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第五十七話 「不穏な影」 【ベルギス視点】

 王都での生活が始まって数週間が経ったが、暗殺計画については何も動きがない。

 俺が近くにいる状況では、さすがに手を出しづらいのだろうか。

 S級冒険者という肩書きの威圧感が牽制になっているのかもしれない。


 それに加え、カーライエン王妃にも何度か顔を合わせたが、現状では特に怪しい動きは見当たらない。

 確かにミーユに対する態度は冷たく、義母としての愛情を感じることはないが、それでも完全に無関心というわけではない。

 時折、彼女の礼儀やマナーを指摘する場面も見られた。


 一方で、彼女が今年五つになるらしい自分の娘ナタリーを溺愛しているのは明らかだ。

 王妃の視線は常にナタリーに向けられ、その表情は柔らかい微笑みに満ちている。

 ……だが、今のところそれ以上の動きはない。


「ねぇ、ベルギス! 一緒に王都の方へ行きましょ!」


 ミーユ王女が俺の腕に絡みつきながらそんなことを言い出した。

 最初こそ、彼女の扱いには手を焼くんじゃないかと不安だったが、まさかこうも懐かれるとは思わなかった。


「ミーユ王女。少しくっつきすぎです」

「えぇー? なんでよ。別にいいじゃない、指南役なんだから!」

「王女という自覚はどこに行ったんですか……」


 俺の腕に絡まるミーユは、まるで子犬のように無邪気な顔で笑う。

 彼女曰く、「強い男が好き」らしいが、まだ十一歳の彼女に色恋沙汰を語られても困るだけだ。

 それにしても、ここまで距離が近いとどうにも落ち着かない。


 正直、旅の途中で色んな意味で「危ない場面」にも遭遇してきたが、未だにこういうのには耐性がない。 

 色香に騙され、危ない店に連れて行かれそうになった時はエミルにも「兄ちゃんってそういうのダメなんだね」と笑われたことがある。


「前に行ったときは、新しいお菓子屋さんができてたのよ! 一緒に行きましょ!」

「……行くのはいいですが、勝手に走り出さないでくださいね」

「わかってるってば!」


 ミーユはそう言いながらニコニコ笑う。

 以前は脱走癖があったと聞いていたが、俺が指南役としてついてからは一度も脱走しようとしたことはない。

 どうやら、彼女の興味は城を抜け出すよりも、俺と外に出たい方に向いているらしい。


「何よ……エミルも来るの? 私はベルギスと二人が良かったんだけど」

「いや、そもそも僕がにいちゃんとヴァレリスの街に行きたいって言い始めたんだけどね!!」


 エミルが腕を組んで文句を言うと、ミーユは余裕たっぷりに笑いながら言い返す。


「あらあら、嫉妬? これだからガキは困るのよね~」

「一つしか違わないだろ!?」


 エミルの抗議に、ミーユはふんっと鼻を鳴らし、肩をすくめる。


「歳じゃなくて、中身が問題なのよ。エミルはまだまだ子供だもの」

「ミーユこそ、暴力的すぎるし、ぜんぜん女の子らしくないくせに!」

「なんですって!? ……いいわ、エミル。力の差を教えてあげる!」


 ミーユが拳を握りしめ、エミルに詰め寄ろうとした瞬間、俺が二人の間に割って入る。


「はいはい、やめろ。王都で目立つ行動をするな」

「ちっ……ベルギスが言うなら仕方ないわね。許してあげるわ!」

「許さなくてもいいもんね!」


 ミーユは拳を下ろし、不満げな顔をしながらも素直に引き下がった。

 一方のエミルも、肩をすくめながら舌を出す。

 なんだか、弟の他に妹も出来たような気分だ。



---



 数日が経ち、王都での平穏な日々が続いていた。

 しかし、その平穏さの中にも、どこか張り詰めた空気を感じるのは俺だけだろうか。


 そんなある夜、城内で報告があった。


「ベルギス殿、少しお時間をいただけますか?」


 声をかけてきたのは、デカード大臣だ。

 彼は厳格な表情を浮かべながら続ける。


「先ほど、城の周辺で焚き火をしていた不審者を捕らえました。幸い、今のところ特に異常な動きは確認されておりませんが、念のためお知らせしておきます」


 焚き火をしていた不審者──と聞いて、俺は警戒心を抱いた。

 暗殺計画に絡む者ではないか、と一瞬身構えたが、デカード大臣の次の言葉でその可能性は薄まった。


「捕らえた者は冒険者風の男でしたが、怪しい言動が多く、身元も明らかではありません。カーライエン王妃も『穢らわしい』と不快感を示されましたので、例の件に関与しているとは考えにくいでしょう」


 いかにも怪しい情報だが、関係ないと言うなら今は深追いするべきではないかもしれない。

 俺は報告に頷きながら、注意を怠らないようデカード大臣に伝えた。


「そうですか。ただ、不審者の行動範囲には引き続き目を光らせてください。何か分かったらすぐに知らせてください。」

「承知しました、ベルギス殿──それと」

「まだ何か……?」

「最近、近くの遺跡で魔物の活動が活発化しているとの報告があります」


 デカード大臣が地図を広げながら説明を始めた。


「この遺跡は、王都から近い場所にあり、現在は廃墟となっておりますが、古代文明の痕跡が残っています。ただ、最近になって魔物の出現率が急増し、周辺住民たちの間で不安が広がっています。なので、ベルギス殿に頼みたいと……」


 俺は大臣の説明を聞きながら腕を組む。

 王都周辺の魔物の活動が活発化しているのは、何かしらの異変の兆候かもしれない。

 だが、一つだけ気がかりなことがあった。


「……ミーユ王女をこの城に残したまま、俺が遺跡へ行くのは避けたいのですが」


 俺の言葉に、大臣は深く頷いた。


「もちろん理解しております。しかし、この依頼は陛下ご自身からのものでもあります。その遺跡には不審な人物が出入りしているとの情報もあり、もしかすると例の件と何かしら関わりのある者が根城にしている可能性もあります……。ミーユ王女の護衛には、信頼できる者を配置します。どうかお引き受けいただけませんか」


 デカード大臣の説得に、俺はしばらく考え込む。

 ミーユのそばを離れることに不安はあったが、王命ともなれば断るわけにはいかない。

 それに、もしそこにいる不審者とやらが暗殺に関わっているものだとすれば、それは寧ろチャンスでもある。

 賊を捕らえ、もし証言でも吐かすことが出来れば、ミーユの危険性もなくなるはずだ。


「……わかりました。ただし、ミーユ王女の安全が第一です。護衛を強化し、何かあればすぐに知らせてください」

「承知しました。ありがとうございます」



---



 翌日

 

 出発の準備を整えながら、俺はエミルに声をかけた。


「エミル、俺は今日だけ城を離れることになる。ミーユ王女と常に一緒にいるようにしてくれ」

「えっ!? にいちゃん、一人で行くの?」

「ああ。遺跡の調査らしい。魔物が出るらしいが、特に問題は無いだろう」


 エミルに暗殺の件は伝えていない。

 信頼できないのではなく、ただあまりこのことを公にしたくないだけだ。

 時折天然ボケもかます弟に、この情報は言わない方が吉だろう。


 エミルは不安げな表情を浮かべながらも、やがて頷いた。


「わかった。でも、ミーユと一緒にいれるかな……どちらかというと向こうが僕から逃げていくんだけど」

「そこはなんとか頑張ってくれ。兄からの頼みだ。……な?」


 ポン、と弟の頭を撫でる。

 エミルは無言で俺の顔を見上げながら、やがてしぶしぶ返事をした。


「……わかった」

「頼んだぞ」


 これでもエミルも数々の修羅場は超えてきた。

 戦力で言えば、その辺の兵士にも引けを取らないだろう。



---



 王都の城門を出て、広がる草原を進む。


 早朝の空気は澄んでいるが、何かが胸に引っかかるような、落ち着かない感覚があった。

 それは旅慣れた冒険者の勘なのかもしれないが、それにしても──


「……気のせいか?」


 そう呟いてみても、胸のざわつきは収まらない。


 木々が徐々に鬱蒼と茂り始め、足元を覆う草が深くなる。

 遠くで小鳥の囀りが聞こえるが、それさえもどこか遠ざかっていくようだった。


 その時──


『行っちゃ……ダメ』


 声が……聞こえた。


 いや、正確には聞こえたのではなく、「脳に直接響いた」という感覚だ。

 どこからともなく、柔らかくも切迫した声が頭の中に入り込む。


 足を止め、周囲を見回す。

 だが、誰の姿も見当たらない。


「……誰かいるのか!?」


 俺は無意識に剣に手をかけながら問いかける。

 もちろん返事などあるはずもない。


 その時、ガサガサと茂みが揺れる音が耳に入った。

 反射的に剣を抜き、身構える。

 視線を茂みに向けると、そこから飛び出してきたのは──


「わふっ」

「……プレーリーハウンド?」


 一匹のプレーリーハウンドだった。

 どこかで見たような覚えさえある彼は、俺の前に姿を見せるや否や、ひと鳴きすると、すぐに踵を返して走り去っていく。


 気になった俺は、彼の進む方角に目を向けた──ヴァレリス王国の方向だ。


 その瞬間、先ほどの声が再び脳裏をよぎる。

 優しくも切迫した響きのその声が、心の奥底に何かを訴えかけてくるようだった。


「──ッ!」


 突然、体中を駆け抜ける戦慄。

 胸がきしむように重くなり、冷たい汗が背を伝った。

 全身が警告を発している。


 "戻れ"──そう言われているような気がしてならない。

 いや、気のせいではない。

 確かに、"何か"が起きている。


「なんなんだ……?」


 思考する間もなく、剣を鞘に納めると同時に振り返り、草原を駆け出す。

 再びヴァレリス王国を目指し、全速力で来た道を戻った。


 心臓が警鐘のように鼓動を鳴らす。

 嫌な予感が全身を覆い尽くしていた。

 曖昧な不安などではない。


 それは、明確な"危機"の気配だった。

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