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第五十三話 「親の代わりとして」 【ベルギス視点】

 この村に引っ越してきて、もう何年が経っただろうか。

 南の大陸から出て、西の大陸、東の大陸……そしてこの北の大陸まで。

 どこを探しても、母親の姿も、その手がかりとなる情報も手に入らなかった。


 魔族の痕跡を辿り、あらゆる土地を歩き尽くした。

 だが、アステリア王国を襲った者の情報はどこにも無い……。

 俺が何をしても、どれだけ動いても、この絶望的な現実は一向に変わらない。


「ハイっ! ポーションと各種状態異常用の薬草、それに武器も点検しておいたわよ。いつもありがとうね」

「いえ、そんな……こちらこそ助かっています。クリスさん」


 道具屋の出口で、俺はこの村の道具屋の店主、クリスさんに軽く頭を下げる。

 彼女はこの村の人々からも慕われていて、何かと頼りになる存在だ。

 その笑顔はどこか俺の知る母親と重なるようで、妙に居心地が悪い。


「また必要なものがあれば言ってね!」

「ありがとうございます……それでは」


 そう言って俺が店を出ると、すぐ近くから聞き慣れた声が聞こえてきた。


「違うよっ! フェイのにいちゃん、剣を振る時はもっとググッと構えて……こうっズバッと!!」

「ぐぬぬぬ、天才肌の教え方ヤメロ! くそっ、十歳に教わる悲しみっ!」

「フェイのにーちゃんが教えてって言ったんじゃん」


 傍では、最近この道具屋で働き始めたフェイさんとエミルが剣の練習をしている。

 剣を振り回しながらも、あの明るさを失わないエミルの声が風に乗って聞こえるたびに、俺は複雑な気分になる。


「元気な弟さんよね、いつも。見ているこっちまで元気になるわ」

「…………」

「しかも、この間だって村の近くでアンナさんが人食い植物に襲われた時も、一人で助けたそうじゃない。カンタリオンでも、女の子を守って魔物を倒したって聞いたわ。幼いのに、お兄さんに似て勇敢なのね」

「はぁ……」


 店から出てきたクリスさんにそう言われるが、正直しっくりこない。

 あいつの無鉄砲さや無知ゆえの好奇心が、"勇敢"という言葉で表現されるのがどうにも腑に落ちない。


「無知ゆえの好奇心、ただの怖い者知らずですよ。物事を正しく理解して行動したというものではありません。……ここでも、カンタリオンでも、身勝手に行動をして、たまたまそれが上手くいっただけです。こないだだって、いくらオンディーヌ様がどうこうと言ったところで、仮にそれが本当だったとしても、信じてついていくエミルも悪い」

「あはは……きつく叱ってたもんね。褒めてはあげなかったの?」

「褒める? なぜですか?」


 俺の返答に、クリスさんがじっと俺の顔を見つめる。

 何か顔にでもついているのだろうか。


「……なんですか?」

「……ベルギス君。さしでがましいかもしれないけど、今のあなたのような態度を続けていたら、あんなに明るい子でも、将来グレるかもしれないわよ?」

「そうですか?」

「そうよ! ベルギス君、最近いつも思い詰めてるような顔してることも多いし、もっとエミル君に目をかけてあげた方がいいわ。"誰かさん"みたいに、自分に自信をなくす前にね」


 その言葉に、俺は思わず考え込む。

 たしかに……赤子の頃よりずっと二人で旅してきた弟は、"親"という存在を知らない。

 やはりここは俺が、兄としても父親がわりに正しく導いてやるためにも目にかけないといけないのかもしれない。


「もっと厳しく接した方が良い……と?」

「そうじゃなくて」

「では、どう躾ければ?」


 俺が問い返すと、クリスさんの頭がガクッと傾いた。


「躾って……。もう……ベルギス君って本当に不器用よね」

「……不器用ですか?」

「そう。叱るのもいいけど、それだけじゃなくて、もっと"優しさ"を見せてあげて。それができるのは、兄であるあなたしかいないんだから」


 優しさ。

 俺は、エミルに優しく接してやれているだろうか。

 思い返すと、厳しい言葉ばかりかけていた気がする。


「……少し、考えます」

「うん、それがいいわ。ベルギス君ならきっとできるはずよ」


 クリスさんは微笑みながら俺の肩を叩き、店の奥へと戻っていった。



 ---



 数日後


 門番のビルさんが、ひとつの封筒を届けてくれた。


「手紙……ですか?」

「あぁ、ヴァレリス使いの者が直接来たもんだから、急いで届けに来たんだ」

「……わざわざありがとうございます」


 ビルさんが去った後、俺は家へと戻り、封を開けた。


 封筒には丁寧に綴られた手紙が入っていた。

 中身を確認すると、差出人はデュケイロス王──ヴァレリス王国の国王であり、かつて父王と親交の深かった人物だった。

 内容を読み進めると、こう書かれていた。


 ──────────


 親愛なるベルギオス殿へ

 貴殿にこうして手紙を書くのは久方ぶりであるな。

 まずは、貴殿と弟君が健やかに過ごされていることを喜ばしく思う。


 さて、実は我が国の長女、ミルフィーユが最近ますます困った性分を発揮しておる。

 わがまま、脱走癖、さらには周囲の者の言うことを全く聞かぬ始末でな……。


 そこでお願いがある。

 貴殿にはこのミルフィーユの指南役を引き受けてもらいたいのだ。

 Sランクの冒険者となった貴殿の聡明さならば、必ずや彼女に良い影響を与えられるだろう。


 詳細は、王宮にて直接お話ししよう。

 また、大きくなった弟君にも再会できる日を楽しみにしている。


 王都ヴァレリスにてお待ちしている。


 ヴァレリス王

 デュケイロス・エル・ケリア・ヴァレリス


 ──────────


 手紙を畳みながら、俺はわずかに眉をひそめた。

 久しぶりにデュケイロス王からの連絡だが、何か様子が違う気がする。

 単に姫の教育についてだけでなく、文字から見て何か神妙さが伝わってくる。


 その時、後ろからエミルの声が聞こえてきた。


「にいちゃん? 次はどこに行くの?」

「ヴァレリスだ……明日の朝には出発する」

「よーし、じゃあフェイのにいちゃんから情報を聞かないとね! あ、そうだ。これ見て!」


 エミルは嬉しそうにそう言うと、手に持っていた丸めた羊皮紙を広げた。

 そこには何か、黒髪の男が剣を振り、巨大な魔物を倒しているような絵? のようなものが描かれていた。

 雑だが迫力があるタッチで、どことなく勇敢な雰囲気が感じられる。


「どう!?」


 どう? とは。

 出来の良さを聞かれているのだろうか。


「ふむ……あまり上手ではないな。あと、この男は誰だ?」

「えぇー!? ベルギス兄ちゃんだよ!! もう! ここに名前だって書いてあるでしょ!!」

「……あっ、いや、それはお前の手で隠れていて見えなかった」

「もぉぉぉ!! にいちゃんのバカ! もう知らない!」

「す、すまん」


 エミルは怒って絵を投げ出し、そのまま部屋を飛び出していった。

 俺は慌てて彼を呼び止めようとしたが、返事はない。


 残された絵を拾い上げ、まじまじと眺める。

 たどたどしい線や色使いにも関わらず、その絵にはエミルなりの想いが込められているのが伝わってきた。


(……俺に、この絵をプレゼントしようと思っていたのか……)


 不意に、幼い頃の記憶がよみがえる。


『母様! 絵を描いてみました! どうですか!?』

『ベル!! とっっっても上手だわ!! 私そっくりね! 宝物にするわ! ありがとう!』


 あの時、母様は心から嬉しそうに笑いながら、俺の拙い絵を褒めてくれた。

 それを見た幼い俺は、それだけで心が満たされた。

 母様がもっと大好きになった瞬間だった。


 だがエミルには、その「愛」を教えてくれる母はいない。

 俺は今この場面で、母様に代わってその役を果たすべきだったのではないか……。


「少し……話をする機会も作らないといけないな……」


 ……未熟だ。

 兄としても、弟を導く者としても。



 ---



 俺たちは、ヴァレリス行きの船が出る港を目指して広大な草原を歩いていた。

 草原一面に広がる緑は、冷たい風に揺れ、まるで波のようだ。遠くには山々の稜線が薄く霞んで見え、穏やかだが広大な自然が心を癒すようだった。


 だが、この草原を甘く見るわけにはいかない。

 強さこそ大したことではないが、船着き場に近づくほど魔物との遭遇率が高くなる。


「ヴァレリスって、とっても大きな国なんだよね!!」

「そうだな」

「へぇ! 楽しみだなぁ!」


 ずんずんと先を行くエミル。

 魔物が出る可能性を考えれば、あまりにも無用心だ。

 まったく、どれだけ注意を促してもこの調子だ。


「エミル! 気が緩みすぎだ。旅の怖さは何度も教えただろう! 忘れたのか?」

「あっ……ごめんなさい……」


 俺の言葉に、エミルは肩を落として足を止めた。

 あからさまにしょぼくれる姿は、まるで怒られた子犬のようだ。


『今のあなたのような態度を続けていたら……』

『叱るだけじゃなくて、もっと優しさも見せてあげて……』


 クリスさんの言葉が脳裏をよぎる。


 確かにそうだ。

 また叱ってしまった。


 無意識にため息をつきながら、エミルの傍に寄り、俯いた彼の頭にそっと手を置く。


「……でも、さっきの魔物との戦いっぷりは良かったぞ。次もその調子で行こう」

「えっ!? 本当!! やった!!」

「……っ!?」


 エミルが驚きの声を上げ、次の瞬間には弾けるような笑顔を見せた。

 その様子に、俺は少し面食らう。


「やったー!! にいちゃんが初めて褒めてくれた!!」


 跳ねるように喜びを表現するエミルの姿を見て、俺の胸に何かが突き刺さる。

 そうか……今まで、俺はこんな簡単な一言すら言えずにいたのか……。


「…………」


 旅に出てからずっと、エミルは俺の側にいた。

 母親の愛情を知らず、父の死にも立ち会えず、彼にとって俺だけが唯一の家族だ。

 なのに、俺はずっと彼を"守る"ことしか考えず、家族としての愛を伝えることを蔑ろにしていた。


 ……そうか。

 初めて"褒めた"のか……俺は……。

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