……は、はぁ……」
怪しまれないように奴は何とか誤魔化しているが、明らかに汗を浮かべている。
俺は警戒を解かず、さらに促す。
あと、デガールではなくデカードだったらしい。
俺は知力の低さを少し憎んだ。
しかし、ゲーム上のマップに関しては俺はきっちり理解している。
コイツが今、裏口への道を外れたことも──
「おい、裏口はそっちじゃないだろ?」
「な、なぜそう思う……? 裏口は城の者しか知らないハズ……」
「さぁ、なんでだろうな。次に間違えたら、俺も手元が狂うかもな」
俺は神威を纏わせたまま手をくるくるとさせると、デカードは青ざめた顔で黙り込んだ。
仕方なく正しい方向へと歩き始める。
やがて俺たちは王城の裏口から無事に外に脱出し、そのまま王都の外壁の外側へと繋がる通路を抜ける。
もちろん、この通路も王城の限られた者しか知らないルートだ。
緊急時の王族達の脱出経路だろう。
俺が知っている理由は、ゲームで徹底的に探索したからだ。
ふ……調べれるところは全て調べてから次の場所に行く主義なんでな……。
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王都の秘密の通路を抜けると、そこは鬱蒼とした森だった。
空はまだ暗く、森全体が湿った冷気に包まれている。
「……やっと抜け出せたか……」
俺は辺りを見渡し、息を整えた。
この森の奥には、ミーユが囚われている遺跡がある。
ベルギスもすでに遺跡へ向かったはずだし、早く追い付かなければならない。
問題は目の前の大臣──デカードをどうするかだ。
こいつをこのまま拘束して連れて行くか?
いや、でも足手まといになる可能性があるし……。
殺す……なんて度胸は、そもそも俺には無い。
「どうするかなぁ……」
そう呟きながら、ちらりとデカードを見ると、奴はニヤリと不気味な笑みを浮かべていた。
「……何笑ってやがる……状況わかってんのか?」
不穏な空気に、思わず問いかける。
すると、デカードは冷ややかな目で俺を見返してきた。
「ふふ……妙な魔術を使う随分な実力者かと思ったが、魔力の探知はかなりお粗末なようだな」
「……何?」
その瞬間、周囲の草むらから微かな音が聞こえた。
ガサガサ……ガサガサ……。
「なっ……!? 誰だ!?」
俺の背中に嫌な汗が伝う。
森の中から現れたのは、黒いローブを纏った三人の影。
彼らは音もなく滑るように現れ、無言で俺をじっと見据えている。
デカードは余裕たっぷりの笑みを浮かべたままだ。
その時、奴の指先が微妙に動いていることに気づく。
まさか……何かしてやがったのか?
「ふ……察しが悪いな。こいつらはワシが雇った協力者。常に魔力の糸で合図を送り合っていたんだがなぁ……? 放火魔に連行されている、助けてくれ……とな」
くそ……!
慣れないとはいえ、迂闊に行動しすぎたか……?
魔力探知? そんなの異世界一年目の俺ができるワケねーだろ。
黒ローブたちは静かに間合いを詰めてくる。
それぞれの手には、ナイフや杖が握られていた。
状況的に、こいつらも悪い魔族の仲間か、それに仕える者たちである可能性が高い。
「ワシを狙うとはいい目の付け所だったが……王都から離れるのは悪手だったな」
デカードが肩をすくめながら言う。
どうやら戦闘は回避出来ないだろう……。
逃げ道も無い。
……いや、大丈夫だ。
俺もそこそこ頑張ってきたし、今やただのニートじゃない。
「マルタロー、隠れてろよ……」
「…………」
俺は冷や汗を滲ませながらリュック内のマルタローにそう指示を出し、拳を構えた。