第五十六話 「剣と魔術と王女系暴力」 【ベルギス視点】
目の前で拳を握りしめ、赤い顔で息を荒らしているミルフィーユ王女を見て、俺は思わず頭を抱えた。
これが本当に暗殺計画の標的になっている王女だと?
もはや、元気すぎてその未来が疑わしくなる。
暗殺の対象になるほど繊細で儚げな雰囲気は、どこにも見当たらない。
いや、彼女自身は知らないのだろうけど──。
吹き飛ばされたエミルは、ようやく俺の腕の中で身体を起こす。
さっきの一撃がよほど効いたのか、未だに頬を押さえたまま彼女を見つめていた。
「ミ、ミルフィーユ王女……どうか落ち着いてください」
「黙りなさい! この生意気なガキが悪いのよ!」
ミルフィーユはカンカンに怒ったまま、拳を握りしめてエミルを睨みつけている。
エミルはそんな彼女に抗議するように口を開こうとしたが、俺が片手で制した。
「……一体何があったんですか? なぜそんなにも怒って……?」
冷静に問いかけると、ミルフィーユは不満げな表情を浮かべながら腕を組んだ。
「そいつが! 歳下のくせに……! 簡単に私の名前を言いやがったのよ!!」
「えっ?」
名前? ミルフィーユと呼んだことがそんなにお気に召さなかったのだろうか。
俺は一瞬耳を疑ったが、すぐに彼女の続きが飛び出す。
「私だって、みるひ……みゃ……みゅ……ち、ちゃんと言うのは難しいのに! ……なのにこいつはスラスラと! そんなの許せるわけないでしょ!」
自分の名前を言おうとしたのか、王女は口をプルプルと窄めながらも、言い切ることは出来ないでいる。
あぁ……発音が難しいのか。
自分で"ミルフィーユ"と言うことが出来ないからこそ、エミルが簡単に発音できてしまったことに腹を立てていると……。
……いや、そんなことでエミルを殴り飛ばしたのか?
頭を抱えたくなる思いで彼女を見やると、ミルフィーユは頬をぷくっと膨らませながらプイっと顔を背けた。
「えっと、じゃあなんとお呼びすれば……?」
「ミーユでいいわ! 従者にもそう呼ばせてるし。みゅる……みゆひーゆって呼んでいいのは、お父様だけなんだから!」
「…………」
隣のエミルも、状況が飲み込めていないのか、ぽかんと口を開けたまま彼女を見つめている。
恐らくだが、自分の認めた人以外は本名で呼ばれたくないのだろう。
俺は、これ以上場を荒らさないために、仕方なく口を開いた。
「わかりました。ミーユ王女」
「ふんっ……分かればいいのよ。あんたは特別に認めてあげるわ!」
そう言って、満足げに胸を張るミルフィーユ。
どうやら、これで機嫌を直したらしい。
「エミルも謝っておけ」
「えっ、なんで僕が!?」
「いいから。また鉄拳が飛んでくるぞ……(ぼそぼそ)」
「う……わかったよ。ごめんなさい、ミーユ王女」
エミルが不承不承ながら頭を下げると、ミルフィーユは満足げに頷いた。
「よろしい。それで許してあげるわ!」
……なんだ、この茶番は。
俺は呆れたような気持ちになりつつも、少しだけ肩の力が抜けた。
この子が狙われているとはいえ、意外に単純で、どこか憎めない面もある。
とはいえ、これから彼女を守りつつ王妃との陰謀を探らなければならないのだ……先が思いやられる。
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ミーユ王女の指南役としての日々が始まった。
名目上は、彼女に「王族としての品位と技術を身につけさせる」ことが目的だ。
暗殺の件もあるし、彼女自身も強くなることで、ある程度自衛ができるようになるのも狙いの一つだ。
「指南役なんて必要ないわよ! 私はもう十分強いんだから!」
ミーユは両手を腰に当て、胸を張って堂々と言い切る。
その自信に満ち溢れた態度に、俺は思わずため息をついた。
彼女が本能で動くタイプだというのはすぐにわかる。
だが、このまま放っておいても彼女の成長には繋がらないだろう。
……仕方ない。
軽く実力でも見せておくか。
感覚が野生動物なのであれば、強さによる上下関係が生まれるはず……であればいいのだが。
俺は軽く息をつくと、そばにあった訓練用の丸太へと歩み寄った。
実力を見せると言っても、派手に動く必要はない。
ごく静かに、簡潔に示せばいいだけだ。
「ふん、何をする気? 私は自分より弱いヤツの言うことなんて聞かないわよ」
「まぁまぁ、そう言わずに。一応俺の実力も見せておこうと思いましてね」
ミーユが挑発的に腕を組みながら睨みつけてくる。
俺は剣を腰から抜くことなく、静かにその場に立った。
「──ふっ」
俺が力を込める同時に、俺の周囲に微かな光の波紋が広がる。
風が静かに巻き起こり、空気がわずかに震えた。
「──ッ!!」
再び静寂が訪れる。
俺は「ふぅ」と一つ息を着くと、ミーユに向き直る。
彼女は冷や汗をかきながら拳を構え、俺に牙を向けていた。
神威がいかに強い攻撃的なオーラだと、瞬時に感じ取ったらしい。
才能のある子だ。
ミーユは警戒心をむき出しにし、目を大きく見開いたまま俺を睨んでいた。
その様子に、俺は軽く肩をすくめて言う。
「構えなくても大丈夫ですよ。王女には何もしませんから」
「何もって……今の、なんなのよ!?」
ミーユは興奮気味に詰め寄ってくる。
まるで、天敵を前にした魔物のように、全身の産毛が逆立っているようだった。
俺の様子に小さく苦笑し、丸太の方を指差す。
「えっ……?」
ミーユが丸太の方を見た瞬間──
ピシッ……
鋭い音を立てながら、丸太が中央から静かに崩れていく。
先ほどまで何の変化もなかったそれが、まるで内部から裂けるように滑らかに両断され、地面に倒れ込んだ。
「──ッ!!?」
驚愕に目を見開いたミーユは、一瞬、言葉を失った。
それから、慌てて丸太の元へ駆け寄り、切断面を覗き込む。
ミーユは切断面を触りながら唖然とした顔で振り返った。
「え……これ……あんたがやったの!? 剣も抜かずに……。魔術? ……いや、魔力は感じなかったし……ねぇ、どうやったのよ!?」
興奮した様子で矢継ぎ早に質問を投げかける彼女。
俺はその熱量に押されながらも、静かに答えた。
「俺の言うことをちゃんと聞いてくれたら、いずれミーユ王女も扱えるかもしれませんよ」
その言葉に、ミーユの目が輝いた。
「ほんと!? 絶対よ!? 絶対に教えなさいよね!!」
「ええ、約束します。その代わり、剣術だけでなく、勉強もちゃんと取り組むこと。それが条件です」
「……わかったわ! 仕方ないわね!」
彼女は渋々といった様子で頷いたが、その瞳には好奇心とやる気が宿っていた。
どうやら、彼女をやる気にさせる第一歩は成功したようだ。
扱いやすくて良かった。
「では、明日から本格的に始めましょう。剣術も勉強も、しっかり鍛えていきますよ」
「ふふん、いいわよ! 覚悟してなさい、あんたを驚かせるくらい強くなってやるんだから!」
こうして、ミーユ王女の指南役としての俺の日々が本格的に始まった。
波乱の予感しかしないが……とりあえず、今は前を向いて進むしかないだろう。
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剣術訓練
「ミーユ王女、今日の剣術訓練ですが、まずは基礎から──」
「基礎なんていらないわ! 私はすでに強いんだから! それより、早く丸太を準備してよ!」
「はぁ……」
俺の言葉を完全に聞き流し、ミーユはすでに剣を握りしめ、訓練用の丸太に突進していく。
彼女の剣術は、野生動物そのものだ。
型などお構いなしに感覚だけで動いているようだが、その一撃一撃には鋭さと迫力がある。
「見てなさい!」
丸太の周りを独特なステップで縦横無尽に駆け回りながら、一太刀、また一太刀と、丸太に斬撃を浴びせていく。
丸太には鋭い切り傷が無数に刻まれ……いや、斬るというよりは削いでいくような感じだ。
最後に勢いよく飛び上がると、彼女は丸太に向けて剣を振り下ろす。
鋭い一撃が木を削り取ると、ミーユは満足げに胸を張った。
「ふふん、どう? すごいでしょ?」
彼女は胸を張り、満足げに振り返る。
その表情は、自信に満ち溢れていた。
「確かに、力強いですね。ただ──」
「ただ?」
「力任せだけでは、本当の強者には勝てません。剣術は力だけでなく、冷静な判断と技術が重要です。ミーユ王女の場合、確かに自分より弱い相手であれば問題ないですが、同等クラスの相手となると、動きが直線的すぎて、読まれてしまいやすい。たとえば──」
俺が話を続けようとすると、横でエミルがぽつりと漏らした。
「なんか猿みたい……」
「ばっ……! おまっ……!」
「何ですってぇえええ!!?」
その瞬間、ものすごい形相になったミーユが振り返り、そのままエミルに飛びかかった。
「ちょうどいいわ! だったらアンタが教えてみなさいよ!!」
「ぎゃぁあああ! やめ──痛い! 痛いってば!!」
エミルが地面に転がされ、ミーユがその上に馬乗りになりながら剣を突きつけている。
スカートがひらりと舞い、無防備に晒された脚が目に入る。
馬乗りにされているエミル視点からでは、彼女のスカートの中が丸見えになってしまっているだろう。
俺は思わず目を逸らす。
「ミ、ミーユ!? 見えてるから!!」
「はぁ!? なに言ってるのよ!! ホラ、さっさと起き上がってみなさいよ!!」
顔を真っ赤にしながらエミルが叫ぶが、ミーユはまったく意に介さず剣をエミルの喉元に突きつけたまま睨みつけていた。
……どうやら彼女に"恥じらい"というものは無いらしい。
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魔術訓練
「……ミーユ王女、初級魔術は魔術の中で基本中の基本です。例えば水の初級魔術は、手のひらに魔力を集め──」
「分かってるわよ! こうでしょ!」
ミーユが叫びながら、必死に魔力を手のひらに集中させる。
だが、どうにも上手くいかないらしく、手のひらに現れた水滴はすぐに床に落ち、水溜りを作る。
「くぅううっ、もう一度よ!!!」
「焦らないで、ゆっくり魔力の流れを感じるんだよ。ほら、こうやって──」
エミルが見本を見せるように、小さな水球を手のひらに浮かばせる。
それはミーユのものとは比べ物にならないほど安定していた。
だが、我が弟よ、それは悪手だとなぜ学ばない……。
「いちいちうるっさいわね!!」
「いだぁあああっ!!」
案の定、ミーユがギャーギャーと喚きながらエミルに殴りかかる。
エミルは顔を押さえながら必死に逃げ回り、俺は頭を抱えながらそれを眺めていた。
剣術だけで言えばミーユ王女はエミルより強い……が、何事も感覚で物事をするせいで魔術は扱いが難しいのだろう。
知識を付けないと魔術はコントロールできない。
もし魔術有りの組手であれば、エミルとミーユはいい勝負しそうだ。
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ミーユとの日々はまさに嵐のようだった。
だが、彼女の中には純粋な向上心があり、それがどこか憎めない一面もあった。
そして、強さを見せつけた時に見せる彼女の憧れの眼差しには、どこか動物的な無邪気さが感じられた。
しかし、暗殺計画のこともある。
気はあまり休まらない。