第五十五話 「暗殺計画」 【ベルギス視点】
プレーリーから遥か東方に位置する巨大王国、ヴァレリス。
この世界における大国の一つであり、その規模は南のアステリア王国と並び称されるほどだ。
冒険者、商人、貴族、そして海を渡る旅人まで、世界中のあらゆる人々がこの国に集う。
船がヴァレリス港へと近づくと、遠くからでもその威容を誇る城の姿が目に入る。
海に面して建つその白亜の城は、まるで空を突き刺すようにそびえ立ち、幾重にも重なる高い城壁と尖塔が朝日に輝いていた。
その存在感は、どの大陸から訪れても「ヴァレリスに来たのだ」と確信させるに十分なものだった。
「うわぁ……すごい……!」
エミルが船の縁に身を乗り出し、目を輝かせながらその景色に見入っている。
俺も何度か訪れたことがあるが、この城を目にするたびに圧倒される。
船がゆっくりと港へ入ると、待っていたのは厳しい検問だった。
ヴァレリスでは王都への出入りが厳しく管理されており、船に乗る際も降りる際も徹底したチェックを受ける。
この国が巨大な規模を維持しつつ、魔族やならず者の侵入を防いでいる理由の一つが、この厳格な制度だ。
乗船名簿を確認され、軽い持ち物検査を受けたあと、ようやく港の外へと出られる。
石畳の街道が広がり、色とりどりの屋根が立ち並ぶ町並みが続く。
活気ある市場からは人々の声が飛び交い、異国の香辛料や新鮮な果物の香りが風に乗って流れてくる。
「にいちゃん! あっちの屋台、ワイルドボアのトロトロ焼きだって! すごい匂い! 」
「後でな。まずは城に行くぞ」
城へと向かう街道は広く整備されており、道の両側には美しい街路樹が並んでいる。
そして、視界の先に見えてきた巨大な門の前では、数人の兵士たちが鋭い眼差しで立っていた。
「待て、我が城に何用だ?」
門前で槍を構える兵士たちが、俺とエミルの行く手を阻む。
冒険者然とした俺たちの身なりを見て、不審者と思われるのも無理はない。
「プレーリーに住むベルギスと申します。国王にお呼ばれして参りました」
そう告げると、兵士たちは顔を見合わせ、何やら小声で話し合い始めた。
しばらくして、一人が頷き、槍を下げる。
「失礼しました。あなたがベルギス殿でしたか。どうぞお通りください。案内役を用意いたします」
通された先には、若い侍従が控えていた。
彼が俺たちを謁見の間まで案内してくれるらしい。
俺とエミルは、壮麗な城の中へと足を踏み入れた。
広々とした謁見の間に通されると、そこには豪快な髭を蓄えた王、デュケイロスが玉座に座っていた。
威風堂々とした体格だが、その目には優しさと知性が宿っている。
「久しぶりだな、ベルギオス」
その低く響く声に、俺は思わず背筋を伸ばす。
「お久しぶりです、デュケイロス陛下」
俺が膝をついて挨拶をすると、デュケイロス王は満足そうに頷き、視線をエミルに向けた。
「おおっ、隣の君はエミルか! ……また随分と大きくなったものだ」
「以前来た時はまだ赤ん坊でしたからね」
「ははっ! 顔つきが母親そっくりだな。……だが──ゴホッ、ゴホッ……ッ」
突然、王が激しく咳き込む。
俺は反射的に一歩踏み出した。
「陛下、大丈夫ですか!?」
「む……すまん、少々肺を患ってな。この歳になると、どうも体が言うことを聞かん」
王は笑みを浮かべて見せるが、その顔色は優れない。
彼が抱える病状が思った以上に深刻であることは一目瞭然だった。
「さて、本題に入る前に、皆の者」
王が片手を軽く上げると、侍従や近衛兵たちは一斉に頭を下げ、部屋を後にする。
緊張感のある空気が部屋に残り、王は俺に視線を向けた。
「ベルギオス、少し大事な話だ。お前の弟を、他の部屋にやってもらっても構わんか?」
「……わかりました」
俺はエミルの肩に手を置き、低く囁く。
「エミル。少し城内を見て回ってこい。ミルフィーユ王女も、確かお前とそう変わらない歳だったはずだ。案内してもらえるよう頼んでみるといい」
「え? ……うん! わかった!」
重い雰囲気を理解してくれたのか、エミルは元気よく頷き、侍従に連れられて部屋を出て行く。
扉が閉まり、再び静寂が訪れると、デュケイロス王は重々しい口調で口を開いた。
「すまんな……手紙を書いたのは、王族でありながら、実力と信頼があるお前にしか頼めないことがあってな……。どうか力を貸してほしい。本来であれば自分の力で解決するべきなのだろうが……この病のせいで色々と面倒なことが起きてな……ゴホゴホッ──ゴホッ、ゴホッ」
「…………」
なんだろうか。
手紙ではミルフィーユ王女の指南役としか書かれていなかったが、それだけならわざわざ兵を退けたりはしないはずだ……。
デュケイロス王の表情は、どこか苦しげで、言葉を選んでいるようだった。
「頼みは、王位を継承する娘に関してのことだ」
彼は重々しい口調で話し始めた。
「知っての通り、私には二人の娘がいる。亡き前王妃との子、長女のミルフィーユと、現王妃との子、次女のナタリーだ」
名前を口にしただけで、彼の目に一瞬の陰りが見えた。
「この国では男女平等が基本だ。女であっても王位は継承される。ゆえに、王位は長女であるミルフィーユが継ぐ予定だ……本来ならば、何の問題もないはずだった。」
王は一度深く息をつき、ゆっくりと頭を横に振る。
「だが……困ったことに、ミルフィーユを狙う暗殺計画があってな」
「暗殺……ですか?」
低く、だが驚きを隠せない声で問い返す。
デュケイロス王は頷き、目を伏せた。
「そうだ。首謀者は現王妃であるカーライエン」
「──ッ!!」
思わず声が漏れた。
王妃が、義理の娘を暗殺しようとしている……?
「カーライエン様が……なぜ……」
デュケイロス王は苦々しい表情を浮かべながら話を続ける。
「カーライエンはナタリーを溺愛している。長女であるミルフィーユに王位が渡ることを決して良しとしない……それどころか、自分の娘こそが王位に相応しいと思い込んでいる」
「……それで、暗殺を企てていると?」
「ああ。噂ではなく、確かな情報だ」
王の目が一層険しくなる。
「カーライエンは、私が病で老い先短いというデマを城内に広め、家臣たちの間で派閥争いを煽っている。そして、その混乱に乗じてミルフィーユを排除しようとしているのだ」
「……まさか、家臣たちも?」
「今や誰が味方で、誰が敵なのか分からん状態だ。多くの者が形勢をうかがい、有利な方につこうとしている。もはや、城の中は混沌と化している……情けない話だがな」
王は目を閉じ、力なく笑みを浮かべる。
「私としたことが、人望もない、もはやただ冠を乗せただけの男だ。笑ってくれ。」
「そんなことはありません! 陛下が王位に就いてから、この国がどれだけ豊かで平和になったか……幼い頃に父より聞かされています!」
その声に、デュケイロス王は少しだけ目を見開いたが、すぐに苦笑いを浮かべる。
「……ありがとう。しかし、私の力は今や衰えている。ベルギオス……お前には、ミルフィーユの護衛を頼みたい」
「護衛、ですか?」
「ああ。私がカーライエンを説得し事態を収める間、ミルフィーユの命を守ってほしいのだ。怪しまれぬように、名目は指南役としてな。S級冒険者であれば問題あるまい……」
「……しかし、話し合いで決着がつくのですか? 暗殺となれば、強引に理由をつけてでも、カーライエン様を城の外に出すべきだと思いますが……」
デュケイロス王は首を振った。
「それは危険だ。もし妻を追い出そうとすれば、それこそ何をしてくるか分からない。それに、今や妻の権力は私と同等だ。下手に動けば、兵を二分する内戦に発展しかねん」
「……内戦は避けたい、ということですね」
「ああ。だからこそ、お前にはミルフィーユの近くで守りつつ、様子を探ってほしいのだ」
王の目には揺るぎない決意が宿っている。
「この件を知るのは、私とお前、そして唯一信頼できる大臣のデカードだけだ。この話が外部に漏れれば、さらに混乱を招くだろう」
その言葉に、俺は小さく頷いた。
周囲が敵か味方か分からない──その現実が、胸に重くのしかかる。
ミルフィーユという王女の命が、城内のどこかで消されるかもしれない──そう思うだけで、かつての母国での無力さが脳裏を過った。
「分かりました。全力を尽くします」
「頼む……お前にしか頼めんのだ、ベルギオス。……説得など、王を司る身として甘い考えだと思うが、"責務よりも優先すべき愛を持つ"……お前が母国を飛び出し、この国を訪れた際に聞いた言葉だ。あれには感動させられたよ。何か大きな決断をする時に私はあの言葉を信じて救われてきた。はは、まさか子供のお前に気付かされたとはな……」
デュケイロス王が笑みを浮かべながら語る。
その言葉に、俺は微かに目を細めた。
「いえ、正確には……それは母の言葉です。本来は、陛下のように何かを信じる時や、何かを守る時に使う言葉ですが……」
自嘲するように、俺は息を吐いた。
「私は、それを国を捨てる時の"言い訳"にしか使えなかった……」
デュケイロス王はしばらく黙って俺を見つめていたが、やがて静かに首を振った。
「ベルギオス……お前は、自分を過小評価しすぎだ。だがな、私から見ればお前は十分に強い。母親の言葉を心に抱え、それを実行に移す勇気があった。それは、王ですら難しいことだ」
その言葉に、俺は目を伏せた。
どれだけ魔物を倒せても、自分が強いなどと思ったことは一度もない。
だが、こうして王に認められることで、少しだけ心が軽くなった気がする。
「……ありがとうございます。陛下の信頼に応えられるよう、努めます」
「あぁ、頼む」
デュケイロス王が満足そうに頷き、再び侍従たちが部屋に入ってきた。
俺は深く一礼し、その場を後にする。
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城の一室を借り、軽く荷物と服装を整える。
その後、案内役の若い侍従に連れられ、ミルフィーユ王女の部屋へ向かった。
廊下は広く、豪華な絨毯が敷かれている。
窓から差し込む陽光が、重厚な装飾品の数々を照らし出していた。
「ミーユ様は、先ほどまで弟様と城中を散策されていましたが、現在は部屋におられるはずです」
「ミーユ?」
侍従がそう説明した時──
「ぐぼぉおおおおおおっ!!」
突然、廊下の向こうからエミルが吹き飛ばされてきた。
綺麗な放物線を描きながら、弟の身体が宙を舞っている。
俺は咄嗟にその身体を受け止めた。
「エミル!? 何があった!?」
「に、にひちゃん……に、人間じゃないよ、あの子!!」
エミルが顔を腫らしながらそう言い、後ろを指差す。
その方向を見ると、拳を振り下ろした姿勢のまま、こちらを睨みつける少女がいた。
怒りに染まった表情に、彼女の美しい朱色の髪が揺れる。
その目は鋭く、まるで小動物を威嚇する猛獣のようだった。
「生意気なのよッ!! 歳下のくせにッ!!」
少女──いや、間違いなくミルフィーユ王女だろう。
彼女は険しい表情のまま、拳を握りしめている。
「がぁぁああああああッ!! イライラするわぁあああッ!!」
暴力系王女──否、もはや"王女系暴力"と称するに値する、暗殺の標的にされているにも関わらず元気な王女の姿が、そこにはあった。